色が変わりゆく紅葉が、
散り果てる瞬間を切り取ると、
サッカーっぽい人生が、
サッカーっぽい僕が、
もう時期
死んでいくことを予感させる。
きっとこの冬が、
サッカーな僕が、
ピッチを駆け回る最後の瞬間になるだろう。
そのリアルは意外にも早く、
そして儚(はかな)く、脆(もろ)い。
今の僕には
ゴールテープの切り方を
選んでいる余裕などなく、
一瞬を必死に生きるほかない。
そんな僕を見事に支えてしまう両親は
偉大だったりする。
先に言っておくが、
この文章にペルソナは存在しない。
異常なまでにサッカーに奮い立つ同期、
少年のようにサッカーに魅了される後輩、
理想と現実の狭間で踠き続ける大人、
本当に誰でもいいから、どんな境遇の、
どんな人でもいいから。
誰かをモチベートできれば、
誰かの明日の活力になれば、
それだけでいい。
一度目の負けは猛烈なまでに悔しくて、
でも二度目、三度目と次第に悔しさが
薄れていくわけで。
そして、大人になるに連れ、
セーブが効かなくなるほど感情を昂(たかぶ)らせることも、
何かに精を出すことも少なくなる。
華麗なまでに組織に溶け込み、
自我を果てなく殺す。
そんな、つまらない人生を、
殺風景で素朴なレールを、
過ごしたくない、歩みたくない、
と想いつつ、
また空気を読む自分を、
繕った自分を、
今日も見事に完遂して魅せる。
大学3年まで、
トップチームに交わることすらない日々に浸かり、
こんなはずじゃない、と、
どこか自分に言い聞かせながらも、
心底諦めてる自分がいた。
悔しさを忘却した自分がいて。
組織に似せようとする自分がいて。
空白の時間を蓄積する自分がいて。
活躍する同期や試合に出る後輩への
競争心が羨望の眼差しに変わっていく。
リアルと理想のギャップに押し潰され、
狂うように就活する自分もいたりして。
そんな自分を
一生懸命に作った笑顔で誤魔化す。
幼少期から自分の感情にだけは
素直に、誠実に、
生きてきたはずなのに。
嘘をつかなかったはずなのに。
自分に対しても嘘を並べる
自分がいて。
大人な対応とすら言えば
スッと聞こえるかもしれないが、
同時に
自分が死んだ瞬間でもあった。
その道半ばで、自分とは何者か、
何度も再定義した。
そんな3年間を過ごし、
迎えた4年目。
関東リーグのピッチに
僕の姿はあった。
しかし、
試合に出ることを目指してきたわけなのに、
そんな姿を必死に追って来たはずなのに、
何かどこか物足りなく、
鏡を見る必要すらないほど
自分の表情が虚ろな事がはっきりと分かる。
今にも口から漏れそうな
こんなはずじゃなかったを、
止めるのがやっとなわけで。
大変長らく、
試合に出る感覚を、
忘れていただけなのか。
試合に出る自分を、
強烈に溌剌(はつらつ)とした自分を、
そんな感覚を、
蘇らせることができれば、
また自分の中の自分は輝けるのか。
その瞬間が来る未来を辛抱したが、
いつまで経っても来ることはなく、
来る予兆すらなく。
毎朝迎えに来る電車が
サッカー人生の終わりに
僕を連れて行くかのように。
言葉とは
その人に必要なタイミングで
必ず入ってくる。
ある朝、
練習に向かう途路で、
ボーッとしていると、
ある問いが浮かんできました。
なぜ
サッカーをしているのか。
・指導者に認められるため
・試合に出るため
・プロになるため
色々が言葉になるが、
その全てが、
今の僕には
どうでも良いとすら感じた。
でも
なかなかしっくりくる答えは
見つからなくて。
そんな中でも、
下位に沈むチームのために、
試合に使ってくれる監督のために、
ピッチでは表現するしかないわけで。
サッカー人生、
約20年間。
どの時代のどの瞬間を切り抜いても、
隣には心からサッカーに熱狂するヤツがいて、
強烈なまでにやり遂げてしまうヤツがいて、
そんなヤツに負けたくないと想う自分がいて、
そんな瞬間が、
輝いていないわけなんてなくて。
そんな歩みを、
ダイジェストしていると、
突然一つの、
たった一つだけの、
僕自身だけの理想の状態が閃いた。
自分の姿で周りの人をモチベートし、
勝利に導くこと。
(模範たり得ること)
これしかない!
部屋の中で探していた
パズルの、最後の一ピースが
見つかったかのような感覚だった。
最適解は、いつも
突然やってくることに
今日も気付かされる。
それとも、
自分と向き合った代替物なのか。
古々しく
壊れた時計が、
また動き出した。
この解こそが、
このたった一つの状態こそが、
僕の目指していた状態だったことに
今になり、ようやく。
そこから潜在意識が
変わりました。
試合に出ることは手段でしかなくて
本当の意味は
夢の意味は
周りの人を勝利に導くこと。
一つの発言が、
ファーストプレーが、
チームにエネルギーを、
勢いを、
もたらすわけで。
そして、
その熱は隣のヤツに伝染したりして。
そこから、
発言が変わり、
プレーが変わり、
試合開始1分の
守備のチェイスで浴びる
鳴り止まない喝采、
そしてベンチから声がかかる。
のんたんナ〜イス!
この感覚が何よりも、
大切だったりする。
この感覚こそが、
潜在意識のもっともっと下で、
誰も分からない領域で、
無意識な空間で、
チームメイトの、ベンチの、観客の、
なんか今日行ける!に変わる。
その一瞬が、
90分後の勝利と充足感に
大きな変化を遂げる。
そして、
その結果は数字で出てくるわけで。
それがサッカーの宿命であって、
僕がスタメンの時の勝率は圧倒的に
高かったり。
根拠のない自信になったりして。
20年間もサッカーをしてきて、
なんで自分の存在価値に、
サッカーな人生に打つ理由に、
気づかなかったのか。
きっと、
考えるのが面倒だったから、
なんとなく満足してきたわけだから、
現状に縋(すが)り付く自分がいたわけだから、
余計に見つからなかったのかもしれない。
そんな人生観を、
この先、
父親として、
奥さんや息子、娘を連れて
遊びに行く週末でも、
サラリーマンとして
仕事終わりに同期とお酒を飲む居酒屋でも、
何かにチャレンジする時でも、
どんな瞬間でも変わることのない、
不変の人生観を、
最後の最後に
サッカーから学びました。
約20年間、
サッカーな人生に異常なまでに
熱を注ぎ込んできた僕への
サッカーがくれた最後の
プレゼントかもしれません。
サッカーを一言で表現すると、
「感謝」
しか浮かびません。
サッカー
それは僕の全てであり、
人生でした。
ありがとう、
そしてさようなら。
序章は終わり、
新たな章が始まる。
そして、
次章の方が明らかに
長く、遠く、険しいことは、
なんとなく想像がつく。
これまで以上に、
一気通貫して挑戦と変化を
生み出すフェーズに突入するだろう。
知らない場所で、
知らない組織で、
知らないヤツと、
知らない人のために、
汗を流し。
ただ、今の僕には
どんな環境でも
活躍する自信があります。
なぜなら、
サッカーから学んだことが、
糧になると確信しているから。
サッカーから最後の最後に
大切なプレゼントを貰ったから。
サッカーから学んだこと。
それは、
毎日自分との約束を守り続けることです。
コーチや監督は
誤魔化せても、
自分だけは
誤魔化せなくて。
自分だけは
いつも自分を見ていて。
一瞬の緩みや怠惰が
戦局を決別することも
嫌ほど突き付けられてきた。
そして、
量だけでは弱く、
質だけでは脆いことも。
どんなに組織に溶けても
それっぽい感じで上手く演じても、
自分だけは見ているから。
毎日自分との約束を守ること。
その約束の積み重ねが、
自らの承認のコップを満たし、
溢れた水が「自信」になること。
その自信が勝利や挑戦の、
源泉になること。
その勝利と挑戦の果てに
論理的に説明しようとしても、
説明できない瞬間が待っていて、
その瞬間こそが
感情が動いた瞬間であり、
自分にとって大切な感覚である。
サッカーから学んだことは
他にも。
洞察と感覚を深化させ続けること。
リアルと理想の差を埋める作業を
努力と呼ぶこと。
アクセルとブレーキを
交互に踏んで進むこと。
熱は伝染し、
組織を変えること。
自分の副音声を聞くこと。
時に立ち止まること。
時間を忘れて没頭すること。
心から感謝すること。
そして、最後の最後に
必要とされなかった悔しさも。
組織のために何もできず
降格の瞬間を迎える無力さも。
プロセスは無意味で
結果が全てなことも。
そして、
この鬱憤は
次章で晴らすしかないことも
痛感した。
綺麗なことばかりではなく、
憎さも後悔も無力感も
全て纏めて僕のサッカー人生でした。
そんな
サッカーから学んだ全ての財産を糧に、
1日、1週間、1ヶ月、1年の密度を
最大化する自信が、
時間の経過が寂しく感じる人生を
歩む自信がある。
そして、
自分の姿で周囲を勝利に導く。
この不変的な価値観を
自分自身の存在価値を
大切にしながら
長い長い次章を
強く、逞しく、勇敢に、
生き抜いていくことにする。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今の僕の気持ちを素直に綴りました。この文章を読んで、誰かの明日が晴れることを切に願っています。
最後に専修大学サッカー部の同期のみんなへ
特にラストシーズンを共に過ごしたAチームのみんな
流樺
キャプテンとして責任感が強い一面と私生活の脱力した一面のコントラストを持つ男。オンオフがはっきりしているところが尊敬できました。
隼
実はかなりの負けず嫌いで勝負に対して異常なまでにこだわるその姿勢はサッカーの基礎をもう一度認識させてくれました。時々出るギャグは最高です。
郡司
本当に頼りになる男。ここぞという時の信頼感と勝負強さは一級品。意外と適当な部分もかなり好きでした。
慎太郎
いつ見てもふざけてるけど、本当に熱い男だなと思う。その熱さと面白さと高さを武器に次の舞台でも頑張って。
大助
色んな面で「やばいやつだな」と思ったけど、一つに対して情熱を注げるその真っ直ぐな姿勢はとても尊敬できました。ありがとう。
赳瑠
なんでも器用にこなしてしまう天才肌。普段すごい適当だけど、実は内側で熱い思いを持っている男。A23年間、A1年間ありがとう!
安野
とにかくサッカーIQがめちゃめちゃ高い。戦術で分からないことがあると、安野を参考にしていました。酒癖は非常に悪い。
太一
淡々としているけど、本当はかなりの負けず嫌い。そして面白い。太一の行動や発言はかなりツボでした。
元希
唯一の通い仲間としてラストシーズンありがとう。おそらく帰り道も含めて一番会話した。くだらないトークがとても楽しかったです。
みんなとラストシーズンを過ごせて幸せでした。本当に勝てない時期が続いて4年がもっとやらないとっていう責任感もあったと思うし、辛かったと思うけど、みんなとだから最後までやり抜くことができたと確信しています。そしてこの学年で大学サッカーができたことを誇りに思います。同期のみんな、本当にありがとう。
サッカー好きな後輩へ
最高の舞台を用意してあげられなくてごめん。俺らの何倍もサッカー好きで熱心な君たちなら、必ずやれる。強い専修大学体育会サッカー部を取り戻してください。
その他にもマネージャー、源さん、増田さん、アズくんにこの場を借りて感謝の気持ちを伝えさせてください。この組織で、専修大学体育会サッカー部でサッカー人生の終わりを迎えられたことを誇りに思います。ここでの経験は人生の財産になると確信しています。本当にありがとうございました。
最後に
闘病中の母へ
4月から闘病生活が始まって半年が経過しましたね。正直、何度も病院に行き寝ないで練習に行く日もあったけど、何度倒れても起き上がり懸命に生き抜くあなたの姿があったからこそ、最後まで頑張ることができました。小学生の時、親父が単身赴任の中で毎日サッカーの送り迎えをしてくれて、栄養のある食事を考えてくれて。何度もぶつかったけど、本当に感謝しています。尊敬しています。19年間、サッカー人生を支えてくれてありがとう。最後に一つだけ。試合で躍動する姿を生で見せられなくてごめん。これから少しでも、恩返しできるように頑張ります。
父へ
いつも自分に客観的なアドバイスをくれましたね。あなたがいなければ、ここまで来ることはできませんでした。海のように広い器を持ち、人に優しく、そんな人間になりたいと心から思いました。何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう。大学にいかせてくれてありがとう。好きなことをさせてくれて、自分で自分の道を歩めと言ってくれて、自由闊達ながらも厳格な教育を与えてくれて、本当にありがとう。
“強くなければ生きられない、
心優しくなければ生きる価値がない”
この言葉は一生胸に刻みます。
この場を借りて両親や日々僕を支えてくれる人、これまで僕のサッカー人生に関わってくれた全ての人に感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。
サッカー
それは僕の全てであり、
人生でした。
かけがえのない財産です。
この先もそれが
変わることはありません。
本当にありがとう。
そしてさようなら。
岡田望