引退した。
大学サッカーが終わった。
自分が思い描いていたものとは全く違かった。
1年
大学サッカーに期待と希望、不安を抱えて、専修大学体育会サッカー部に入部した。
楽しく、全力でサッカーができていた。毎日の練習が楽しくて、サッカーが楽しくて、試合に勝ちたくて、上手くなりたくて、そんな思いの中部活に打ち込んでいた。
優しい先輩、面白い同期、いろんな仲間に囲まれて充実していた。
2年
コロナウイルスが流行した。
サッカーを奪われた。
仲間と会う機会を、友達と会う機会を奪われた。
部活が再開しても、前とは違う形だった。
制限が多くなった。
純粋にサッカーを楽しめなくなっていた。
3年
コロナの生活に慣れてきて、気持ちを入れ替え、サッカーにもう一度向き合おうとした。
そんな時に怪我をした。右膝の前十字靭帯断裂。
絶望的だった。
4月に手術をし、復帰は11月。
お世話になった先輩たちと一緒にサッカーができなかった。
楽しかった1年の時のように一緒にサッカーをしたかった。
先輩たちが引退し、いろんな話を聞き、ラスト悔いのないように全力でやろうと決めた。
4年
ラスト1年。
自分たちの代のカテゴリーで色々揉めながらも、楽しく、全力でサッカーができていた。
本当に個性だらけの学年で、サッカーのまとまりは最後までなかったと思う笑
それでも謎の仲の良さ、面白さで、サッカーも私生活も両方とも最高だった。
だが、また怪我をした。
シーズン途中の6月の試合でなった。
今度は左膝の前十字靭帯断裂。
泣いた。
これから自分の目標に向かって頑張ろうとしていた時にどん底に落ちた。
何をすればいいか、どうしたらいいか、分からなくなった。
それでもラスト1年少しでも仲間の力になれるようにチームのサポートをしようと動いた。
だけど正直、サッカーを見ているのも嫌だった。
サッカーを見ると、やりたくなる。怪我したことを考えてしまう。
だけど、みんなと会うと元気が出る。みんなと話すと楽しい。頑張ろうと思える。
そんな葛藤の中でチームのサポートをした。
もっとみんなとサッカーがしたかった。
もっとみんなと試合で勝ちたかった。
もっとみんなと喜び合いたかった。
こんな後悔の言葉しか出てこない。
自分の大学4年間をまとめるとこんな感じだ。
高校まで大した怪我もなく、何不自由なく、サッカーをやることができていた有り難みをすごく感じる。
全て失ってから大切さを感じる。
それでは遅い。手遅れだ。
何事も失う前から大切にしなければならない。
物事でも人でも同じ。
自分の人生で何が大切で何を失ってはいけないのか、何に本気になるのか、何が好きなのか、それらは常に考えなくてはならない。
手遅れになる前に。
だが、怪我は仕方のないものだ。
怪我をしてしまったことはしょうがない。
そこに目を向けるのではなく、自分のできること、その怪我を前向きに捉えられることが大切だ。
今怪我をしている選手はたくさんいると思う。
怪我なんかで目標を変えないでほしい。
怪我は乗り越えられるもの、捉え方でプラスに変えていけるものだ。
ここで踏ん張り、頑張ることで得られるものは大いにある。
だから、怪我に負けずに頑張ってほしい。
大学ではあらためて、自分がどれだけサッカーが好きで、サッカー中心の人生だったかを再確認した。
そして、やっぱりサッカーに一生関わりたいとも思った。
今までの目標と新たな目標ができた。これらを達成する。行動する。後悔を少なくするために。
学生の終わり、人生の大きな分岐点。
同期は様々な形で人生を歩んでいく。
これからも色んなことがあると思う。
それでも負けずに自分の幸せのために生きてほしい。
そして、あった出来事を思い出にして話そう!
部活の時みんなとだらだら話すのが好きだった。
部活終わりグランドで、友達の家の前で、それは日課になっていた。
今それがないのは少し寂しいし、みんながどうしているか気になる。笑
これからもみんなとそんな時間を作りたい。
だから、どんどん誘ってください!
俺も誘います!
これまでのサッカー人生、多くの人に支えてもらってきた。
こんな自分を気にかけてくれた方々、本当にありがとうございました。
その中でも1番は家族。
何不自由なくサッカーができ、学校に通えたのは親の支えがあってこそである。
本当にありがとう。
まだまだ迷惑かけるかもしれないけど、これからは少しずつ返していきたい。
「人生、苦しい時が登り坂」
これは自分の1番尊敬する人、父の座右の銘。
何回も聞いてきた言葉。
全てが上手くいっている人なんていないと思う。
苦しい時にどれだけ踏ん張れるか、這い上がれるかが重要だ。
その苦しい出来事はいろいろある。
怪我かもしれないし、失恋かもしれない。
いろんなことがあってもめげずに生きよう。
まだまだ人生はここから。