大抵な人は、今思えばあっという間だった。
「幸せだった」
きっとそう思う
私もそう。
でもちょっと違う
私の大学4年間はとても充実していた。
話したいエピソードがたくさんあるぐらい長く濃いものだった。
まるで第二の家族のようだった!
どんな用事があっても、サッカーを優先してきた。
それは、専修大学サッカー部に入る前に自分で決めたこと
「サッカーを優先出来なければ、サークルに入ればいい。部活動に入るならサッカーを優先する」
当たり前の事。
だけど、当たり前の事を当たり前にする。
これは何気に難しい。
4年間やり遂げた。頑張った。
継続する事の難しさや大切さを染み染み感じた。
継続は自信になる。
「これ程にも後悔がないものなのか」
今思えば本当に17年間もサッカーを楽しむことができた。
高校生の時、両親が心配するぐらい特に苦しい時期があった。家族や仲間、友達、コーチに支えられここまで続けることができた。感謝しても仕切れない。
特にサッカーを好きで始めた訳では無い自分が、大学でもサッカーをやっている。
小学生は、喘息がひどく、高学年になるまでは後半を走ることができなかった。
(今も全然走れないけど)
肺を鍛える為泳げない水泳を通ったりもした。
中学生の時に入っていた東急レイエス。
(入れたのは奇跡に近い笑)
このチームが大学まで続けられた1番の要因になった。
レイエスは、本当に良いチーム。OBであることをとても誇りを持ってる。指導者は全員素晴らしく、仲間にも恵まれた。
大学でも続けている仲間が多く、試合情報とか見ながら「こいつめっちゃ頑張ってるな」と刺激をもらった。
中学生は毎日の練習が楽しく、サッカーの面白さをより体感した。正直、試合より練習の方がレベルが高く、練習の方が楽しかった(笑)
この頃から、サッカーすることが楽しく好きになっていった。
しかし、高校時代では思うような結果を残せず悔しく、苦しい経験だった。今となれば、人として1番の成長をした時期だった。
大学では、特に目標を持って望んだわけではない。楽しくサッカーをやれればそれが全て。
最後に笑って終われれば最高だなって思って始めた。
引退して今思う。
「部活動でよかった」
「Bチームでサッカーやってよかった」
引退試合。
最高に素晴らしい試合だった。
怪我しても諦めず頑張ってきた駿介や隼稀を後ろから見ながら感動していた。
(正直絶対泣くと思ってた笑)
でも、最後のホイッスルが鳴ったとき自然と笑顔で終われた。
やり切った。後悔が何も残ってなかった。
最後に1番良い試合ができた。
全て仲間のおかげ。
仲間に恵まれた。って改めて思う。
2年生の時もBチームに引き入れてくれた先輩達。
3年間共に戦えた先輩達。
サッカーが好きで、個性が強い同期達。
時には喧嘩もしたけど、
4年間辞めなくて本当によかった。
でも、朝はキツかった。
毎朝まさやと駿介と練習に向かうのが日課だった。
まさやは、朝練の時間でも基本的にずっと喋っている(笑)
きっと、同じ話を大学生活で10回は聞いたよ、、みたいなことはよくある。
同じ学部もあって、プライベートで温泉行ったり1番多く出掛けた。
駿介は、何度も遊園で起こしてくれた。遊園に着いたのに、寝ていた自分を起こす為に、登戸まで行っちゃった時もあったぐらい、めっちゃ良いやつ。(急いで逆側のホームに行けば、ギリ練習は間に合う)
そんな毎日が楽しかった。
4年間支えられながら、充実したサッカー人生を送れた。
支えてくれた友達。
話を聞いてくれた友達。
楽しませてくれた友達。
全ての友達にありがとうと伝えたい。
最後にいつも側で支えてくれた家族には本当に感謝している。
ありがとう。
多くのことを語りたいけど、1つだけ言わせてください。
将来こんな家族になりたい。
そんな理想な家族です。
私は、
サッカーは勝負の世界だけど、
「結果より過程」が大切
だとサッカーを通じて改めて思った。
結果は残せなかったけど、、これ程素晴らしい思い出が残っているならそれも間違いない。
17年間のサッカー人生に関わり、支えて下さった方々に心から感謝しています。
今後の人生も宜しくお願いします!
今までありがとうございました!!
渡辺陽介