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部員ブログ

2022.04.21
佐々木風舟

こんにちは。

本日のブログを担当させて頂く、4年の佐々木風舟です。

今回は、私が最近感じている事について綴ろうと思います。

人の行動や言動には越えてはならない線があると思います。

例えば、暴力や差別的な発言です。このような、一線を越えた行動を著名人が起こしてしまったり、メディアに取り上げられてしまうと瞬く間に世間に叩かれ、社会から追放されます。しかし、このような一線を越える言動は、身近に横行しているように思います。

先日、友達(もう違います)が他人に対して、「死ね」「消えろ」「ブス」やその他卑猥な言葉を発している場面に遭遇してしまいました。その時、注意する人はあまりおらず、むしろ多くの人がその発言に被せて楽しんでおり、衝撃を受けました。確かに、その時は楽しく騒いでいましたが、そのような発言をして笑う事は楽しむことの範疇を越えていると思います。人は誰でもはっちゃける時くらいあると思いますが、常に自分を俯瞰して、一線を理解した上で楽しむのと、線の無い状態で楽しむのとでは180度変わってくると思います。なにしろ、このような感覚を多くの人が持ち合わせておらず、むしろその場に於いては殆どの人が一線を越えていた事に対して驚くのと同時に、ある疑問を持ちます。

その疑問とは、常識や大衆とは何かという事です。

牛丼屋の生娘シャブ漬け戦略発言や某有名YouTuber(再生回数増加を助長させるような事はしたくないので名前は伏せます)が代表的な例です。生娘シャブ漬け戦略発言の場合、笑っている生徒が居たり、注意する人物は教授を含め誰も居なかったそうです。(https://www.businessinsider.jp/post-253254)

また、某有名YouTuberの場合、自分の事は棚に上げ、過去に関わりを持った有名人のプライベートを暴露する動画をアップしていますが、その動画は多くの人に賞賛されているのが分かりますし、現に再生回数も伸びています。

彼らの行動は、確実に一線を越えたものであるはずなのに、多くの人が支持しています。物事に境界線を持ち、やって良い事と悪い事の判別がつく事がスタンダードな価値観であり、それが常識だと思っていたのに、線の無い人々が大衆になってしまうと、いよいよ世の中の均衡は崩れてしまうと思います。

一方で、彼らの行動、言動に対して反発の意思を持つ人達も多く居ます。1番最初に述べたように、メディアに取り上げられた生娘シャブ漬け戦略発言は多くの人に非難され、炎上しています。

このような流れから察するに、世の中には

・スタンダードな価値観を持ち、確固たる意志を持った人々

・線を持たず、善悪の判別がつかない浅はかな人々

・何となく線は持っているが、その場に応じて流されてしまう多くの浮動層

以上の3パターンの人々がいると考えます。

では、この浮動層の人々をスタンダードな価値観を持つ人々にする為にはどうすれば良いのでしょうか。

まずは、親や先生などの教育が重要だと思います。私の周りには、日常的に軽い気持ちで差別的な発言をする人が居ますが、これは小学生や中学生の頃に親に注意されずに育って来たからだと思います。また、少年サッカーでは、試合中の子供に対してコーチや親が人権を無視した発言を浴びせている現場を何度か見た事があるし、これは今でも日常的に続いているそうです。このような環境で育った子どもが線を持たない状態で育つのは殆ど必然的だと思うので、親が確固たる意志を持ち、子供に教育する必要があると思います。

そして、既に線を持たずに育ってしまっている大人に対しては、周りの人間が勇気を出して、根気強く注意し続ける他には無いかと思います。彼らを多数派から少数派にしていく事で、次第に線が引かれて行くと思います。注意する事が難しいなら、彼らの発言に対して反応せず、冷たい態度を取る事から始めれば良いと思います。

個々が自分の中に線を持ち、ふざける時も怒る時も、自分を俯瞰しながら行動出来るようになれば、より多様性を理解し合う事が出来る様になると思います。

私の所属するコミュニティにも、線を持たない人はいます。これまでは愛想笑いをしたり、面白おかしく注意するだけで終わらせていましたが、金輪際媚を売ることは辞めようと思います。

人としての線を持たない集団が良い組織な訳がありません。

このブログを読んでくれた方々にも、もしかしたら僕の考えは理解されないかも知れませんが、是非自分の中に線があるかどうか考えてみてください。

長く纏まりのない文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。

これからも専修大学サッカー部の応援をよろしくお願い致します。

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