常識ってなんだろう。
当たり前ってなんだろう。
そんな常識もわかんないの?
そんなの当たり前だろ
なんて言葉が会話の中に飛び交うことがあります。
でも常識ってなんだっけ?
それは誰が決めたことなんだろう。僕はその度にこう思います。
そして先日、そんな常識を問われる衝撃的な出来事が起こりました。
ロシアとウクライナの戦争です。
これまで歴史の授業では戦争の背景や悲惨さを学び、2度と起こらないことが常識であると思っていたし、あるわけがないと思っていました。しかし、そんな僕の常識は一気に覆されてしまったのです。
そして、こんな言葉を目にしました。
『常識とは、その人の人生での知識や経験によって作られた偏見である』
有名な哲学者の言葉らしいですが、一概にこのことが正しいと言えるかどうかはわかりません。
でもなるほどなと思いました。
僕たちは気付かぬうちに今までの経験や知識を常識や当たり前だと決めつけ、それに固執していたのかもしれません。
(それでも、戦争は起こしてはいけないというのは世の中の共通の認識であってほしいと思っています)
では、サッカーの常識とはなんでしょう。
サッカーに常識はあるのでしょうか。
局面が激しく移り変わるサッカーで、全く同じ相手と同じ時間、同じ局面が繰り広げられることはほとんどないと言えるでしょう。もちろん点を決めたり、決定機を防いだりするために僕たちは努力しています。けれどその過程に常識や当たり前なんて1つもないのではないでしょうか。
僕はサッカー部に入ってこの一年苦しいことが山ほどありました。大学に入るとすぐに仲間たちとのレベルの差を感じ、仲間の巧さに驚くと共に、自分の弱さを痛感しました。そして差がどんどん開いていくばかりでたくさん悔しい思いをしました。
自分が情けない
どうすればいいのだろう
そんな気持ちでいっぱいでした。
でも今は少しわかる気がします。
自分のプレースタイルが正しいと思い込んで、変化することをやめていました。
壁にぶつかった今だからこそ、自分のプレースタイルや常識に固執するのは終わりにしようと思います。
この考えに辿り着くまでに1年かかりました。遅いかもしれないけど、1年目で気づけたことは良かったのかなと思います。
考え方や意識1つの変化で人は大きく成長できると中学校時代よく言われました。もっと新しい自分になりたい、もっとうまくなれる、そう信じて頑張ろうかなと思います。
サッカーだけでなく人生において、自分が常識や当たり前などと感じていることも、本当は正しいとは限らないのかもしれません。もちろん芯が通っている人はかっこいいし、尊敬します。でも、その考えに固執したり、押し付けたりすることはしないほうがいいのではないでしょうか。なぜならば、あなたにとっての当たり前は、あなた以外の人にとっては当たり前ではない可能性があるからです。少しでも自分が正しいといらないプライドによってやり方を変えることのできない人は、もっともっと成長できる可能性があるはずです。
もし常識に固執してしまっている人がいたら
自分の中の常識をちょっと見つめ直し、さらに価値観を広げて豊かな人生を過ごしていけるきっかけになれば嬉しいと思います。