こんにちは。
引退ブログ1発目を務めさせて頂きます。
商学部マーケティング学科の倉田一唯です。
あいにく自分は文才を持ち合わせていないので、関係ないっしょきもちっしょ。て感じのブログになってます。
自分なりに一生懸命綴らせて頂いたのでぜひ最後まで読んで頂けると幸いです。
では軽く自己紹介から
176cm68kg ポジションはゴールキーパー。
得意なプレーはボランチにノールックパス。
恐らく体格的にも性格的にも1番向いてないポジションを務めております。
そしてこの四年間で学んだことは自分の周りの友達は大切にということです。本当に毎度感謝しています。(カンタ、ミナト、アツシ、etc..)
数え切れない程の方達に協力して頂いたおかげで『卒業』の2文字が現実味を帯びてきました。
私事ですが先日、Iリーグプレーオフ順天堂大学戦に勝利し1部残留を決め、何とか四年生としての役目を果たし16年間のサッカー人生に 「オワリ」を告げました。もうこれで毎朝5時30分に起きなくていいし朝から騒がしすぎるカメダのキーパーコールを聞かなくてもいいと思うと清々しますが、いざ今までの日常が無くなると意外と寂しいもので今すごく自分はみんなに会いたいです。早く飲みに行きましょう。(カモ幹事のアツシ早く予定組んでくれ。)
ここからは真面目に。
前置き長くてすいません。
もう少しだけお付き合い下さい。
ここからは自身が抱えていた葛藤とそれでも諦めきれなかったサッカーへの想いを綴っています。
では本文へ
小学校の頃、いつの大会だったか覚えてない。フリーキックの壁に並んだ時に自分の目の前にボールが飛んできた。避けたらゴールに入ってしまうし、でもボールが顔に当たるのは怖いそんな考えが頭をよぎった。
気づいたらボールをキャッチしてた。
主審の手にはレッドカード。大泣き。
いや今思うとおかしいですよね。
審判絶対ノリで出したやん。
でもこんな事から今のポジションであるゴールキーパーを始めるなんて思ってもいなかった。
何となくで応募した大宮アルディージャのセレクションで最終選考まで進んだ。
不合格に終わったが最終選考まで残った。
ゴールキーパーの方がセンスあるんじゃね。
こんな浅はかな考えでプロになりたいと本気で思い始めた小学5年生の冬、朝起きて洗面所に行った時顔がパンパンに浮腫んで目が開かない。そして体が鉛のように重かった。
お母さんと病院に駆けつけ診断結果は
『微小変化型ネフローゼ症候群 』
簡単に言うと腎臓が働かなくなり尿が出なくなるというもの。
この時自分の体に何が起きたかというと胸やお腹に水が溜まり体重が10キロ増えていた。
先生にはすぐ入院してくださいと言われ正直自分に何が起こってるのかも分からないし、これから先どうなるかも分からず不安でいっぱいだった。
そんな中でも1人のお医者さんがすごくサッカーが好きで海外の試合映像を見てていいよとパソコンごと貸してくれた。
当時あまりインターネットが普及しておらず海外のサッカーを見るのは新鮮だったため少しだけ不安が和らいだのを覚えているし本当にサッカーが好きなんだと思えた。
それから2ヶ月半程、毎日手には点滴の針が刺されっぱなしで、薬の副作用で吐き気や頭痛が止まらない、ご飯に味もない、水分も1日の摂取量が250㎖に制限された時もあった。
もう一度サッカーを競技として続けられるかも不透明で、それでももう一度サッカーがやりたくてプロになりたくてその一心で毎日乗り越えられていた。裏では両親がどうにかして病気と上手く付き合っていきながらサッカーを続けさせて欲しいとお医者さんに頼み込んでくれたことを知った。
恥ずかしくて伝えられなかったけど本当に感謝しています。
そしてやっと3ヶ月ぶりにボールを蹴った時は本当に頑張ってよかったと思えたし絶対にプロになって家族に恩返しをしなければならないと覚悟を決めた。
そこからは毎日練習を続けやっとの思いで柏レイソルのジュニアユースに入ることができ、何度か入退院は繰り返したけれど今までの中で1番泣かされ、1番尊敬している指導者、ケイタさん(現柏レイソルトップチームGKコーチ)にも指導して頂いたおかげで更にプロになりたい気持ちが高まっていった。
ユースには昇格はできなかった。だけどレイソルのコーチや滅茶苦茶上手い仲間達とやれた事で上のレベルの基準を知ることが出来たし逆に見返せるチャンスだと思った。
高校では2年生の時にトップチームで運良く出場機会を得ることができ、インターハイ、選手権、国体と様々な経験をした。
3年生の時はトム(平成国際大学副主将)にスタメンを奪われ不貞腐れて練習はちゃんとやらず、ずっと自主練ばっかり1人でこなしてた。それでもプロになる夢は変わらなかったし大学を経由してプロになろうと考えていた。そんな時に専修大学に練習参加が決まった。
今でも鮮明に覚えてる。
初めて参加した初日にタカさん(高崎康嗣さん)に声が小さいと怒鳴られ。お前はナオキ(高校の監督)のもとで何を言われてきたんだと言われ、自分の今までのモヤモヤが晴れようやく目が覚めた気がした。その後の2日間の練習参加は全てのメニューに我武者羅に取り組んだし先輩に何を言われようが自分の気持ちは強く持ってプレーすることが出来た。今まで1番調子いいんじゃないかてぐらい止めたし、とにかく全力でチャレンジし続けた。
参加後には試合に出てないのかと問われ素直に出ていませんと答えた。本音は受かりたいし、嘘をついてでも入りたいとは思ったけれどこの人に嘘をついてもすぐ見破られるなと思い正直に全てを話した。
すると数日後に合格の連絡を頂けた、本当に嬉しかった。同時に周りは関係ない自分にどれだけ打ち勝てるのかが重要だと感じた。その後はずっと練習を重ねたし、高校では試合には出れない期間が続いたけれど大学で活躍するためプロになるために常に逆算し続けた。
そして大学1年目
シーズン最初自分は2番手か3番手そこら辺にいたと思う。1年生でその立場充分じゃんそんな事を心のどこかで思っていた。だけどシーズンが始まると同期のライセイがピッチに立っていた。悔しい気持ちが悪い方向に向き、なにか出れない言い訳をいつも探して目の前の現実に対して目を背けていた。タカさんはそんな俺を見捨てず叱り続けてくれた。多少なんで?て思うこともあったけど…。けれど何故か叱られる度に頑張ろうて思えていたし、今思い返すとあれは愛情なのかな。だがチームは惜しくも降格をしてしまい監督が変わることとなった。
2年目
腎臓の病気が薬を減らした影響もあって悪化してしまいこの時から半年に1回定期的に点滴をすることになった。そのためシーズン最初は出遅れてしまったが、最終的には目標であった関東リーグに出場することもでき、新人戦では全国大会で優勝する事も出来た。
3年目
2年生の時に最終的には出場機会を貰えていたし本当に頑張ろうと思っていた。けれど今まであった何か一番重要な部分が無くなってしまった。練習に行っても試合で勝ってもどこか本気で喜べない自分がいて、どんどん試合にも絡めなくなっていった。別に今まで通りなんだけれどどこか本気になれなくてもどかしい時間を過ごしながらもチームはアミノバイタルで1部に2連勝、プレーオフでは惜しくも負けてしまったが関東3部に昇格する事が出来た。
普段は自分の事をからかってくる4年生達が本気になってボールを追っかけてるのを目の当たりにして自分も来年この熱量で取り組めるのかと不安なまま終えた。
4年目
最終学年。
最後と意気込み迎えたラストシーズン。
シーズン前のペース走
みんながタイムに入る中自分は入れない。
以前まで入れていたペース走がどう頑張ろうとしても入れない。気持ちが足りないと言われるけどそうじゃなかった。どんなに頑張ろうと思っても体というより心がついてこなかった。
ここまで何年も続けてきてプロになるためのラストシーズンだとも分かっていた。小さい頃からプロになると言い続けてきてここまでサッカーをしてきて言い訳はできないと思い本当に情けなかった。身体の事も身長の事も言い訳にしてこなかったのに何故か本当に気持ちがついてこなかった。物凄く葛藤はあったがこのままトップチームにいてもチームに迷惑をかける気がして源さんに頼み込んでBチームに入れさせて頂いた。
Bチームは確かに技術だったり走力だったりサッカーのベースとなるところはAチームに比べれば劣っていたかもしれない。だけど年間を通して思ったことは監督が居ないからこそ皆がチームを引っ張る覚悟を持っているし、チームの中心であるタイチやハルトがどうにかチームがまとまるように努力をしてくれていた。
特にそう強く感じたのはカンタとタイチが試合中に上手くいかないことがあって終わった後に両者が泣くまで言い合いをしていた事があった。それほど勝ちに貪欲だし何とかしたいという気持ちが見えて本当にこのチームで一緒に戦えたことがよかったと思えた。
開幕7連敗
失点47
退場試合4回
リーグ戦18試合連続失点。(プレーオフ最終戦無失点)
こんなこともあったけれど最後は奇跡の残留を果たせて本当に良かった。
終わりよければすべてよし。
とにかくこのチームのために頑張れて本当に良かった。
この仲間でよかった。
ありがとう。
後輩達へ
俺はとにかくみんなが大好きだ。
あんまりそういうこと言うタイプではないし、少し無愛想だったかもしれないけどクラくんて言われると少し嬉しかったりもする。
皆にはとにかく今の瞬間を楽しんで自分の決断を信じて欲しい。
色々焦る気持ちだったり上手くいかないこともあるとは思うそれでも結局最後決めるのは自分自身であり他人じゃない。
周りの意見を聞き入れる事も重要だけど、最後は自身の決断を信じて結果はどうあれやり切って欲しい。
とりあえずみんなご飯いこうな。
連絡待ってます。
Bの4年へ
最後の1年間まず受け入れてくれてありがとう
関わってこなかった人が大半で、正直馴染めるか不安だったけれど全然そんなこと無くて練習後のミニゲームとかヒョウをいじる時間がとても好きだった。
(ミキさんとお話出来て良かったです。)
あとはBでやらない?て提案してくれたタイチ本当にありがとう。7年目最後にして共にプレー出来て良かったし最高に楽しかった。
サイコパスだけど。
寮生➕大磯の田舎モンへ
ユキト
学部も一緒で課題とにかく大変やったな。
とりあえずあともう少し共に一限から頑張っていこう。エースのシュートは一級品。
プロでも応援してます。
ダイキ
最初の2年間同部屋としてありがとう。
ゴミ部屋とか言われたけど改革してモテ部屋に一瞬だけなったな。一瞬だけ。でもまじで楽しかったよ。ありがとう。対人の鬼。
君もプロで頑張れ応援してます。
ソウタ
4年間🍄頭お疲れ様。
なんかいつも強がって、全然彼女好きじゃないよアピールしてるけど最近ストーリーの頻度増えたよね。知ってるよ。大好きやん。大切にしろよ。
社会人頑張っていきましょう。
ショウジ
左足のキックは目を塞ぎたくなるほどだったけど、新人戦の時の後ろから見るショウジはファンダイクぐらい頼もしかったよ。関東リーグプレーオフも頼んだ。専修の壁。
社会人頑張っていきましょう。
ケンタ
最後の2年間同部屋ありがとう。
俺ら物多すぎん?
整理しようて言いながら2年間終わったな。
二人で見るトリリオンゲームいつしか君がいなくなってた。何が理由かは秘密にしとくね。
サッカーやる気ねえとか言ってるくせに毎晩ストレッチを欠かさないお前が大好きだよ。
社会人頑張っていきましょう。
ルキア
なんで俺はお前がプロにならないのか本当に分からない。いつもやる気ないけど試合になったらアツくなるとこめっちゃ好きだよ。
すぐポーカーやるのだけはやめような。
彼女は大事にね。
社会人頑張っていきましょう。
ライセイ
1年目からずっと背中ばっか追ってた。
だから2年目優勝した時どうだ。なんて思ってた時もあった笑
けどお前には勝てないそう思ったし素直に今はプロになって欲しいて思う。負けてねえけど。
1年生の頃から2人で切磋琢磨してお前がいたからこそ頑張れた。
最後の年共に頑張れなくてごめんな。
本当に同期のキーパーがお前で良かったよ。
ありがとう。
これからもサッカー頑張れよセミ〇〇😂
アツシ、シュウト、カガミへ
ミーティングで話し始めると終わらない奴。
何を言われても部活に来ない信念の硬い奴。
謹慎に謹慎を重ねて半年サッカーできない奴。
君たち癖もの3人と試合後に朝まで色々語り合う時間は、最後までそれぞれ考えが違うから1つの話題で夜が明けるし解決しないけど本当に楽しかった。いつも尖っている3人だけども本当はめちゃくちゃ優しくて良い奴だってことは俺は身に染みて感じてるよ。
4年間本当にありがとう。
これからも宜しく。
そしてお世話になった大先輩 シンくん、アンノくん、ナガシくん、ヒビキくん、ユウマ。
自分が2年の時、朝から晩まで練習終わりにFIFAをしに何度アンノ君の部屋に挑みに行ったことか。2個下の自分に死ぬほど煽ってくるし、罵声を浴びせてくるけど自分が落ち込んでる時や関東リーグで大失態をした時なんかは、笑顔で寮で迎えてくれていつもと変わらずいじり倒してくれた事死ぬほど落ち込んでたけど、いつも通りUNOをやるといつの間にか忘れてました。
感謝しています。
思い返せばあの1年間は5人との思い出しかないぐらい自分をいつもどこかに連れ出してくれた。2つ上にもタメ口で時には暴言を吐いてしまう僕にいつも笑って対応してくれてありがとう。(本気で言ってるわけじゃありません。)
4人が退寮してからはサワヤンの音楽を聴くことが無くなって少し寂しかった。
でも昼寝してる時に爆音で起こすのはやめて欲しかったです…。
だけどやっぱり楽しい思い出しかないし本当に感謝してます。
これからも蓮彌のお誘いお待ちしております。
トム、サワへ
高校の時からの付き合いだけど卒業してからもここまで会ってるやつは君らだけです。
いつ会っても、いつ連絡しても高校からの何も変わらない空気感で話せる2人と行ける冬の旅行が楽しみで最後はサッカーやりきれました。
いつも相談にも乗ってくれてありがとう。
俺にとって2人は大切な存在です。
これから何年先もよろしく。
こんなこと言うの恥ずかしいけど今回は許してくれ!!!!
両親へ
父
小学生の頃、早朝のランニングに自転車で付き合ってくれたりどんなに遠い会場でも送り迎えと試合を見に来てくれてありがとう。どんなミスをしても怒る訳でもなく良い意味で何も言ってこず見守ってくれてありがとう。
母
高校生の時、4時に起きて昼の弁当を毎日欠かさず作ってくれてありがとう。どんなタイミングで連絡しても家でご飯を作って待っててくれて家に帰った時にすごく安心出来るし頑張る原動力になってました。ありがとう。
プロになる事が最大の恩返しだと思っていたからそれは達成できなかったけれど世界一のサポートのおかげで悔いは無いですありがとう。
本当に俺は2人の息子として生まれてきて良かった。
この家族で良かった。
長い時間をかけてこの恩は返していきます。
最後に
本心はやっぱりプロになりたかった。
誰もがおいおいお前が?て思うかもしれない。俺も口ではプロは将来的にね〜なんて言ってたけれどなれる事ならプロになりたかった心の底から。
けれど自分を信じてあげる覚悟も
失敗して他人から笑われてもいい勇気も
何もかも失って心の炎が消えてしまった。
弱い自分を肯定し認めてしまったからプロになれなかった。だからこの経験を教訓として活かしていきたい。
ここでサッカーとはお別れ。
これからは第2の人生の「はじまり」
社会という未知の世界に飛び込みサッカーの時と同等に、いやそれ以上の熱量で働きたい。
小学生の頃から学校の行事も、放課後の楽しい時間も全てを犠牲にしてでも、サッカーに捧げてきた人生だけど後悔は1つもない。
これまでの人生の中心でした。
最高だったよ。ありがとう。
まとまりのない文章だったと思いますが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
ブログの感想ご連絡待ってます。