こんにちは。
今日は5月最後の日となりましたね。寒暖差が大きいので体温調節、水分補給に気をつかい、脱水症状、熱中症には十分気をつけましょう!
今日も朝練ではスクイズボトルに氷をガンガン詰め込むマネージャーの姿が見受けられました。今日のような暑い日に冷たい水が用意されてるのは当たり前のことと思うのではなく、マネージャーに感謝の気持ちをもって日々練習したいと思います^ ^
ところで、今日は先日、私が受講している社会科学論の授業で扱われた「幸福」について書きたいと思います。
あなたに男の子の小学生の子供がいたとします。彼は家に引きこもり、テレビゲーム漬けの毎日を過ごしており、一生テレビゲームをしていれば満足だと言う。あなたは非常に裕福なので、子供が将来にわたって働く必要はない。この子供を「幸福」と言えますか?
人それぞれ「幸福」と思う瞬間は違うと思いますし、「幸福」には様々な種類があります。本人が幸せであると思っていればそれでよいのか?必ずしもそうとは言えないのか?人間の真の「幸福」または善き人生とは「主観的」なものか、それとも「客観的」なものか?みなさんはどうとらえますか?
「幸福」を「主観的」なものと捉えたとき、上記のような少年は「幸福」であることになります。自分だけが満足するということが「幸福」だという考え方です。言いかえると、自己満足的な考え方かもしれません。
逆に、「客観的」なものと捉えたとき、上記のような少年は「幸福」とは言えず、毎日学校に通い、成績が良く、友人にも恵まれ、部活動で辛いことも経験しながら生活しているような少年、すなわち周りから評価され、認められているような少年が「幸福」だということになります。
「主観的」は本人が幸せと感じてるからいいのか、いやそれとも周りから評価されてる「客観的」な「幸福」の方がいいのか、考えれば考えるほど難しいですね。
次回は「自由」について書きたいと思います。私の意見はその「自由」をふまえた上で述べようと思います。
果たして自分は今、本当に幸せと言えますか?