4時20分、25分、30分、35分という鉄壁のアラームをセットして寝る生活もあと数日で終わり。
このアラームをはじめてセットした約4年前、私は周りの選手の左胸に光るエンブレムを見てビビり散らかしていた。
彼らの会話の中で飛び交う「プレミアリーグ 」「プリンスリーグ」というワードは東京2部リーグでプレーしていた私にとっては未知の世界だった。
u19日本代表?FC東京?マリノス?青森山田?ジュビロ?ジェフ?尚志?インハイ優秀選手?
なんだ同期全員天才か。
彼らと自分の経歴を比べると劣等感を感じることもあったが、同時にこのレベルで4年間サッカーができるという喜びで溢れていた。
そして、これまで培ってきた自分のサッカーがどこまで通用するのか、自分にとっての大きな挑戦のつもりで専修大学サッカー部に入部した。
迎えた一年目。
プレーしてみて思ったことは、
自分のプレーは通用するんだ。このレベルでもできる。
そういった感覚を持つことができ、私の大学サッカーは、良いスタートをきれた。
だがそれは大きな間違いということにすぐ気づく。
私はAチームに居続けることができず、AとA2を行き来するエレーベーター選手になってしまった。
良いパフォーマンスを継続してできなかったからだ。
毎日全力でプレーしていたのにパフォーマンスを維持できない原因が分からず自分に苛立っていた。
やっぱりここは自分がいちゃダメなレベルなのかと思う事もあった。
今考えると原因は色々あるんだろうけど、はっきり分かるのは当時、自分のプレーに意図をもててなかった。このプレーがしたいから、好きだから、それだけでプレーしていた。
ポジショニングもそうで、ここでボールが欲しいからここに立つ。味方のスペースのことなんか一切考えてなかった。
そう。サッカーというものを全く知らなかった。
入学当初良いスタートを切れたのも、たまたま調子が良く、感覚でやっていたものがこれもまた、たまたまハマっただけだろう。
この自己満足プレーは、普通中学、遅くても高校で卒業しなきゃいけないのに、私は結局大学になっても卒業出来ずにいた。
この課題には、長い間苦しめられ、なかなか改善できずにいた。
改善したら、これまで自分が得意としていたプレー、好きなプレーが全く必要なくなり、自分のプレーヤーとしての存在意義がなくなるとおもっていた。
だけど変わらないと試合には出れないので、変わろうと努力した。
サッカーを知れば知るほど、自分じゃなくなる感覚が怖かった。
それでも変わろうとした。
まだ自己満プレーが抜けてないと思う人もいるかもしれないが、一年から僕のプレーを見ている人はだいぶ変わったと分かってくれるはずだ。
いつしか監督に言われた言葉。
「もときを試合に出すのはギャンブルなんだよ。良い時は良いが、悪い時は試合を壊す。」
当時は不満に思っていたが、今では理解できる。
確かもう1人同じこと言われてた人いたっけな〜。
そして変化を少しは認めてもらえたのか、だいぶ理想からは遅れたが3年の時にやっと関東リーグデビューを果たせた。
課題を見つけて変化した結果、目標を達成出来たことはこの先の自信につながるだろう。
そして最終学年、チームとしては本当に苦しいシーズンになってしまったが、個人的には有観客のときに、両親に試合を見に来てもらうことができたことに関しては満足だ。
4年間悔いはない。
チームメイトは大好きだ。
特にこの最後の年はすごく楽しかった。
以前、祖母と会った時に、大学生の今、何してる時が一番楽しいの?と聞かれた。
真っ先に頭に浮かんだのが、練習後にやる君たちとのボール回しとか、グダグダしながら雑談してる時のことだった。
もう後、数日しかないのは寂しいものですね。
良い出会いができた。
出会いといえば、加藤慎太郎ことカトシンとの出会いには驚いた。実はカトシンと僕は小学生の頃よく試合をしたチーム同士でお互い21番でライバル関係にあった。彼はその後エリート街道まっしぐらで、u19日本代表に選ばれた時は驚いた。カトシンとは二度と一緒のピッチには立たないんだろうと思っていたが、まさかの大学で再開。もっかい一緒にピッチにたてて良かったよ。しかも今度は味方同士で、心強かったよ。プロでも頑張れ。応援してる!
そして、帰り道が同じということもあって仲良くなったマスシン君。彼は大親友だ。マスシンの尊敬するところは羞恥心がないこと。到底私にはできないような奇行も彼はなんの躊躇もなしにやってのける。すごいよ。コロナ前は、練習帰り新宿で上手いラーメン屋探しながらぶらぶらすることも楽しかったな。他の事は気が合うのに、食事の趣味だけ合わんから探すのが毎回大変ね。ガソリン代はいつか返します。最高に楽しかった。ありがとう。
サッカー人生最後のチームメイトがみんなでよかった。ありがとう。
家族へ
私のボールスキルは小学生の頃にやっていた父との水曜日の秘密の特訓で培われたのかな。
18年間サッカーを続けてこれた私の体は、常に母の完璧な栄養バランスの食事によって、動いてきたよ。
兄がいなかったらサッカーはやってない。
常に背中を追ってきたよ。
これまでにしてきてもらったこと全て詳細に覚えています。その全てにありがとうと言いたいです。
そしてここからは、急遽書くことになったものです。
今日A2とBのアイリーグ最終節が専修のホームグランドで行われ、2試合とも観戦した。この試合に出ている選手の大半が4年生で、彼らにとってこれがサッカー人生最後の試合。
結果は2試合とも3-2で勝利という劇的な試合で、本当に感動した。
「お金を払ってでもみたい試合」
観戦してる何人かが言っていた事だが、本当にそう感じた。
4年生のプレーからは心を動かされるものがあった。
峻→マスシン→和拓の4年生で繋いだゴールはしびれた。
一緒に観戦していた安野君が試合後に、目頭をあつーくしてるのを私はしっかりはっきりと確認しました。
寮生は4年間もずっと一緒にいたので特に強い想いがあったのだろうと思う。
少し羨ましいと思ったな。
2年生の根本君の献身的なプレーにもちょっとだけ感動したので、雨で濡れたユニフォームで抱きつかれて私服がびしょ濡れになったことは許します。頑張ってね。
今日は最高な試合を見させてくれてありがとう。
最後に
関東リーグは昨日の敗戦で、2試合を残して関東2部リーグからの降格が決まってしまいました。
チームとして得点力不足が目立ったシーズン。
自分は攻撃の選手のくせにシーズン通して無得点という情けない結果で、本当に不甲斐ないです。
後輩にはプロになるべき選手が何人もいるので、絶対そのチャンスを潰すようなことはしたくなかった。
本当に申し訳ないです。
ただ諦めないで欲しい。自分のため、家族のためにプロを目指して欲しいです。応援しています。個人的にはヒカルに注目してみています。
あと山本はやたという選手はすごい選手になるでしょう。彼はバケモンだ。世界が注目するだろう。
引退が残り数日まで迫ってきて、ふと考えたことがある。
自分はいつから綺麗にプレーしようと思い始めたのだろう。
サッカーを始めた頃はもっと泥臭く必死にボールを追いかけていた。
思い出せ。原点に帰れ。
残り数日、小学生の頃の自分を思い出して、泥臭くプレーして、最後までサッカーを楽しみたいと思います。
澤頭元希