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2020.09.20
岡田望
尊敬する二人の人物

こんにちは!岡田望です。
今回は「私が尊敬する人物」について、綴りたいと思います。何故、このテーマを選んだかというと、大学三年の折り返し地点を迎えた私は、猛烈なモラトリアム期間(モラトリアムとは未達成、不完全の意味を持ち、社会に進出するまでの猶予期間を表す)に突入し、自分の「人生」について、深く思考する機会が増えたからです。そして、自分が育ってきた環境や成長過程を想起する中で、私はある二人の人物の思考や考動に大きな影響を受けていることが分かりました。以下で具体的に言語化していきたいと思います。長く拙い文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
 

私が影響を受けた一人目の人物は母である。私の母は、ソフトボール元日本代表という実績を持ち、かつて三浦知良選手らと共に「ビートたけしのスポーツ大将」に出演していた。私から見ても兎に角、凄い人物だ。母のポジションはピッチャーで、実際にプレーを見たことはないが、エネルギッシュで勇ましい性格から、マウンドで闘志を燃やす姿が容易に想像できる。幼少期にライズボール(ソフトボール特有の変化球)を見た時の衝撃は、今でも忘れない。ピッチャーは、試合の勝敗を左右する最重要ポジションであり、グラウンドの中心で常に己と闘い、チームの絶対的存在として仲間を鼓舞しながら、相手を凌駕しなければならない。
 

そんな逞しく勇敢な母の姿や考え方から私は、「自分に矢印を向けることで、私的成功から公的成功を生み出すこと」を学んだ。物事には、直接的にコントロールできる問題と間接的にコントロールできる問題、コントロールできない問題が存在する。具体的には、直接的にコントロールできる問題は「自分」で、間接的にコントロールできる問題は「周囲」で、コントロールできない問題は「現実と結果」である。飛躍的な成長を遂げるためには、まず三つ目のコントロールできない「現実と結果」を受け入れることから始まる。そして、次に直接的にコントロールできる問題、つまり自分に働きかける。これが、一般的によく言われる「自分に矢印を向ける」という作業である。母はよく私に「自分の困難な現状を、環境や周囲のせいにしても何も変わらないし、成長への転換効率は大きくならない」と言う。その通りである。英国の文学者、サミュエル・ジョンソンも「人間の本質を知らない者は、自分自身の人格以外の何かを変えて幸福を追求しようとするが、そのような努力が身を結ぶことはなく、現実から逃れたいという悲しみを増幅させるだけだ」と言っている。つまり、何が言いたいかというと、自分自身への働きかけを蔑ろにして、周囲への発信が優先されてはならないということである。周囲への働きかけを優先させた場合、自分自身の飛躍的成長は望めないどころか、「何でお前に言われないといけないんだよ」と、周囲との対立を生み、信頼関係の欠落、人間関係の崩壊に繋がるだろう。他者に発信して文句が出るうちは、自分は優れた人格者ではないと思った方が良い。人は困難な状況に立たされた時にこそ、矢印が外に向く傾向が強いと考える。調子がいい時には気にならない周囲の行動を指摘し、自分の至らなさをそのせいにする。違う。まずは、自らが飛躍的に成長するため、誰もが尊敬する人格者になるために、自分の内側に猛烈に強烈に働きかけ、違いを生み出し、他者を圧倒し、現在の己を超越する。そうして初めて、他者への発信が、実質的な効果を持つのではないだろうか。まずは、自分の内側に働きかけて私的成功を生み出し、そして周囲への発信や働きかけによって、他者と共に成功する公的成功を生み出す。その結果、他者との有意義な関係が構築され、自らの努力で他者の持つ最大限の能力と可能性が引き出され、とてつもないシナジーが生み出されると、私は確信している。なぜなら、母がそんな姿勢と行動を、20年間私に見せ続けてくれたからである。そして、今日9月20日は、母の誕生日。試合から帰ったら、真っ先に「おめでとう」を伝えたい。
 

私が尊敬する二人目の人物は父である。野球人である父は、高校時代、甲子園に出場し、広島東洋カープのスカウトが父を一目見に来る程、広島で名前の通った選手だった。国体にも三度出場している。そんな父の行動には、いつも圧倒される。休日になると、仕事の疲労を癒すかと思えば、朝の六時から10キロのランニングに出掛ける。そして家に帰り、シャワーを浴びて朝食をとると、勉強を開始する。一週間のニュースをチェックし、本を読んで頭の中にある思考を言語化し、会社の事業計画を作成する。このルーティンは、私が高校一年生の時から継続しており、どんなに疲労で憔悴していても、このルーティンを欠かした日を、私は見たことがない。人の上に立つ人間でありながらも、その地位に鎮座することなく、常に貪欲に学び続け、心の底から変化を楽しみ、成長を渇望する父の姿に、心の底から尊敬の念を抱く。そんな父の姿から、私は「謙虚で素直で誠実であることの重要性」を学んだ。この三つの資質は、成功者になるために必要不可欠な要素であると強く思う。ソクラテスが「無知の知」を説いたように、自分は無知であることを自覚する謙虚な姿勢、己の無知を認め、他者との違いや先人の助言を受け入れる素直な姿勢、自分の意志と行動を合致させ、物事に対して直向きに取り組む誠実な姿勢。これらを持ち合わせた者だけが、真の成功者として自らの人生の責任を全うできると考える。

また、父は私によくこんな事を言う。
「人の思考は直ぐに麻痺する。だから、自分の立っている土俵や今の取り組みを常に疑え。」と。
最初は、理解に苦しんだが、最近になってようやく、この言葉の本質的な意味を理解できるようになった気がしている。この言葉を私なりに換言すると、「人は思考を放棄して現在の自分の行動を正当化しようとする。というのも、その方が思考して変化する手間が省略できるため、楽だからだ。しかし、この考え方に依拠すると、一向に進化的な成長は期待できない。だからこそ、自分の主観的思考と客観的思考を常に対話させる必要がある。」という具合である。主観的思考と客観的思考の対話とは、現在の自分、困難に置かれている自分、踠いている自分、感情に流されそうな自分を、空から見つめるイメージである。主観性よりも客観性の方が、現実をより直視できる。客観的思考を持ち、主観的思考と擦り合わせることで、目的感覚や方向感覚、価値観を常に正しい方向に修正できると考える。

父を真似して本を読み、頭の中にある思考を紙に書いてアウトプットするようになってから、私は思考の深さと行動が徐々に変化してきたと自負している。具体的には、組織でリーダーシップという言葉を投げ掛けられても、その言葉を抽象的なイメージの状態で置いておくのではなく、深掘りして定義付け、言語化するようになったことである。私は、リーダーシップを「主体性+責任」と定義付けている。更に主体性を「賢明で、現状を直視し、‘’考動‘’する」とし、責任を「自分と他者の人生に貢献する」とした。このように言語化したことで、今取り組むべきことが明確になる。サッカー以外の時間を学びの時間に費やし、考え方や思考を整理することで、グラウンドの外でも成長できるということを教えてくれた父に心から感謝したい。

「自分がワクワクすることを通して他者に貢献する。」

この自分の中の絶対的な価値観を実現していく上で、その手段がサッカーになるのか、別の仕事になるのか、後約一年で決まるだろう。一年後には、現実を突きつけられた自分がいて、今思い描く理想的な自分を実現するためには、今本気で「謙虚で素直で誠実な姿勢を持ち、現実を直視しながら、常に自分に働きかけ、他者に発信しなければならない」と思う。まだまだ私は、私が尊敬する人物の足元にも及ばないと自負している。だからこそ、彼らから学んだことに本気で取り組み、そしていつか私が尊敬する二人の人物を超え、彼らから得た叡智を他者に還元したい、そう強く思う。この意志こそ、私が尊敬する人物への最大の恩返しであると確信している。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。順位表を見ての通り、チームは厳しい状況に置かれていますが、チーム一丸となり、全身全霊を傾けて戦い抜きます。今後とも専修大学体育会サッカー部の応援、宜しくお願いします。

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