2年前の今頃。大学のレポートってどうやって書くの?参考文献ってなんやねん!って友達と必死にLINEで相談していたことをふと思い出しました。そして1年前。テスト期間中なのにコロナになりありえないぐらいの寒気と喉の痛さに襲われました。そして今年。唯一のテストが先日終わりました。レポートもあと1つだけです。夏休みを楽しむ準備はもうできています。
3年生の小森です。すっかり夏ですね。僕は最近うどんにハマっております。私のお気に入りのうどん屋さんは「麺散」です。ぜひ行ってみてください!
少しだけサッカーの話をしましょう。結論から言うと、やっとIリーグ勝てました。8試合目にして。でも、素直に喜べなかったんですよね。8割ぐらい嬉しくて残り2割がモヤモヤってしてるんすよ。だって自分も試合に出たかったし勝利に直接的に携わりたかったから。この思いを心に秘めて、活力として頑張っていきたいです。
少し前の事ですが、僕は試合に出れないことに対して不貞腐れてました。別に誰がどうこうとかじゃなくて自分の実力がないだけなのに。大学サッカーは実力のある者しか楽しめないのかなって。なんでしょうね。Bの同期はスタメンだっだり途中出場で頑張ってる。自分はベンチだったりメンバー外の日もあったり。帰り道だったりご飯の際の何気ない会話。内容は自然と試合のことに。なんとなくその場にいたくないからときおり1人で帰ったり。身にまとうことがなかったユニフォームを持ち帰る日々。来週も再来週もきっとこんな感じなんだろうなって。あっ、面白くないし楽しくないな。もういいかなって。
別に辞めたいとは思ってはいません。性格的に家でゴロゴロはできないし4年間やり切ることを大前提に専修大学に進学を決めたので。それでも親と素直に話してみました。「けっこうきついわ」って。まぁ予想通りの返答が返ってきました。内容は割愛させていただきますが、感じたことは結局自分がどんな人間でありたいのか。試合に出て活躍してるのも自分。試合に出れないで指をくわえてるのも自分。走りの練習でズルして線を踏まなかったりコーンの内側を走ってるのも自分。要は、どんな時だってそこにいるのは自分だってこと。だからこう思いました。他人は結果しか見てくれないけど自分だけは過程を見てあげよう!って。
ここからは凄く個人的な話をしたいと思っています。サッカーとはまったく関係ないし、あくまでも私自身のフィーリングのお話です。僕は3年生になって、年齢など関係なくジャンルの異なる方々と関わりたいと思うようになりました。そしてサッカーしかしてこなかった自分とは別世界の方々と関わらせて頂くための機会を作りたいって思うよになりました。きっかけは、僕がお世話になってるあるお店で、様々なライフスタイルとカルチャーが交差する社交場的な空間で、自然とコミュニケーションが生まれていて、うわ、俺もこんなふうに話したい!って思ったからです。
そのために、初対面の人や違う世代の人とコミュニティだったり繋がりを持つ必要があるんですよね。例えばジムで順番待ちの時に偶然話した人だったり、友達と遊んでる時に偶然居合わせた友達の友達とか。要はウイークタイって呼ばれる「弱い紐帯」が大切なんですよね。簡単にいうと、ちょっとした知り合いとかの弱いつながりのことです。
最近では、ジムで出会ったとある社会人の方と仲良くさせていただいており、仕事やプライベートの話をしたりと本当にお世話になってます。最近では、その方に丹沢の大山に登山に連れて行ってもらいました。31日にもトレーニングを兼ねて登りに行く予定です。他の方からは、予定ですが長野県での高地トレーニングに誘っていただいたり、私が望んでいた弱い紐帯が少しづつ形成されてきました。とても満足してます。
せっかく社会人の方々だったり、いろいろな刺激を受けているので何か学びたいなと。
感じたことは、これまでの人生で自分は他者に何かを「与えてきた」のか。
それとも「与えられてもらってきた」のか。
少し悩んだり考えようかなって思いましたが、そんな必要ありませんでした。私は圧倒的に後者です。
これまでの人生で、環境も人との出会いもなにもかも与えられてもらってばかり。
これからは何か与えられる人間になってみたいなって思ったり。
長いお話にお付き合い頂きありがとうございます。
これからも引き続き専修大学サッカー部の応援をよろしくお願いします!