まだ引退していないと少し思っている。
練習開始時間は6:15。
5:38 5:40 5:42 5:44 5:46…
立て続けに鳴り響くアラームで起床し、5分で着替える。
でっかい寝癖をつけて、大きな欠伸をしながら
急な坂道を自転車で漕ぐ。
この生活を約4年続けた。
グランドには大好きな仲間達が待っている。
今日は早く帰ろうと思っていても
やっぱりくだらない会話をしてから帰ってしまう。
そんな時間が好きだった。
が…寝坊もした。
そんな日は大体、海大も寝坊をしている。
摩訶不思議。そんな彼は流石に大好きだ。
4年間で色んな感情と共にサッカーをした。
1年の頃は楽しさより、苦しい一年だった。
バーありペース走は地獄。先輩の目は警察。
週一でキョバ。試合には中々出られない。
サッカーを作業のように行なっていた。
こういう時にサッカーを楽しめない自分の弱さだった。
もう遅いが、あの頃の自分を後悔している。
人生における一つの教訓となった。
年次が上がるにつれてサッカーが楽しくなっていた。
大好きな仲間に支えられた。
2年の頃は、アイリーグ2部で全く勝てなかった。
もちろん当時は悔しかったが、充実感はどこかあった。
リーグ戦に出ることによって、サッカーの楽しさを思い出していたのかもしれない。
今思えばあのチームがチャンピオンシップ出場権を争っている。
摩訶不思議。あのチームに陽介と大夢が居なかったのは何故?
3年に入り、本当に良い先輩達とサッカーができた。
「安心・安全・無事故・ソウシ」なんてベンチで言いながら、もっと試合に使ってくれてもいいんじゃないかと海大と喋ったりもした。
その矢先、青学戦で海大とツーボランチで試合に使ってもらった。
勝った。
ほらな。みたいな顔をしていた。
本当は「安心・安全・無事故・ジンジャー」なのかもしれない。
僕たちにチャンスを与えて下さり、本当にありがとうございました。
最後の年は意味がわからないくらいサッカーが楽しかった。
正直、チャンピオンシップ出場権を争うチームになるなんて一つも思ってなかった。
でもどこかで期待している自分もいた。
蓋を開けてみると、前期絶好調。
一位争い真っ只中の皆の顔は完全に調子に乗ってしまっていた。
しかしコロナという不運により、夏は全然サッカーをしていなかった。
後期は試合勘ゼロの状況でスタートした。
案の定前期の波に乗れず、あと一歩の試合を何回も落とした。
もっとチームの力になりたかったと今でも思っている。
10.27の流経戦、チャンピオンシップ行きが途絶えた瞬間、頭が真っ白になった。
4日後が引退試合となったからだ。
約17年程サッカーをしてきたが、終わりを考えたことがあまりなかった。
皆ともうサッカーができない寂しさ
私の人生の大半であったサッカーを引退する寂しさが同時に湧いてきた。
色んな人の顔が頭に浮かんだ。
考えただけで泣きそうになった。
ファンモンを聴いて泣いたのはダイムで間違いないよね?
10.31引退試合は幸せでした。
何より試合に勝って終われたこと。
前日にスタメン面接を失敗したはずの高原君とボランチを組めたこと。
サッカー人生最後の試合を
一瞬一瞬の時間を噛み締めながらプレーできた。
サッカー人生で初めてPKを与えたが。。
一生の記憶となる日になった。
この一年を振り返ると
やっぱりサッカーは仲間とぶつかってでも、勝負に拘らないと楽しくないし、良い意味で感情的になれるサッカーは私にとって生き甲斐となっていたのだと感じる。
それと同時に
僕のラストパスは何故か決めてくれない小山
慶応戦の時はごめんダイム
パスくれ!っと思ったら、もっと遠いもっと良いところ覗きまくってんなあ〜陽介
ヒデ3方向タッチ素敵だったよ
とみんなの色んな姿を思い出す。
最後の最後まで夢のような素敵な時間をみんなありがとう。
4年間の活動を通して心残りも、後悔もたくさんあるが
それはしっかりと受け止めて
みんなの姿や色んな思い出を思い出しながら
これからの人生を頑張ろうと思う。
最後に家族へ
今度帰省した時に感謝は伝えますが、言いたいことは「ありがとう」だけではないので、でもそれ以上言うと絶対泣くので書きます。
引退試合から家に帰って、母が料理を作って、風呂を沸かして待ってくれてたのが、4年前まで富山で生活してた頃の全てがフラッシュバックするようで泣きそうになりました。その場でなにか伝えたかったけど、泣きそうで何も言えませんでした。
サッカーに出会わせてくれてありがとうございます。
おかげで本当に楽しかったです。
小学生の時、父さんが何を言ってるのかあまり理解出来ずに練習してたけど、あの時の全てのおかげで、どのカテゴリーでもサッカーを楽しむことができました。
これまで色んな練習場所や試合会場へ向い、帰った時の車中をずっと覚えています。
会話まで全て覚えています。
全国大会や大切な試合前に弁当を開けると手紙が入っていたのも覚えています。
高3の頃、選手権予選決勝の試合前はほぼ泣いてました。
ピッチから家族の姿が見えると力が入りました。
どれもこれも人生における素晴らしい思い出として、自分なりに大切にしています。
サッカーを頑張る活力が家族でした。
今想えば、家族に少しでも良い姿を見せようとサッカーをしていたのかもしれません。
祖父母もいつも応援してくれて、試合を見に来てくれてありがとう。早く会いたいです。大好きです。
何不自由なくサッカーをやらせてくれて、支えてくれて、活力を与えてくれて本当に感謝しています。
ありがとうございます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
専修大学体育会サッカー部のこれからの幸運を心より願っております。
そしてサッカー人生を通して出会った全ての方々へ
ありがとうございました。
サッカー人生 完結
金木亮