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部員ブログ

2020.06.09
岡田望
自分−サッカー=?

こんにちは!岡田望です。
今回は「自粛期間中に意識的に取り組んだ読書」について、綴りたいと思います。私がこのブログで伝えたいメッセージは、「一人の人間としてサッカー以外に誇れる武器やビジョンを持っているか」ということです。長く一貫性のない文章ですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
 
現在、平均寿命は伸び続けており、私たちの年代の50%以上は、100歳まで生きると言われている。人生100年時代。そんな中で、自分の中に確固たる軸も目標もなく、ただ漠然と生きていくのは、退屈すぎる。プロを目指して大学サッカーの門を叩き、サッカーに熱狂してきた私たちなら尚更だ。しかし、私たちはいずれサッカーから離れることになる。プロに行けば30〜40歳前後、その他の体育会の選手は、あと数年で真剣にプロを目指すサッカーを終えるかもしれない。(もちろん、指導者としてサッカーに携わる人もいると思う)
 
そこで私は、自粛期間を通して今まで考えたこともなかった「自分−サッカー=?」について、深く向き合ってみた。
 
結果は…「ほとんど何もない」。
 
サッカー以外に本気で熱狂できることや確固たる軸、知識、思考力などを含め、何もないというのが素直な結果だった。つまり、サッカーを引いた私はソクラテスの言う「無知の知」である。なんとか自分を深掘りし、無知な自分の思考力を磨きたいと考え、私はこの自粛期間で本を読み始めた。本は先人たちの思考や失敗を教えてくれるため、このような媒体を使わない手はないと思い、読書を始めた。朝5時から本を読み、昼に自主トレをして、また本を読みの繰り返し。読書をしながら、重要だと思った考えをメモしてみた。それを振り返りながら、自分が読書をして感じたことを、三つのテーマ分けて言語化していきたい。

①軸の設定の仕方
②物事の見方
③具体化思考と抽象化思考

①軸の設定の仕方
「終わりから想像する。」
自分の中に不変の軸を作るには、この「終わりから想像する」ことが重要だと考えている。ここで言う軸とは、どんな不確実な時代になろうとも、不変の強さを持ち、人生の方向性を決める判断基準である。
 
では、具体的にどういうことか。
 
それは、自分が死ぬ時に他者にどのような言葉を述べてもらいたいか=成功である。言い換えれば、他者にどのように思われて、人生の終わりを迎えたいかである。私は家族や友人に惜しまれて、悲しまれて人生を終えたいと強く思う。そのためには、自らの行動で他者に影響を与えなければならない。そう考えると、自然と「他者に影響を与える」という軸が、自分の中に生まれる。この軸が、自分の中心となり、成功の基準になる。そのため、私の中では「お金持ちになること」や「高い地位につくこと」は成功ではなく、単なる自己満足であることが分かった。人に価値を与えなければ、何を成し遂げても成功とは言えない。
 
「何のために生きているのか?」と聞かれて、なかなか答えられないのは、この軸が明確になっていないからだと思う。自分が望む終わりを思い描き、この軸が決まれば、必然的にどの方向にどんな目的で一歩を踏み出すのかが明確になる。そして、この軸は、自分の動機、日々の決断、行動、物事の捉え方に大きな影響を与える。
 
②物事の見方
私たちは、物事を観る時、自分のフィルターを通してしか、その事象を観ることができない。というのも、私たちを取り巻いている環境自体が偏見で埋もれているからだ。具体的に、メディアは偏った悲劇的なニュースばかりを伝える傾向が強く、GoogleやFacebookなどの検索エンジンは、個人の検索の傾向から情報をピックアップしている。同じキーワードを打ち込んでも、人によって出てくる情報が違うのは、それが原因である。また、同じ考えを持つ人は固まりやすく、そうしたコミュニティーは特定の考え方の形成を加速させ、それを確固たるものにする。
 
よく「考え方を変えなさい」という大人がいるが、私はこの考え方には無理があると思う。なぜなら、考え方を変えるためには、まず物事の見方を変えなければならないと思うからである。物事の見方が変わって、初めて考え方や行動が変わる。こうした物事の見方の変化は、特定の思考パターンからの脱却に繋がり、自分に劇的な変化をもたらす。実は、こうだと思い込んでいたことも、疑って調べてみると、意外と最初に思っていたこととは、違ったという経験がそれに当たる。

サッカーで例えると、もっと分かりやすい。サッカーのプレーは、一般的に状況把握→状況判断→実行の三つで構成されているが、状況把握が物事の見方、状況判断が考え方、実行が行動である。つまり、状況判断や実行を変えるためには、状況把握の部分(眼)を変える必要がある。イコール考え方や行動を変化させるためには、物事の見方を変えなければならない。考え方や行動の根幹には、物事の見方があることを理解しておく必要がある。もっと言うと、物事の見方は、①で述べた軸次第で大きく変わる。

③具体化思考と抽象化思考
ある時、本を読んでいて気付いたことがある。それは、ただ本を読んでいるだけで、それを自分のどんなアクションに落とし込むかが、明確ではなかった。そこで私は、具体と抽象の概念を身に付けることによって「本の内容の吸収(インプット)→自分の行動の変化(アウトプット)」という、この流れの再現性を高めることが重要だと考えた。本の内容は、汎用性が高い抽象的な表現か、具体的な作者の原体験がストーリーベースで書かれているかである。もとより、世の中にある全ての対立概念が、具体と抽象の二つで成り立っていると考える。本が具体で書かれている時は、「具体(本の内容)→抽象化(自分の頭の中)→具体(自分の行動)」という思考の作業が必要で、逆に抽象で書かれている時は、「抽象(本の内容)→具体(自分の行動)」という思考の作業が必要である。

よく「もっと具体的に」と言う人がいるが、それは時と場合である。具体化思考は、物事を深掘りする時や目的を成し遂げる時の具体的な手段としては有効だが、汎用性が非常に低い。例えば、試合のハーフタイムの話し合いにおいて、「前半のあのプレーの時、相手の何番が右からプレッシャーをかけてきていたから、こう動いて欲しかった」という議論を聞いたことがないだろうか。たしかに具体的な議論をしているかもしれないが、そのプレーは何万通りあるシチュエーションの一つでしかない。具体的すぎるが故に、後半はどういう方向性でどのような戦い方をするのかが、明確になっていないのである。つまり、結局何が言いたいかというと、物事について思考する時は、具体→抽象→具体のプロセスが重要だということである。具体化だけでなく、一見悪いと思われがちな抽象化の思考を持つことによって、「一を聞いて十を知る」というように応用力が上がり、様々な事象を学びに変えられるのではないだろうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。私は今まで上記のようなことを考えたことは、一度もありませんでした。三つのテーマに分けて書いてきましたが、このような言葉にできない暗黙知を言語化できるようになったのも、読書をする中で、自分を客観的に見つめ、意識的に思考し続けたからだと自負しています。「自分−サッカー=?」について深く向き合ったことで、自分がいかに無知であったかを知り、それと同時に、どれだけ自分の中心にサッカーがあって、サッカーができる日々がどれだけ幸せか、身を持って実感することができました。

今シーズンは、変化が多く、大変ではありますが、部員全員で力を合わせて乗り越えていきます。今後とも専修大学サッカー部の応援、宜しくお願いします。

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