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部員ブログ

2021.10.08
手塚文登
ギラギラ

本日ブログを担当させていただく2年の手塚文登です。今回、訳あって私には時間が多くあるので長々と綴らせていただきます。

私は前回のブログで、個人的な視点だけでなく、客観的な視点からも変わったなと思われるようなプレーを示していきたいと述べた。それから長らく低迷していたが、夏休みに入ったあたりから、ようやく自分のプレーを出せてきて、少なからず周りからも評価されるようになった。

その矢先、私は怪我をした。それも割と大きな怪我を。やった瞬間は今でも覚えている。「あ、終わった。なぜ今」と頭の中で思ったことも忘れていない。

あの時、頭の中がごちゃごちゃでしっかり感謝を伝えたか覚えていないのでこの場を借りて言わせていただく。あの長く急な坂をおんぶして上まで運んでくれてありがとう遠藤太一。

丁度怪我したのがお盆の時期で病院がやっておらずバタバタしたが、結局手術が決まった。弾丸での入院、手術を経て現在はリハビリをしているが、まだ松葉杖なしでは生活できない。私は日記をつけているため、怪我をしてから今日に至るまでを振り返ってみると、まぁマイナスな感情が多く書いてあった。怪我は成長するチャンスだとよく言う。確かにそうかもしれないが、そう自分に言い聞かせて意地でもポジティブでいようとしているだけだと、私は思う。

そんな暗い日々の中でも、増くんからの励ましのLINEや、入院直前の豪からの差し入れ、突然かかってくる健汰と亮佑からの電話は嬉しかった。まあ、入院中に明日チームラボ行こって言ってきたことは憎かったぞ健汰。

少し話がそれましたが、理想と現実のギャップに苦しみ、マイナスな感情から生まれる恐怖や不安にぶち当たる毎日だった。サッカー以外のできることに手をつけてみたが何か違うし、現時点でサッカーが無くなった私の存在価値とは何だとも思った。強いて言えば、毎週末熱い戦いが繰り広げられるプレミアリーグの1ファンだなくらい。

現在の私はプレミアリーグと、もう1つのことで保たれていると言っても過言ではない。それは東野圭吾さんの小説を読むことである。

昨日読み終えた「卒業」は、卒業を控えた大学4年生の親友6人の中で繰り広げられるミステリーな内容である。東野圭吾さんの著書はどれを読んでも外れがないので是非読んでほしい。しかし今回は、内容とはあまり関係のない場面の文章に感銘を受けた。

就職で地方から上京することが決まったが、父の広次は反対をし続けていて、それを振り払って東京に行くことを決めた娘の沙都子。そのやりとりの後にこう書かれてある。

そうして沙都子は家を出てきたのだった。沙都子は今、広次が反対し続けてくれたことに対して、一種の感謝のようなものを感じている。彼の反対により、自分の意思を再確認するチャンスが何度も与えられたからだった。こうして卒業式に出ている今も、自分の気持ちに迷いがないことを、しっかりとした感触として受けとめることができる。

この文の沙都子を自分に、彼の反対を怪我に、置き換えて読んでみると、なにかぴたりとハマるものを感じた。今、間違いなく自分の意思を再確認することができている。そして、この気持ちに迷いはなくしっかりとした感触として受け止めることができる。決して揺るがない強い意志である。

その意志をここで述べようとは思わない。ここで公言できるほど、強い人間ではないからかもしれない。だが、復帰してギラギラした私を見てくれれば、それが伝わるはずだ。

仲間やチーム、身近な存在の活躍を聞く度に奮い立たされる。奮い立たされても、何もできない現実はとても歯がゆい。でもその分ギラギラさのゲージは溜まっている。

あれ、何か成長しているのかもしれない。

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