2019.04.09
宮武凌司
何処へ向かう。
「人間(人生)」にとっての、
定められた「終着点」はどこにあるのだろうか。
何をもって「人間」は、
ゴール(目的地)へ辿り着いたとするのだろうか。
それが明確に存在する訳でもないのにも関わらず、
なぜ、私達「人間」は、
がむしゃらに走り続けることができるのだろう。
「人類最速の男」ボルトは、
100mを9秒58で駆け抜ける。
「神の子」メッシは、
観客が度肝を抜くシュートを放ち得点を量産する。
両者が圧倒的なパフォーマンスを魅せることが可能なのは
なぜか。
それは、「100m走」においても、「サッカー」においても
決して変わることのない「ゴール(目的地)」が存在するから。
100m先には必ず「ゴール」がある。だから全力で走れる。
向かう先には「ゴール」がある。
だからシュート・ドリブルなどの過程が生まれる。
明確な「行先」すなわち「ゴール」があるからこそ、
他に意識を向けることなく、あらゆる手段を駆使して
そこへ100%の力で向かうことができる。
では、私達は何処へ全力で向かえばいいのだろうか。
各々が描く、「夢」や「目標」の「実現・達成」が
「ゴール」であり、「終着点」なのだろうか。
そもそも、
人生に「ゴール」を設定すること自体がナンセンスなのか。
人生は考えさせられることが多すぎる。人生ハードモード。
(もしも人間が「果て」「ゴール」に辿り着いた瞬間を想像するとゾッとするが。)