人間はいつしか大人になるに連れて夢を語れなくなる。
人間はいつしか大人になるに連れて現実を見ることで夢を諦めてしまう。
いつからだろう自分が夢を大声で語れなくなったのは。
いつからだろう夢を諦めてしまいそうになったのは。
2000年1月1日この世に生まれ、人生80歳まで生きれるとすると約4分の1が終わったところであろうか。その人生の4分の1はサッカーと共に生きてきた。
あの頃はただ必死にボールを追いかけていただけなのに。いつからだろう本気でプロになりたいと思ったのは。いつからだろう俺の夢はプロサッカー選手だと叫んだのは。
ぼくのサッカー人生は簡単に進んできたわけではない。小学校ではそこらへんの地域だと少し有名なストライカー。中学では全く勝てない部活に入り、練習も満足いかず部活後9時ごろまで公園でサッカーする生活だった。そんなぼくに付き添ってくれていたのは親父だった。ぼくの今あるプレースタイルはこの時に確立したのかもしれない。死ぬほど走り、死ぬほど泥臭くゴールを狙い誰よりも負けず嫌いで勝ちにこだわる。サッカーをやったことのない親父がサッカー選手として大切なことを教えてくれていたことを大人になるに連れ感じ始めていた。
そんな無名なぼくがプロを夢見てこの大学に入学した。訳の分からないくらい上手い奴、ユース上がりのやつ、全国常連校の奴らを目の前に唖然とした。それでも必死でもがいた。必死に戦った。
舐められまいとすぐに、カトシンとヒビキに話しかけてコンタクトを取ったことを今でも覚えている。
3年が経つころぼくのサッカー人生はどん底だった。絶対に思ってはいけないことを思ってしまう。
「プロになれないのになんでサッカーしてるんだろ。」
昔空手をやっていたことから、格闘技でプロを目指そうと部活を辞めようとした。正直この時は人生で1番サッカー選手として腐りに腐っていたのかもしれない。
そんな時結局サッカーの道に戻してくれるのはサッカーで出会った奴らだった。
高校の同期と久々に会いそれぞれ夢を語る。消防士になりたい奴。なんかとりあえず東京戻ってくればいいと思ってる奴。
お前は何をしたいの?そう問われるとぼくは、特に何も答えることなくコーヒーを一口飲み誤魔化した。
今思えばないふりをしていただけなのかもしれない。本当はまだプロの道を諦めきれていなかった。
「やらなきゃ後悔するぞ。」
「お前の夢は俺らの夢でもあるんだぞ」
なんか、カッコつけてたけどまじめに語ってくれた江原、中島。このブログを見てるか分からないけれど君たちの言葉が無ければぼくはサッカーを辞めていた。
サッカーを続けてしまう理由。
それはいまだに分からない。
そこから最後の1年はサッカーと人生で1番向き合ったかもしれない。そして何よりサッカー人生で1番濃い1年になった。
悔しい思いもした。嬉しい思いもした。何よりサッカーの楽しさを思い出した。
こいつらと最後の1年何か結果を残してやり切りたい。きっとみんなもおんなじ思いだったと思う。練習が始まる前も終わった後も常にサッカーの話。(2割は女の話だったかな。。)
ぼくの隣には常にサッカーが大好きな奴らがいた。常に勝ちにこだわり続けていた奴らがいた。みんながいなければ途中で投げ捨てていたかもしれない。
10月31日夏が過ぎたのを追うように僕たちの4年間は終わった。
ホイッスルがなった瞬間降っていた雨と共に流れるように涙が出てきた。本当にかけがえのない時間をありがとう。キャプテンをやらせてくれたこと。ぼくについてきてくれたこと。全ての時間が幸せでした。
サッカーは心を大人にさせるけど子供心も思い出させてくれる。無邪気になれるものは、サッカーしかありませんでした。
最後に。。
Bの2、3年生ありがとう。
大したサッカーのアドバイスはできないけど、1人の男として何事も中途半端にしないで常に全力でいてください。
嬉しい時は全力で喜び、悲しい時は全力で泣き、遊ぶ時もとことん全力で。かっこいい男になってください。期待しています。
そして同期。唯一どのカテゴリーの人とも遊んだのは、ぼくだけかもしれない。
毎朝ぼくのおはように付き合ってくれた天才的にサッカーがうまい林くん。ありがとう(ブログにかけって言われた。)
カテゴリーが違うのにもかかわらず遊びに誘ってくれたシュンやヒロ。これからも毎回誘ってね。ヒロは途中でやめたけど1番熱い話をしたのは実は同期の中でヒロだけかもしれない。それぞれの道でお互い頑張ろう。
あとは商学部のみんな。ありがとう。特にひびき。お前とはこの大学生活で1番多くの時間を過ごしたかもしれない。授業も同じで常に一緒にいた。勉強はできなくて馬鹿だけどとても面白い4年間を作り上げてくれてありがとう。
そして何よりBチームの四年生ありがとう。
最後の最後でサッカーの楽しさをみんなから学んだ。というよりサッカーの楽しさを思い出させてくれた。
1年の頃はそれぞれ尖っていたけど今思えばみんなだいぶ丸くなったな笑
(高原はずっと変わらない)
最後の1年1つの目標に向かって突っ走っていた時間は自分にとってかけがえのない財産になりました。得点王取る約束は最後の最後で1点足らず無理だったけど点を決める度にみんなが駆け寄ってくるあの感じ。あれたまらなかったよな〜。。
何気ない帰り道も、練習後のボール回しも何もかもが楽しかった。
練習休む奴も何人かいたけどみんなの負けず嫌いなとこ、サッカーが好きすぎて病気みたいなところ、とても大好きでした。
本当に充実した4年間をありがとう。
そして最後に家族。
ここまでなに不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとう。毎日誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起きて食事面等のサポートをしてくれた母さん。言葉足らずで直接伝えられないけれど本当にありがとう。
仕事を途中で抜けてまで試合に来てくれて、小学校、中学校毎回送り迎えをしてくれていた父親。俺の生きる楽しみは子供達の試合を観に行くことだって言っていたことを覚えていますか。その言葉は常に俺の頭の片隅にあって毎回楽しませたかった。親父が作り上げてくれたプレースタイルで。これから先も1人の男として尊敬しています。
妹(2人)弟
正直最大のライバルはあなた達です。
ダンスやサッカーそれぞれきっとこの先やりたいことが明確になってくると思います。やりたいことに向かって頑張ってくれ。
日本でプロになる夢は弟に託しました。
これからもサッカーしよう。
祖父母
身体に気をつけてこれから先も長生きしてください。あまり試合を見せられなかったけれど違う形で活躍できるよう頑張ります。
そして今は亡き父方のばあちゃん。
今でもあなたと交わした約束は胸に刻んでいます。きっと親父と同じで中途半端が大嫌いだと思う。だからこそ俺は最後までやり遂げます。約束を果たすために。
サッカーに出会えたぼくの人生は最高に刺激的でした。
サッカーに出逢わせてくれてありがとう。
サッカー。ぼくに出逢っててくれてありがとう。