人生は無数の混沌とした選択肢の中で
時に明確な選択肢の中の
人生を自己流に選択する。
人生がゲームなら最後に勝てば良い。
大事なのは乗るべき時刻じゃなく、乗るべき列車で。
確実な方を選ぶのは簡単で
みんなが不安に思い、目を背ける不確実な選択肢。
1分、1時間、1年、100年先の未来が事細かく決まっている人生を
結末を知ってしまった漫画のような人生を。
プレイしたいと私は思わない。
人生の選択を行う分岐点で不確実性は付き物なわけで
子供を持つ、就職をする、起業をする、新しい人に出会う。
不確実性はある自分が死に、またリスクを伴う。
いや、チャンスや驚きにつながる。
確実性が決まった未来なら
不確実性は選択肢があるということ。
私は敷かれたレールを走らない
その無数の選択肢を生きる人間だ。
人間は幾度の選択の場を余儀なく強いられる。
それがいつしか無意識にするようになり。
だから
自分のキャリアや生活を頻繁に点検しなくてはならない。
99人がAと言っても自分1人はBだと言える
意見力、思考力、感受性。
私の本当にやりたいことは何なのか。
私の本当の考えはなんなのか。
私はゲームに勝てるのか。
資本主義国家において大切な希少性。
人と違ったところではなく、人と違った価値を見せることができるか。
だが、勝ち急がなくて良い。
回り道だって悪くない。
回り道こそ重要だったりする。
私は神風ではない
何度も何度も行き先を変え、自分に合った能力、仕事、思考に辿り着く。
生きることの達人は、
仕事と遊び、労働と余暇、心と体、教育と娯楽、愛と宗教の区別をつけない。
仕事か遊びかは周りが決める。
当人にとっては、常に仕事であり遊びでもある。
私は遊びが仕事になる。
仕事後に趣味を楽しむのでなく、仕事によって生活が豊かになる人間だ。
人生選択を行う分岐点である今。
不確実性を追い求め、焦らず目の前のことに情熱を。
だって最後にこの”ゲーム”を勝つのは私で、
これが私の”自己流”だから。