「波瀾万丈」
引退して1週間と少しが経った今、4年間の大学サッカーを振り返って1番似合うのはこの言葉です。
初めて専修大学の練習に参加してボロカスに怒られたあの日からもう4年が経ちました。あの日が大学サッカーで1番辛いんじゃないかっていうくらい辛くて練習参加初日にして大学でサッカーをやっていけるのか不安になったのを今でも覚えています。
そんな最悪なスタートからの大学サッカー4年間を振り返っていこうと思います。
大学1年
当たり前のようにCチームスタート。練習スペースはグランドの4分の1。スタッフはいないし試合もほとんどありませんでした。
なかなかモチベーションを保つのは大変だったけど同期のみんなとやる8対3くらいのボール回しとかめっちゃ楽しかった思い出があります。
練習後にやるリフティングとかボール回しも楽しかったな。笑
シーズン途中からはやっさんが来てくださって、アイリーグにも徐々に出場できるようになりました。
朝早くきて鍵とかボールの準備をしたり、挨拶で怒られたり、この年は大学サッカーの厳しさを知った1年でした。
大学2年
この年はシーズン初め、学年ごとに分かれてゲームをやりました。初めてスポ推のメンバーとサッカーして最初は怖かった印象があります。笑
2週間くらいゲームばっかりやってその後カテゴリーが分けらて、自分はまさかのトップチームでした。
周りからはひしひしと感じる「誰だよ」感。本当に怖かったし緊張しました。
話す人もいなくて唯一、太一が一緒で、元々トップチームで活躍してた太一にとにかく着いていきました。
その時はサッカーなんて全く楽しくなくてとにかく、必死に練習についていきました。
そして3月くらいまでトップチームにいることができ、関東リーグに追加登録するかもみたいな話もありました。電車で関東リーグの追加登録の紹介文みたいのを乾太とお互いに考え合って。笑
でも追加登録されたのは、乾太だけで俺はされませんでした。
そこからずっとA2でアイリーグ出場のために活動しました。
この年のアイリーグは先輩たちのおかげでめっちゃ楽しかったし、強かったと思います。最終的にプレーオフには進めなかったけど、この年のアイリーグの経験は自分にとって大きな経験だったと今振り返ればそう思います。
そしてこの年は新人戦優勝。何試合か試合に出場することができて、サッカー人生で初めて大きなタイトルをとることができました。
大学3年
この年はとても濃い1年でした。アミノバイタルカップ、それ以降の県リーグ、国体、関東2部昇格戦。
正直アミノバイタルまでの記憶はあんまりないです。笑それほどそれ以降の経験が濃かったから。
アミノの1週間前くらいの練習試合で謎のスタメン。そこからアミノでも試合に出場することができました。アミノは人生で1番緊張したし、試合に勝った時の嬉しさも人生で1番でした。
国体では試合には勝てなかったけれど、素晴らしい出会いと経験ができました。
そして関東2部昇格戦。何としても昇格したかったけれど力及ばず2部への昇格はなりませんでした。
大学4年
大学サッカー最後の年。今年が1番辛かったと思います。
シーズン始まるまでは多くの試合に出場することができて、練習試合でも負けることはほとんどなかったけれど、関東リーグが始まって全くうまく行かない。結局関東リーグ始まって3節までは試合に出場できたけれどそれ以降はずっとメンバー外でした。
それからはずっと練習、練習試合の繰り返し。
ついにはA2に落ちて社会人を戦うことになりました。
正直、自分でもAチームで活躍できるイメージはできなかったし、周りに置いて行かれているような感じはありました。
もう無理だと思っていたけれどA2の後輩たちは迎え入れてくれて、森さんのおかげで楽しくサッカーができました。本当に感謝しかないです。ありがとうございました。
そして最後はなんとかAチームに戻ることができ、プレーオフに出場する事ができました。
しかし、何としても勝たないといけない試合だったのに結果2部昇格はできませんでした。
これまで自分を助けてくれた専修大学の選手のみんなに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当に勝って、来年に繋げたかった。
こうして終わった4年間の大学サッカー。
感情を一言で言えば辛かった。
冒頭に書いたように、上がったり下がったり良かったり悪かったり、浮き沈みの激しい4年間でした。
自分にもっとメンタルと力強さがあればもっとこの4年間は変わっていたかもしれません。もっと安定したプレー、もっと楽しんでプレーできていたのかもしれません。
ただ、弱い自分はグランドでは平然を装っていたけど、正直、毎日の練習が怖かったし、緊張していました。練習が終わるたびに、ホッと安心して、また次の日を迎えている自分がいました。
そんな日々も同学年かのように絡んでくる後輩や一緒に頑張っている仲間、ちょくちょく連絡をくれる地元の友達、試合に勝った時のあの喜びがあるからここまでやり切ることができました。
仲間ということで、少し個別に。
GO NAKAGAWAには特に感謝しています。自分は本当は、サッカーに向いてる性格じゃないです。メンタル弱くて、遠慮しちゃって。でも豪の負けず嫌いと声に本当に引っ張られました。最後の1年、豪がいたから辛い練習も乗り越えられました。一緒に出たのは関東リーグの開幕戦と社会人リーグの1試合。関東リーグの開幕戦に整列してハイタッチしたの今でも忘れない。高校の時からずっとありがとう。
また専松メンバーでミニゲームしよう。俺は専松メンバーでやるミニゲームが1番好きだから。
この4年間自分は多くのカテゴリーで、多くの選手とプレーしたと思います。良いのか悪いのか分からないけど、一緒にプレーした全ての人に感謝しています。ありがとうございました。
色んなことがあったけれど、やっぱりサッカーやってきて良かった。
これまでの経験が社会人になって絶対活きると思うし、何より、多くの仲間と出会うことができたからです。
これからもずっとよろしくお願いします。
最後に、両親へ感謝の気持ちだけ。
これまでサッカーを続けてさせてくれて、応援してくれてありがとう。おかげでこれまでのサッカー人生で大きく成長できたし、最高な仲間と出会えることができました。
せめてもの恩返しじゃないけど、もっと試合に出て活躍してるところを見せてあげたかった。
とくに母は、小さい頃から練習を手伝ってくれたり、送り迎えをしてくれたり、自分の気持ちを察して連絡くれたり、あえて連絡してこなかったり。特に気を遣ってくれて感謝してます。ここまでサッカーができたのは間違いなく母のおかげです。
ありがとうございました。
本当に最後、これまでサッカーを通じて出会ったすべての人に感謝しています。
ありがとうございました。