選手 Player

部員ブログ

2021.11.06
増田慎太郎
当たり前じゃない

こんにちは。

四年の増田慎太郎です。

とうとう最後のブログとなってしまった。
これが俗に言う「引退ブログ」というやつかと、止まってくれない時の流れの早さに困惑している。
私は今年、基本的にエーツーチームで活動していた。目標であったチャンピオンシップへの道が断たれ、10月31日で引退が決まってしまった。このブログは、泣きじゃくった引退試合の帰りの電車の中で書いている。
何を書こうか迷いながら、4年間で感じたこと、考えたことをうまく伝える言葉が見つからず、書いたり消したりを繰り返している。(かれこれ5時間かかった)

拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください。

電車の中で目を瞑る。
18年間のサッカー生活に区切りをつけた自分は、どう思っているのか、1番に浮かぶ感情はなにか、自分に問いてみた。

「楽しかった」

真っ先に浮かんだことは、「楽しかった」という感情だった。

今のチームメイトは驚くかもしれないが、正直、高校までのサッカー人生で、サッカーを辞めようと思った事が何度もあった。(実際に小5と中2の冬に監督に辞めますと言いに行ったことがある)

そんな辞めたい病だった高校までとは対照的に、大学サッカーでは辞めたいと思ったことは一度もなかった。

チームメイトに何度も質問される。
「4時に起きて電車で2時間もかけてキツイ練習して帰るって、おまえやばくね?」

家が幕張にあり、実家通いだったため、毎朝始発に乗って朝練に通っていた。夜9時には布団に入り、朝4時に起きて食事と着替えを10分で済ませ、原付で20分の駅に向かい、2時間電車に乗る。普通の大学生とは思えないような生活を4年間。

グランドの近くで一人暮らしをしているチームメイトからしたら不思議でしょうがないのだろう。

全くキツくないと言えば嘘になるが、別に苦ではなかった。

その理由はシンプルだ。

グランドでの時間がそれ以上に楽しかったから。
向ヶ丘遊園からグランドへ向かう元希との会話。(彼の口から出てくる8割が文句)。

練習前のチームメイトとの会話。
練習での紅白戦。練習後のボール回し。自販機前での会話。帰り道に行った元希とのラーメン。慕ってくれる後輩。心強い同期。

挙げればキリがないほど特別な思いがある。
僕が辞めたいと思わなかったのは、このグランドで笑える日々があったからだろう。
決して当たり前じゃない。
最後の日を迎えて切実に思う。
心の底から楽しかった。僕はチームメイトに恵まれた。
みんな本当にありがとう。

「当たり前じゃない」

僕は、同期のみんなよりもこの日々を特別だと思っている自信がある。

僕は優秀な同期と比べれば、なんの経歴もない無名選手だ。
中学では試合に出ることができず、高校は県の一回戦で負けてしまうようないわば弱小チーム出身の平凡な選手だ。

過去に遡るが、高校時代、僕はチームメイトから浮いていた。

僕の出身校は決して強豪校ではない。
プロサッカー選手を目指している選手は1人もいないし、高校サッカー選手権を本気で目指している選手は誰もいなかった。

ふと高校サッカー選手権に出たいと言うと、チームメイトから「出られるわけない、ばかじゃね」と言われてしまう。
練習が始まってもスタメンの選手が部室でスマホをいじり、マネージャーが怒るなんてことも何度かあった。
唯一サッカーの話ができたキャプテンの人と試合の内容について話していると、「あいつら練習終わったのにサッカーの話してるよ。アホだよな」なんて声が聞こえて来る。
こんなエピソードを挙げればキリがないほどの環境だった。

これが高校までの僕の「当たり前」だった。

だからこそ大学では関東一部リーグに所属していた専修大学を選んだ。

こんな強豪を選んで大丈夫だろうか。と不安になるとこもあったが、当時の僕の選択は間違いではなかったと断言できる。

当たり前のようにプロサッカー選手を目指す志の高い仲間がいて、練習後も終わりと言われるまで練習できる仲間がいる。練習が終わってもサッカーの話ができる。サッカーが好きなチームメイトがたくさんいる。その中で練習ができる。

みんなにとっては当たり前かもしれないが、今までが苦しかった僕にとって、このサッカー部は最高の環境だった。

何も知らない人が僕に質問する。
何で大学まで行ってサッカーやってるの?
遊びたくないの?

この質問に対する僕の答えはシンプルだ。
この仲間とサッカーができるなら、他のことを犠牲にしてもいい。ハッキリと言える。

そう断言できるくらい僕は同期のみんなが大好きだ。悪い奴なんて一人もいない。
プロに進む人、就職する人、海外へ行く人、バラバラになってしまうけれど、それぞれのステージでの活躍を心より願っている。
僕を受け入れてくれて本当にありがとう。

この4年間、全ての出来事が良いと言えるほど順調に進んだ訳ではない。目標としていた関東リーグに出場することはできなかった。
これは僕の心の弱さ、完全に実力不足が原因だ。
僕を応援してくれた人たちを裏切ってしまった悲しさは強く感じるが、悔いはない。
言い訳かもしれないが、目標を達成する以上に僕は幸せ者になることができた。

振り返れば4年間、本当に幸せだった。
特に、最後のエーツーで過ごした1年間は、本当に最高だった。

産業能率大学との練習試合で人生初の寝坊をしてしまい、Aチームから落とされ、エーツーのキャプテンになったことが始まりだった。

寝坊した次の週、源さんからエーツーはお前がやれと話された。実質、もうAには必要ないという勧告だった。

入学当初からの目標であった関東リーグ出場を達成できない悔しさと情け無さが込み上げてきたが、それでも最後の一年を必死に良くしようと頭を切り替えた。

僕は鳥羽くんのようにチームを引っ張るキャプテンシーもなく、強く物事を言えるキャラでもないため、まずは誰よりも明るく元気にいようと心がけた。
みんなからは変な奴に見えていたかもしれないが、キツイとき、ツライときこそ笑顔でいるということを自分との約束とした。
正直無理しているときもあったが、今年一年はずっと明るく振る舞えたと思う。
本当は真面目で根暗な自分を褒めたい。

僕はエーツーでの試合が大好きだ。

特に、誰かが点決めたらほぼ全員肩組んで喜ぶ所。(センターバックなのに峻と豪が走って抱きついてくるの結構好きでした。)
毎試合点がちゃんと入るし、内容も狙ってんのかってくらい逆転勝利ばかり。
やっさんがコンセプトとしていた2点取られたら3点取って勝つチーム。コンセプト通りのチームになれたと思う。
やっさん、この一年はやっさんのおかげで最高のものになりました。
これからの健闘を祈っています。
本当にありがとうございました。

特に最後の引退試合。

人生最高の試合をしてしまった。
首位相手にロスタイムで3-2逆転勝ちはアツすぎる。前日に神社で神頼みした甲斐があった。
こういう試合があるから引退したくなくなる。個人的に大好きな後輩が活躍して嬉しかった。天才タケロウくんには困ったものだ。気持ちよく引退させてくれてありがとう。君の四年後が楽しみだ。
健太の献身的なプレーにも感動した。仲のいい健太と同じサイドでプレーできて嬉しかった。
あと2年、健太の活躍を祈ってるよ。ありがとう。

同時に、エーツーの後輩たちには頑張ってほしい。エーツーにいてはいけない才能が揃っている。今はエーツーにいるからといって、自分を否定しないでほしい。
青学戦前やっさんが言っていたように、自分を信じて努力する人間は、どんな形であれ必ず報われると僕も信じている。
どんな辛いことも笑顔でやっていれば、必ず誰かが助けてくれる。いまの仲間を大切に、みんななりの四年間を貫いてほしい。
後輩全員、関東リーグとは言わず、プロの世界で活躍する姿を見ることを期待している。
何かあったらいつでも連絡してきてくれ。朝早いのでくれぐれも寝坊には気をつけて(笑)

そしてエーツーの同期へ。

サッカーの本当の楽しさを教えてくれてありがとう。
誰かのために必死に走ること。
チームの勝利を損得なしに喜べること。
目標のためにチーム一丸となって努力すること。
君たちとじゃなければ味わえてなかったと思う。君たちの笑顔が見たいから頑張れた。
間違いなく最高の仲間だ。最後にみんなとプレーできて本当に本当に良かった。
でもまだ100試合くらいみんなとサッカーがしたい。
こっそり北グラでサッカーやろう。(源さんには内緒で。笑)

全然守備もできないし走れない、ろくでもない人間だったけれど、この一年付いてきてくれて本当にありがとう。色々揉め事もあったけど、揉めた分強い絆ができたと思ってる。

この一年は一生忘れないと思う。
この日々は僕の宝物だ。
ありがとう。

そして親友である澤頭元希へ

四年間の大半を彼と過ごしたと言っても過言ではない。彼は決して自分からは話かけない寡黙な人間だが、なぜかわからないが仲良くなれた。
ポジティブな発言をしているところを見たことがないが、一番気の合う仲間だ。
最後に元希と同じピッチに立てなかったことが心残りだ。
あと2試合、元希が点取る姿が見たい。彼のドリブルが見たい。全力で応援しようと思う。
卒業後も一番連絡取ると思うけど、辛いことあったら吉本行こう。
仲良くしてくれてありがとな。(今月の友達代まだ?)

僕には他にも、感謝しなければならない人達がたくさんいる。
高校でサッカー人生に区切りをつけようとしていた僕に、おまえならやれると背中を押してくれた高校の恩師、並木先生。先生が大学サッカーを教えてくれたおかげで、こんなにも素晴らしい仲間と出会うことができました。先生に関東リーグで活躍する姿を見せることができなかったことが唯一の心残りです。僕はこれからも千葉敬愛を応援します。
また、同じく大学サッカーで頑張る千葉敬愛時代の同期。みんなの活躍を聞くことが密かな楽しみだった。戦うことができなかったことが悔しいが、これからのみんなの成功を心より願っている。
そして、うまくいかないときも応援してくれた地元の仲間。
とてつもなく高い部費を払ってくれた亡き祖父。
最後の試合を観に来てくれた親友の2人の幼馴染。

本当にありがとう。

そして最後に両親へ。

いつも態度を悪くして本当にごめんなさい。生活リズムの違いでろくに会話がなかったけれど、ここまで育ててくれて本当に感謝しています。
「慎み太く生きる」という由来の通りになれなかったと思いますが、周りの人々に恵まれて、ここまで育つことができました。
僕は人生の中で最も多くの時間をかけてサッカーをしてきましたが、両親に何も結果を見せることができなかったことが残念です。ごめんね。
しかし、僕はサッカーと出会えたおかげで本当に幸せ者になることができました。
卒業後の進路も全く相談もせずに決めてしまいましたが、自分らしく、嘘のない人生を全うできるように精進します。
離れ離れになってしまうけれど、たまには連絡します。
ここまで育ててくれて本当にありがとう。
18年間おつかれさまでした。

まとまりのない文章となってしまいましたが、これが今の僕の限界です。ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

これからも専修大学体育会サッカー部に関わる全ての人の幸福を願っております。

僕の人生に関わってくれた全ての人々へ。

心からの感謝を。

「ありがとう」

増田慎太郎

PAGE TOP