毎年楽しみにしていた引退ブログもついに自分の番になりました。
いつだかのブログに書いた
「サッカーを続ける意味」
「サッカーから得られるもの」
最後の試合を終えてわかった気がする。
なぜサッカー続けてきたのか。
それはただひたすらサッカーというスポーツに
「夢中」
であったからだ。
サッカーを通して得られたものは
「人と真摯に向き合えるようになったこと」
これに尽きる。
そして
「僕の喜びは、僕以外の人がいて初めて成り立つ」
そんなことに気づくことができた。
思い返せば色々なことがあった。
しかし僕の中にサッカーを辞めるという選択肢は微塵もなかった。(シュンスケはやめたかったらしいけど)
入部当初は(1年目)順調だった。チームこそ下だったけれど、Iリーグデビューの試合で2アシスト。少しだけチームメイトからの信頼を得ることができた気がした。その後も活躍した時はナグくんがCBからわざわざ抱き上げに来てくれて頭を撫でてくれた。とても嬉しかった。このまま這い上がっていければいいなと考えていた。
しかし、紅白戦でカイトのドリブルが止められず、イラついてスライディングした際に左の内側側副靱帯を痛めた。(ただの自滅、カイトは無傷)
ここからは怪我の連続だった。
2年生になり、下の学年と共にIリーグを戦うことになった。
が、全く勝てなかった。僕自身も怪我と復帰を繰り返し、チームに貢献できなかった。パフォーマンスも悪くなっていくばかりだった。
3年になり、お世話になった先輩方と一緒に試合に出たい。そして勝ちたい。そう考えていたが、最後にまた怪我した。自滅の捻挫だった。
高校からお世話になり、多くの時間を共に過ごしたゲンタ、タカ、アオキと練習することさえできなかった。
コウヘイくんに誓った、Aチームで試合に出るということも、達成できそうになかった。
やるせなかった。
情けなかった。
でも、
それでも、
サッカーを辞めようとは思わなかった。
サッカーが大好きだった。
点を取ったらみんなが喜ぶ
負け続けていても、勝ったらみんなで写真を撮る
交代用紙を書く
回しで股を取る
シュートゲームで相手を走らせる
あんなに文句を言っていた3年生も、リュウイが点をとればベンチを飛び出して大喜び
あげたらキリがないけれど、そんなサッカーの全ての瞬間に
「夢中」
だった。
夢中だったから、どんなに怪我しても、苦しくても、走り続けることができた。それが楽しかった。
4年になり、自分に何が残せるだろう、どうしたらチームに貢献できるだろうと考えた。
身体も小さい、シュートも上手くない、以前までのドリブルのキレも、もうない。
けど、スタミナだけは残っていた。
だから、誰よりもピッチを駆け回り、守備を頑張った。小さい身体を活かして相手の懐に入り込み、ボールを奪った。
そしてボールを奪ったらすぐに上手い選手に預ける。高校の時に散々言われた
「ジュンキ!!自分より上手い選手にすぐ渡せ!!」
ができるようになっていた。
専松のみんな、おれ、丸くなったよ。
チームも勝ちを重ね、雰囲気も最高、充実していた。
しかし最後の1ヶ月でまた膝を怪我した。軽自動車(ダイム)と球際を争ったのかというほどの衝撃が僕の右内側側副靱帯を襲った。
そしてヒロキが大活躍、リュウイとの相性もバッチリだった。
以前までの僕なら、自分が出てない試合で他の誰かが活躍するなんて許せなかった。
でも、
怪我をして試合に出れずとも、
ヒロキの活躍
ヒデの復調(?)
チームの勝利
そしてチーム全員の笑顔
その全てが心の底から嬉しかった。
サッカーを通して、
自分ではない誰かの成功や挑戦を心から喜べるようになっていた。
そして、
誰かの役に立つこと、
誰かの支えになること、
これが自分の原動力なのだと気づくことができた。
そしてそのためには、
「人と真摯に向き合うこと」
が必要なこともわかった。
今はケンスケくんとゲームしたり、電話しながらプレミアリーグを見るのが楽しみの一つになっている。些細なことだけど、そんな瞬間を大事にしていきたい。
ただ心残りはある。
それは色んな意味でバケモノのようなムネも書いていた、一度もAチームで活動できなかったこと。結果、成果は全く残せなかったことだ。
この悔しさは、次のステージで晴らそう。今まで以上に頑張ろう。
僕の喜びは、僕以外の人がいて初めて成り立つ
だいぶキモいけれど、このことを気づかせてくれた、サッカーを通して関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
ご指導いただいた富美浜SC、市川FC、マルバ、VIVAIO、専松、専修大学、全ての方に感謝しています。
専松の後輩たちは人多すぎて書くのめんどいからいいや。読みにくくなるし。コウタとかキモいし。今度専松会やったときに色々話せたらいいな。一つだけ、サッカーを楽しむことを忘れずに。
Bのみんなも本当にありがとう。最後の1年は特に楽しく時間があっという間でした。最初は僕たち4年生と一緒にやりたくないとかほざいてた2、3年生も、時間が経つにつれチームとして一体感が出ているのを感じ、とても嬉しかった。でも普通に腹立つからキョバ5本で。
4年生、サッカー人生を締め括る4年間をみんなと過ごせて本当によかった。全国には行けなかったけれど、みんなと一緒にサッカーできた時間は僕のかけがえないのない宝物になりました。怪我多くてみんなとプレーする時間はあまり多くなかったけど、最後試合に出れて、みんなが待ち望んでくれていたような気がして、ピッチに入った瞬間、いや、カイトが点決めたあたり、いや、先制したあたりからすでに泣きそうでした。またサッカーやろう。
最後に家族、
17年間、応援ありがとう。あなたたちの支えがあってここまで頑張ってこれました。あなたたちのおかげで僕にも夢ができました。
兄には家族ができたけれど、僕にとっては大切な兄弟で、大親友のような存在です。いつまでも弟のことが大好きな兄でいてください。
母、どこか抜けているけど、自分よりも他の人のために動くことができる、悩むことができる、そんな背中を見て育ってきました。そしていつの間にかそんな人間になりたいと思えるようになりました。たくさん怪我して心配かけたけど、今後は母のような人想いな人間になれるように頑張ります。
父、やる時はやる、ふざける時はふざける、どんなに仕事で疲れていても家族の前ではそんな顔は見せず楽しませてくれる、そんな父を尊敬しています。愛の溢れる家族を作ってくれてありがとう。
みんなのおかげで、僕もこんな愛と笑いの絶えない家族を作っていきたいと思えるようになりました。
最後は活躍した姿を見せることができなかったけれど、これからも1番そばで応援してください!
なっが。ここまで読んでくれた人ありがとう。
うん、17年間とても楽しく、幸せだった!
今度はどんなことに「夢中」になっているのかな。未来の自分が楽しみだ。
阿部隼稀