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部員ブログ

2024.12.03
一丸大地
やっぱりサッカーが好きだ。


7,244日。

初めてサッカーボールを蹴ったあの日から今日まで。

最後のブログはそんな一丸大地のこれまでのサッカー人生についての綴ろうと思う。是非最後まで見ていただきたい。

3歳の頃、兄の影響で始めたサッカー。

ただただ、ボールを蹴るのが楽しかったし、練習をすればするほど上手くなってく。小学校では毎日毎日夜遅くまでサッカーをして、友達との遊びもサッカー。そんな毎日が最高に楽しくて、私は当たり前のようにサッカーにのめり込んでいった。

最初は一宮市の中日少年サッカースクールでサッカーをして、ここでケンくんというサッカーが大好きなお兄さん(もうおっちゃんかな)にサッカーを教えてもらったことが自分のサッカー人生の中で大きな転機だと思う。
ケンくんのおかけで今の僕があると言っても過言ではない。なので、ケンくんを含めた一宮中日少年サッカースクールには本当に感謝している。

そこから本格的にサッカーを習いたいと思い、地元の愛知FC一宮に入団した。そこでも高原コーチや秋岡コーチ、羽根コーチなどからサッカーを自由に楽しく学ばせてもらった。本当に楽しかった。

しかし中学からはそう上手くはいかなかった。
友達の勧めもあり、地元のJ下部組織の名古屋グランパスのセレクションに参加。そこで自分の全てを出し切ることができ、見事入団することができた。

自信家の私は、自分なら絶対できるだろう。自分が1番うまいだろうと思って入ったものの、そこは化け物みたいなやつの集まりだった。みんなレベルが高くて、ついて行くのに精一杯。一瞬でも気を抜いたら振り落とされる。そんな環境でのサッカーだった。正直もうサッカーを楽しむどころではなかったし、上に行くため、勝つためにサッカーをしていた。

それでも何とか喰らい付いて頑張り、高校も名古屋グランパスのユースに昇格することができた。そこでは同期や先輩たちのおかげで、全国大会を数多く経験させてもらい、全国大会の決勝の舞台に2回も立たせてもらった。しかし個人としてはまだまだであり、高校からのプロ入りはできず、当時関東一部に所属していた専修大学へと進学した。

専修大学。

ここでの4年間は人生の中で最も大変な4年間になったと思う。

プロになれる最後のチャンス。
ここでダメならもう次はない。
入学してからずっと自分に言い聞かせてきた。
色んな考えがあるだろうけど私は、プロになれなきゃ人生終わり。そんな気持ちをずっと持っていた。
そのため少しでも上のリーグ(関東一部)で活躍するぞと意気込み入学したが、入学当初は関東2部でのスタートとなった。

大学サッカーで1番最初に感じたのは、全員が全員プロを目指してるわけではないこと。

これまではJ下部組織であり、みんながみんなプロを目指して取り組んでいて、チームが勝つために、自分が活躍するために、より上の舞台で戦うためにと全員が本気でサッカーに対して、結果に対して向き合っていた。

しかし大学サッカーは違った。

もちろんプロを目指して本気でやっている人もいるが、「たかが部活」だと区切りをつけてサッカーをしている人もたくさんいた。そのため勝つことにあまり執着してないし、チームで上のリーグにあがれなくてもなんとも思ってない人もいた。練習強度や練習環境、周りの雰囲気など、高校とは全く違った環境に戸惑いと物足りなさが当時の自分には物凄くあった。
そんな中でもプロになるために、自分自身必死に取り組んだ。勝つために。関東一部に昇格するために。

しかし、

シーズン通して結果は惨敗。

チームは県リーグへの降格となった。

正直絶望した。

強い環境でやりたくて、関東一部の専修大学に来たのに、蓋を開けてみたら、県リーグ。
自分の外側に矢印を向けてしまいそうな時もあった。

それでもやるしかないともう一度自分たちを震え立たせ迎えた2年目。

県リーグは優勝し、新しくできた関東3部には昇格できたものの、プレーオフでの敗戦。

関東2部への直接昇格とはいかなかった。

そして迎えた3年目。

2年の終わりに怪我した肩の手術により自分は5ヶ月遅れてのスタートとなった。
プロになるためには大学3年が重要だというものの、その3年目を約半年しかサッカーをすることができない状況となった。
それでも、大学4年でせめて関東2部でやるために復帰してからは120%で試合に臨んだ。
そこから自分も試合に出続けたが自動昇格とまではいかず、昨年に続きプレーオフでの昇格決定戦となった。

しかし、結果は2-2の引き分け。

リーグ規定により上位リーグチームの残留。

またしても昇格を逃し、4年目も関東3部で戦うことが決定してしまった。

勝てない。勝てない。勝てない。

人生の中でこれほど勝てないのは初めてだった。

周りからは専修大学はみんな上手いのに、結果がついてこないよね。

この大学に入って、悔しくて眠れない日がどれだけあっただろうか。

風呂でみんなで、何で勝ちきれないんだ。
って負けた試合の日の絶望のお風呂を何度味わっただろうか。

そして迎えた最終学年。

プロになるための最後の一年。

どう足掻いても、ここで結果を残せなければ自分のサッカー人生に幕を下ろすことになる。

その中で一昨日のリリースにもあったように、

アスルクラロ沼津という素晴らしいクラブから契約のオファーをいただくことができた。

本当に大変な4年間だった。

楽しいはずのサッカーがいつしか絶対に叶えなければならないものとなり、一丸大地の全てとなっていた。

簡単だと思っていたプロサッカー選手になることがこんなにも大変なことであったなんて。

本田圭佑が言っていた。
「サッカー選手になるのは東大(東京大学)に入ることより圧倒的に難しい」と。

たしかにセンスや才能だけでは絶対になれない職業であるということ。

少なくとも僕はそう感じた。

しかし大変なのはここから。

少し言い方を雑にすると。
これからは球を蹴ってメシを食う。

生活をかけてサッカーをする。

今まで僕がしてきたサッカーとは時間の価値が全く違うだろうし、その重圧や過酷さははかりしれないものだろう。

それでもやっぱり
私の根底はサッカーが好きだ。

その好きなサッカーをこれからは職業としてやっていける。

そう思うと他人の目なんか後から考えればいい。

まずは自分のことワクワクさせる。

自分に期待しろ。

この先の一丸大地をこれからもずっと見ていてください。

もっともっとビックになります。

僕がこの大学に入って一番よかったことは、最高の同期に出会えたこと。

それは入学当初から今日この引退までずっと思い続けていた。

本当にサッカーが好きでおもしろい、頭のおかしな奴ら。
そんなチームメイトについて最後少しだけ書いておこうかな。

まず、2年間同部屋の米山。

大学生活で1番お前と笑い合った気がする。他の部屋ではあんまりないのかもしれないけど、俺らの部屋は毎日一緒にいるのに、飽きずにめっちゃめちゃ毎夜喋ってて楽しかったな。お前がいなくなって一人部屋になった時はだいぶ寂しかったぞ。これからも定期的に遊び行こうな。来年からはニ◯◯の正社員としてしっかりお客様満足度第一位を目指せ。

次に、こいつだけには負けたくないランキングNo. 1の山本。

俺と同じぐらいの負けず嫌いで、お前とのランニング走の勝負は俺もめっちゃだるかったし、クソ大変だったわ。
けどお前だけには負けたくねーから俺も必死で走ってたわ。来年からはもちろんサッカー選手として、どっちが上に行けるか勝負な。お互い頑張ろうぜ。

部屋に行くたび、必ずベットでスイカゲームしてるタケロウ。あなたは専修大学のファンタジスタでした。
努力してたら申し訳ないけど、タケってほんま天才タイプだったよね。いや、努力してたはずない。だって部屋行ったら絶対スイカゲームしてたもん。

寮生で一番まともなようで、かなりぶっ飛んでるエイト。

エイトのコミュ力とセカンド回収は一級品でした。
エイトがいるといないとで、バックラインのやりやすさが全く違ったよ。それだけに辞めるのはもったいないけど、違うステージでも頑張ってな。彼女できたら報告してください。

こいつ以上にふてぶてしいやつにあったことない、ミナト。

みんなが就職を決めてる最後の時期に、まだサッカーチームを探そうとしてる港を見て、あ、やっぱりコイツみんなよりサッカー好きなんだなってめっちゃ思ったよ。どうなるかはわからんがお互い頑張ろうな。

自分が社不だということに気づいてない、大社不の情野。

イブは本当にFW向きだなって、いつも思ってたよ。お前がもっと爆発したら、専修大学の結果も変わってたと思うな。これからはファショニスタとしてオシャレの最先端に突き進め。

出会った最初と最後の印象が全く違う、辻田。

最初はコイツ何したら怒るんだろって言うぐらい仏の印象だった。今では専修大学でイブキについでの社不笑笑とはいうものの、本当の芯の優しさはやっぱりあるなっていつも感じるから、そのまま優しい男であり続けろよな。

ハヤタも言ってたが、多分俺らの代で一番まともなイバカン。
頭のおかしな奴らの中で唯一まともで良いやつ。そんな人間性をもった人はあんまりいるもんじゃないと思うから、この先も誰からも好かれるイバカンでいてね。

大学ナンバーワンセンターバックのわーの!

わーのがいなかったら俺と厳の大学生ははちゃめちゃなものになってました。本当に感謝してます。強いて言うなら、関東リーグで俺と厳とわーののバックラインを一緒に組みたかったな。プレゼントは必ず渡すので待っててね。

あの子2番の子だよね?!って俺と間違えられる弘和。(マジで失礼だからね)

ヒロはプレーにおいて一番お世話になったかな。毎試合後ヒロに試合のフィードバックを聞いては俺のプレーを修正してた。ヒロのサッカー観は大変尊敬しております。来年からも頼みたいんで、ちゃんと俺の試合観といてね。

飲みサーキャプテン10番あき!

入学当初何でこんなにやる気ないんだコイツと思って、最初は絶対仲良くなると思ってなかったけど、今では俺の中で最高に合うやつだと思ってるよ。でも正直一緒にプロの舞台でやりたかったな。今後も連絡取り合おう。

マネージャー鈴葉。

俺らの代で唯一の女の子。専修大学はいろいろマネージャーのやることが多すぎて死ぬほど大変だったと思う。そんな中で一人で全部業務をこなして、練習のサポートもしてくれて、この4年間鈴葉がいなかったらまじで成り立たなかったよ。普段全然言えてないからこの場を借りて改めて、4年間サッカー部を支えてくれてありがとう。

最後に厳。

厳とは2年間同部屋だが、それ以上にこの4年間のうち時間にしたら2年半、3年ぐらいの時間は一緒に過ごしたと思うぐらいずっと一緒だった。学部学科も、ジムも、遊びも、練習中の2人ペアまで。私生活からサッカーまでほぼ一緒に過ごしていたと思う。親友の定義が俺にはわからないが、お前みたいな奴のこと言うんだろーなーって思うよ。本人の前じゃなんかちょっと小っ恥ずかしくてわざわざ言わんけど。だからいちいち触れてくんなよ。今度は敵同士だけど、これからもプロの舞台で一緒に戦うことになると思うから、また同じチームで一緒に組める日を楽しみにしてる。4年間ありがとう。

本当にチームメイトに恵まれた、最高の大学生活でした。

4年間ありがとう。

また逢う日まで。

最後に両親へ。

父さんは僕のずっと憧れであります。19.20歳の頃からプロの舞台で30年間戦ってきた父は本当に尊敬でしかありません。これから社会人になるってなって改めてお金を稼ぐのは難しいんだなって感じました。何不自由なく子供を育てること、家族を養うことは、本当に大変であるということ。本当に感謝しています。ありがとう。これからもっと父さんを超えるビックになって少しづつ返していきます。

母さんは挨拶や感謝、人への礼儀など当たり前のことを当たり前にすることをとてつもなく学びました。兄貴も言ってたが、母さんは人として立派な人間だと思う。あとは俺の明るさや、うるささは母さん譲りだなって本当に常々思う。いくつになっても明るく元気でいてくれること。今年は俺の進路の関係もあって色々心配かけたけど、どんなときも長文でLINE送ってくれたね。あんまり恥ずかしくて「了解」とかしか俺は返信してないけど助かってたよ。改めてありがとう。

兄貴
俺がプロになれたのは兄貴のおかげです。兄貴のおかげてサッカーと出会えたし、小さな頃からずっと勝負してサッカーばっかりやってたね。あの頃の俺はずっと兄貴に勝負を挑んでは全く勝てなくてそれでも挑み続けてたね。その毎日が今の俺を作ってるよ。(今やったら圧勝だけど。)これからもお互い父さんを追い越せるように頑張ろう。

長いようであっという間な学生生活でした。
これからは社会人として周りの人を支える立場になっていけるよう、自分自身全身全霊で闘います。

4年間応援ありがとうございました。  一丸大地

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