- 今回ブログを担当させて頂きます、3年のラングフォード海渡です。
2月中旬から怪我で離脱。
徐々にですが、ようやく完全復帰の兆しが見えてきました。
3ヶ月。キツかった。
サッカーができる!やっとサッカーができる!
怪我のリハビリや治療してくれた方々、感謝しかないです。本当にありがとうございました。
そして同じグロインペインに悩まされて、いつも励ましてくれたギリくん(片桐先輩)。復帰おめでとうございます!こっからっすよ!再発なしで👊
さて、何を書こうか。
怪我期間の話を延々と書いてもネガティブというかダーク寄りな話になってしまうし、最近の話をしても特にブログに書くほどのことでもない。
文学部哲学科として1人の哲学者を紹介しようと思う。
哲学と聞いて思い浮かぶのは、ソクラテス、孔子、カント、ニーチェ。この辺は耳にした事があると思う。
“キルケゴール”という哲学者を知っていますか。
キルケゴールは、19世紀デンマークの哲学者で、「実存主義の父」とも呼ばれる人物です。実存主義って何?って感じですよね。超簡単に説明すると、「正解がない世界でどう生きるかを自分で決める哲学」です。彼の全てを説明したいところですがキリが無いので一部だけ紹介します。
「死に至る病」
これはキルケゴールの有名な本のタイトルで、ここでいう「病」は「絶望」のことです。死に至る病=絶望。そして彼が「絶望」と呼ぶのは、「本当の自分から逃げること」「自分が何者であるかに向き合わないこと」
身体の死ではなく、自己であることから逃げる事によって内面が死ぬ。つまり、本当の自分から目を背けて周囲に合わせたり意味もなく生きるが一番ヤバいという話。
なぜこれをサッカー部のブログで書いているのか。
わざわざ時間を使ってこれを読んでいるチームメイトや関係者に何を受け取って欲しいか。ここからです。
サッカーにおける絶望は、
「集団の中で自分を見失う絶望」と「試合に出られない時の自己否定的な絶望」。他にも無限にあると思うけどここら辺にしておく。
後者の試合に出られない時の自己否定的な絶望については怪我生活を経験してよくわかる。
試合に出られないから、スタメンじゃ無いから、自分に価値はないと思い込む。キルケゴールは、「人は他人との比較で自分の価値を決めると、自己を失う」と言う。出場していなくても、自分の存在意義や生き方は自分で選べるし、それに向き合う事が実存的な強さ。
あと少しだけ頑張ってください。
ここで大きく関わってくるのが「責任」、
人は、逃げようと思えばいくらでも逃げられる。社会のせい、親のせい、環境のせい、運のせい。でもそれは本当の自分から目を背けている状態。
つまり誰かに委ねたり、責任を放棄することを絶望と呼ぶ。
自分の責任から逃げた時、絶望(内面の死)に陥る。
責任のある生き方は?
①自分の選択に責任を持つ ②他人のせいにしない ③社会的・道徳的に誠実であろうとする
サッカーも同じじゃないですか?
①自分のミスを誰かのせいにする。 ②与えられたポジション(立場)に文句を言う ③出場機会が与えられなくても、自分にできることを全うする。
★真に強い選手は、「試合に出られるか」ではなく「自分がどうあるか」に責任を持っているんだと思う。★
逃げないことがプレーを変え、チームを変えると思う。
上手く行かないことがあったら、自分に問いかけてみてほしい。
「この責任を、自分で引き受ける勇気があるか?」プレーの結果も、チームの空気も、自分の生き方すらも。
最後に決めるのは、自分自身。
キルケゴールが語ったように、
「人間は自己の責任を引き受けることで、本当の自由を得る」
責任と自由はセット。
ピッチの上でも、人生でも、同じことが言えるのではないだろうか。
更に、責任を持つようになると自信も持てるようになると感じる。
まだ自信を持てずにプレーしてる新一年生。ミスで自信を失ってしまった選手。責任を放棄せず向き合ってみてください。
上手くまとめられませんでしたが、キルケゴールはここまでにします。男前で生き様がカッコいい哲学者なので、興味がある方は調べてみてください。
上手く行ってない選手、いま苦しんでいる怪我人に読んでもらいたいな。
関東リーグ前半戦が早くも終わりそうです。
少しずつの積み重ねでしか大きな事は成し得ません。
AチームBチーム関係なくチーム全体で目指すところに向かって頑張って行きましょう。
拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。今後とも応援よろしくお願いします!


