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部員ブログ

2023.12.20
根本健汰
長い旅路を振り返って

こんにちは

本日ブログを担当させていただく、4年根本健汰です。

 

大学1年生の時、4年生の引退ブログを読んでいつか自分にもこの時期が来るのかと考えてからもう3年が経ち今引退ブログを書いているという刻の早さに驚いています。

 

毎年先輩方が書く素晴らしいブログや、現在書かれている同期のブログを読みながら感動と同時にみんな文を書くのが上手いなと感心しています。

 

何を書こうか考え続けたのですがうまくまとまらなかったので、みんなのように綺麗な書き方はできないと思うのですが18年間のサッカーを振り返り素直に綴れたらと思います。

 

 

「プロサッカー選手になる」

 

 

この夢を持ったのは小学校3年生の時だったと思います。

 

成田の田舎で育った自分は父の影響でサッカーを始め、学校終わり毎日夜遅くまでサッカーをしていました。

 

小学4年生になる年に鹿島アントラーズのセレクションを受け合格をもらい、幸いなことに小、中、高まで下部組織の一員になることができました。

 

このアントラーズに入った瞬間から本気でサッカーと向き合う生活が始まりました。

 

 

小、中学では週6で鹿嶋市まで通い家に帰ってくるのが22時の生活を繰り返し、この中学生までの間に海外遠征もいくつも経験させてもらい本来経験できないようなことを経験することが出来ました。この6年間では勝負へのこだわりと継続力の重要性を強く学びました。

 

 

小学校では全国優勝をし、中学では全国2位になるなど側から見たらエリート街道を進んできたように見えるし自分の中でもそう思う場面もありました。

 

ですが現実は甘くありませんでした。

 

 

ユースに上がることはできたのですが、高校3年生までまともに試合に出ることができませんでした。

 

高校3年時にトップチームの練習に参加をして改めてプロの厳しさを知るとともに自分の中でのゴールを明確に見つけることが出来ました。

 

 

そして、先輩方が受け継いできた高校年代最高峰のプレミアリーグを最高学年として闘ってきましたが残留をかけた一戦では怪我でベンチにも入れず応援席で降格の瞬間を味わいました。

 

 

今まで受け継いできたリーグを後継できなかった悔しさより自分がピッチに立つことすらできずに終わったという情けない自分を今でも強く覚えています。

 

本当に後輩には申し訳ない気持ちですが、アントラーズファミリーとして試合情報や結果を見ていつまでも応援しています。

 

 

 

高卒でのプロサッカー選手の夢を達成できなかった悔しさを胸に大学の4年間でプロになるという目標を持って専修大学に入学しました。

 

しかし、プロサッカー選手になるというのはそう甘くはなく結論プロサッカー選手になるという夢を叶えることができず終わってしまいました。

 

それは4年間通してAチーム、A2を行き来するような選手だったからです。

 

1年時は最初からAチームに帯同しながらも試合に絡むことができずにただひたすら厳しい練習についていくのが必死でした。1年生の時から試合に絡んでいる同期を見て悔しいという思いもありましたが、正直自分はまだ1年だし出られなくてもいいや。と言い訳を言い聞かせていました。

 

そんな自分が試合に出ることもなく2年時には「第5中足骨骨折」をしてしまい完全復帰まで約6ヶ月の期間を無駄にしてしまいました。

 

そこからは自分で試行錯誤しながら2年の終わりには新人戦の全国大会優勝という結果を残し2年を終わることが出来ました。

この年はAチームでプレーをした時間よりA2でプレーした時間のほうが長く、関東リーグで闘っている先輩や同期のプレーをYouTubeでよく見ていたのを思い出します。

 

3年目も足首の靱帯損傷や肉離れなど調子が良くなったと思ったら離脱するということが多くありました。周りの人からも「また怪我?」という言葉を聞いて何も言えない自分が悔しくてたまりませんでした。

 

そして、スポーツ推薦の自分以外の同期が試合に出て活躍している姿を見ることしかできずただ悔しい思いで3年目も終わってしまいました。

 

上級生が卒業をして最高学年になってからの1年はどの年よりも早く感じたのは間違い無いです。

 

気づいたら大学サッカーがラスト1年となりそれと同時に進路も考えないといけない年になっていました。今まで口では、[プロになるんだ]と言っていたけど、プロが決まる同期もいれば、就職をするという人も増え「就活」という言葉をよく聞くようになり、内心焦りながらとりあえず自分も就活をしようと思うようになりました。

 

ですが、プロになるという覚悟と自分の正直な気持ちに素直になれずサッカーも就活も中途半端に両立をしてやっていた自分がいて、いつの間にかプロになるという目標を怪我なども言い訳に自ら遠ざけてしまっていました。

 

それは自分の覚悟の無さとメンタルの弱さがそうさせてしまったのだと自負しています。

 

その後実際に4年生にも関わらずA2に落ちたというのが自分の現状でした。

 

当初、1週間くらいは練習ができないメンタルであったしもうサッカーをしないでもいいや。とも思ったのですが、諦めきれなかったのは寮生を含め仲間がいたからです。

 

試合に出る、出ない関係なく最後まで一緒に戦いたいと思わせてくれる同期の仲間がいたからこそどの立場でももう1度戻ってプレーしようと思うことが出来たのだと思います。

 

Aチームから落ちてきた自分を暖かく迎えてくれて一緒にプレーをしてくれたA2の後輩達とサッカーの楽しさを教えてくださった森さんには本当に感謝しています。

ありがとうございました。

 

仲間のおかげで幸いAチームに戻り最後のリーグ戦とプレーオフに出場することが出来ました。

 

 

そして12月2日土曜日の順天堂大学戦

 

勝利というのが絶対条件の中で仲間のおかげで勝ち越していた中、FKで同点にされ結果は2-2の引き分けで昇格をすることが出来なかった。

 

自分があの場面で手に当たらずハンドをしていなかったらと思うと何度も後悔しても後悔仕切れません。

 

自分達の代は4年間悔しい思いをしてきた分、後輩には一つでも上のレベルで戦わせてあげたかったです。

 

本当に仲間含め、後輩には申し訳ないという気持ちしかありません。

 

 

そして、試合終了の笛と同時に4年間のサッカー人生が終わりました。

 

終わってみると後悔ばかりが思い浮かびます。

もっと怪我をしない体を作っておけば良かった。

もっと自分のプレーが常に出せるようなメンタルを持てていたら。

もっと言い訳をせず自分と向き合えていたら。

そうすればもう少し違った道も見えてたのかなと悔やみます。

 

ですが決して後悔ばかりではないと思っています。

 

サッカー部の中で誰よりも整骨院に通い体のケアをしていた自信があるしパーソナルトレーニングも毎週欠かさず行い練習、試合前の食事の管理などサッカーにおける準備というのは自分でも言えるくらい自信がありその行動に対しては後悔ありません。

 

そしてどの立場になってもチームのために腐らずやり続けられたというのは高校時代までのアントラーズで学んだ「ジーコスピリット」と高校時代の恩師の教えがあったからだと思います。

 

自分の思い描いていた大学4年間とは違うものだったかもしれませんが、夢に向かって最後まで努力をし続け仲間と苦楽を分かち合ったこのサッカー人生を誇りに思います。

 

そして、サッカーをしていなかったら絶対に出会うはずのない仲間と出会えたことに感謝します。

 

 

後輩へ

自分は他の先輩に比べて多くのカテゴリーでプレーをしたので関わる人も多くいろんな人とサッカーができて良かったです。

ですが、自分は後輩にも助けられてばかりだったので特に言えることはないのですが一つ言えるとしたら、今後上手くいかずどの立場、立ち位置になっても腐らずチームのため、個人の目標のために諦めずやり続けて欲しいということだけです。

みんなには本当に期待しています。

 

 

寮生へ

2月15日に入寮して初めて全員で食べにいった大戸屋が今では懐かしいですね。

自分はいじられることも多く何度か寮生活が嫌になることもあったけどなんだかんだ最後までみんなと過ごせて良かったと思っています。思い出しかない寮生活をありがとう。

 

Bチームでプレーをしていた4年生も4年間ありがとう。練習の合間とか走っている最中に話しかけてきていじってくることが多かったけど内心は嬉しかったよ。

 

本当は一人一人書きたい人や書きたいこともあるのですが長くなりすぎてしまうのでここで終わりにしときます。

 

長々と個人のまとまりのない文になってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

今後も専修大学サッカー部の応援の程よろしくお願いします。

 

4年間ありがとうございました。

 

根本健汰

 

 

両親へ

 

普段感謝の言葉を言う機会がないのでこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

幼い頃から体が弱く入院生活ばかりだった自分に1日も欠かさず会いにきてくれて運動なんてできるわけがない自分をサッカーができるまでに成長したのは母の支えがあったからだと思います。

小、中学校では学校終わりに往復2時間かかる鹿嶋までの送迎を週6でしてくれて帰るのが時には23時を超えても嫌な顔をせず卒業まで送迎をしてくれました。今考えてみるとありえないくらい運転をしてくれていたと驚いています。

小、中学までは周りの人に比べて食事が食べられなくてコーチから母へもっと食べさせるよう指導が入ってしまった時は申し訳なかったです。おかげで高校までには克服できました。

 

高校では、初めての寮生活をしたときに陰ながら多くのサポートをしてくれました。治療院に行くためのお金や生活用品など生活の支えがあったからこそ3年間サッカーに集中して取り組めました。

毎週末はわざわざ試合を見にきて会いにきてくれてありがとう。高校最後の試合は出ている姿を見せられなくて今でも悔しいです。

 

大学では、何不自由なく好きなことをやらせてくれました。自分でもわかるくらい高い学費や寮費など経済面でのサポートがあったからこそここまでサッカーを続けることが出来たと思うので本当に感謝しています。

大学サッカーでは、コロナの影響もありプレーをしている姿を見せられなくてごめんなさい。正直、自分はプレーを見られるのがあまり好きではなく自分から呼んだ試合はなかったと思います。

ですが最終節の神奈川大学戦。4年目にして初めて専修のユニフォームを着てプレーしている姿を見せることができてよかったです。

今だから言えることですがプレーをしながら観客席に座っている母の姿を見た時は試合中ながらも涙が止まりませんでした。

プレーについて何も触れてこない母だったけどもっとプレーしている姿を見せたかったと一番の後悔をしています。

これからは呼ぶようにします。

 

サッカーというスポーツに出会わせてくれてありがとう。父からの厳しい指導がなければ今の自分はいないと思っています。

誰よりもプロになって欲しいと思っていたのは知っています。

だからこそ本当にプロになりたかった。

自身の夢でもあり父の夢でもあるプロサッカー選手になれず期待に応えられなくてごめんなさい。

大学までプロを目指し夢を叶えるためにここまで努力を続けてこられたのは父のおかげです。

大きな夢のきっかけをありがとう。

サッカーはまだ続けるので変わらず応援してほしいです。

 

2人にはこれからも迷惑や心配をかけると思いますがよろしくお願いします。

2人の息子に生まれて幸せです。

 

健汰

 

祖父母へ

サッカーを始めた時から現在まで一番に可愛がってくれてありがとう。大学サッカーラストの試合で元気にプレーしている姿を最後に見せることができて本当に良かったよ。

いつも気にかけてくれてありがとう。これからは今まで以上に会いに行くね。

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