2008年05月21日

過信喪失

 通学途中に、優雅な一輪の美しい花が咲いた。横に目を移すと、素朴ながらも凛とした野花が咲き誇っていた。


 リーグ戦は第9節を終え、専修大学は勝ち点9を手にした。目標を見据えた時、これは不本意な数字だろう。また、残念ながら試合内容も満足のいくものではない。しかし、苦しい戦いをするために1部に上がってきた。ただ2部での経験を生かし、楽に克つためにここまでやって来たわけじゃない。
 そろそろ等身大のサッカーを体現していく時期だ。基礎にチャレンジャー精神なくして、1部の舞台は生き残れない。もちろん、自分たちの焦りとは別に、周囲の評価・期待が高いのは感じる。「専大の力はこんなものじゃないだろう」と。しかし、果たしてその評価は妥当なものなのか。肝に銘じておく必要がある。技術のみに下された評価など上っ面をなでているにすぎない。
 ハートフルなサッカーを前にした時、ポゼッションサッカーは浮き足立つ。またどんなスピード感溢れるサッカーも、スペースを消され、1対1の玉際に勝てなければゴールは無い。高さや玉際で勝てないなら、セカンドボールだけは絶対に渡さないという気概が欲しい。一見地味だが、これが誇りへの第一歩。


 専大を雑草に例えるのはどうかと思う。しかし、野に咲く花にしか持ち得ない、美しさはある。また現状を見つめながらも目標は下げない。凛と前を見つめていくこと。この姿勢はたいていの美しさに共通するものだと思う。
 最近(心が)折れるという言葉を耳にするが余り正しくないだろう。これは本当に折れるだけの芯を育てる努力をした人間にだけ許される言葉。実際に努力した人間は、たとえ芯が折れても、雑草のように蘇るだけのハートをその過程で育んでいるものだ。そして、蘇るハートは以前より強く逞しくあるはずだ。過信は失って初めて気づく。自信は失ってなお輝きを放つ。

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