勉強してるのに
うるさい隣の部屋で、家族が食べるせんべいの音が
気になって仕方がない。
でも
「うるさいから食べるのをやめてくれ」
と言わずに
「一枚おくれ」
と言ってみる。
これが「平常心」
集中が途切れたら作業はいったんやめた方がいい。
柔軟に柔軟に。いいアイデアを見つけよう。
京都での昔の教え。この文章を見つけた時は人生とはまさにこれだと思った。日々楽しく過ごす学びはたくさんある。これは簡単なようで難しく、なんとなくできるものでもない。しかし、少し意識するだけで日常から人生を豊かにすることができる。何かに囚われることなく、学び続けることが大切だ。
そして日常生活を過ごしていく中で
嫌なこと
苦しいこと
辛いこと
逃げたいこと
もう無理だと思うこと
苛立つこと
人間関係が上手くいかないこと
こういうことはたくさんある。でも一喜一憂してはいけない、いつだって「悲観は気分、楽観は意志」なのだから。
日常生活から学び続け、平常心をもって行動し他人に接することができるか。すごく大事だと思う。
また、クリエイティブディレクターの三浦さんはこう言った。
「さざ波を無風ととるか、変化の予兆ととるか。
砂漠に木を植えるのは無駄な努力か。
それとも世界を変える1歩か。」
このサッカー部は、変化するべきか、挑戦するべきか、前に進むべきか。
一人一人考えて、今よりもっと成長した自分・チームを作れるように常に意志を持って行動し続けよう。
まずはチームとして関東リーグに復帰すること。このブレない目標をもって、そして毎日の練習を楽しむ。
どれだけサッカーに真摯に取り組んでいるのかは、顔つきや目線、仕草、立ち方、立ち振る舞い、そういったあらゆることに明らかに現れる。
これはビジネスやアートはもちろん、俺らのようなスポーツ選手もピッチでの立ち振る舞いでその人の生き様は一目瞭然に現れてしまう。
ピッチに立てば、上も下も、過去の経歴も関係ない。
全ての人間がチームを勝たせる意志をもって、成長しよう。
最後に、アリストテレスが語る幸福の定義について触れたい。
「行為それ自体が目的となるような行為こそが幸福だ」
例えば、水を飲む時は「水分を補給する」という実利的な目的のために飲むのではなく、「飲んだ時の冷たさそのもの」や「コップを握った時の感覚そのもの」を目的としてみる。
窓を開けた時は、見える景色そのものを目的としてみる。
歩く時は、地に触れる足の裏の感覚そのものを目的としてみる。
お茶を飲む時は、その一連の動作そのものを目的としてみる。
つまり、今まさに起こっている体験それ自体を目的としようということだ。
サッカーなら、目の前の「サッカー」に没頭する。過去の記憶や何かの経験と比較する必要もなく、サッカーという体験そのもの自体を無心で味わうとき、幸福が訪れる。
小さい頃、公園でサッカーをしていた時のように。
明日は専松week折り返しの鈴木浩大です。非常に楽しみです。