父さん、母さん、もえ(妹)、おばあちゃん、そして地元のみんな『ただいま。たくさん遠回りしたけど、やっと帰ってきたよ。でも俺ダメだったわ。』
『プロサッカー選手になる』
大きな夢を描いて、必死に追いかけ続けた18年間。
父の影響で4歳からボールを蹴り始め、父がコーチを務めている少年団に所属した。練習のない日には自転車でケツを追いかけられ、ひたすら走り、そのまま公園に向かい、マンツーマン指導。幼少期からサッカー中心の生活をしてきた僕にとって長いサッカー人生の始まりとなった。
私は小学4年生に上がるタイミングで2つのセレクションに合格し、『JACPA東京FC』そして『FC東京アドバンスクラス』に3年間所属した。東京でサッカーをしていた人なら分かると思うが、いわゆるエリート街道を辿っていた。
中学時代は『Forza’02』で過ごした。この3年間はとにかく走って、走って、走りまくった。日本一走っただろう。正直サッカーは教わってない。『闘うこと』を教わった。
高校では親元を離れ、埼玉の『浦和学院高校サッカー部』に入部し、寮生活を送った。スポーツ推薦で入部した僕はサッカークラスというものに割り当てられ、平日は体育の授業として午後から練習ができていた。とにかくサッカーだけに集中できる恵まれた環境だった。
そして、大学4年間をここ『専修大学体育会サッカー部』で過ごすこととなった。この4年間がプロサッカー選手になるラストチャンスだと思い、覚悟を決めて入部した。
1年目
とにかく残酷だった。
チームが始動し、自分は1番下のカテゴリーからのスタートだった。しかし、練習は1時間。練習スペースはサッカーコートの4分の1。指導者もいない。もちろん週末の試合もない。それゆえ何人も腐って辞めた。正直、自分もサッカーをしている意味を見失っていた。
そんな矢先、夏にやっさん(安永聡太郎さん)が自分たちのカテゴリーのコーチとしてやってきた。やっさんは一人ひとりのプレーを評価してくれることが多かった。自分のプレーを見失っていた僕に『足元の技術』と『スピード』という武器を認識させてくれた。本当に感謝している。
2年目
2年目はサッカー人生で1番濃かった。
・トップチーム昇格
・関東リーグ初スタメン初ゴール
・新人戦日本一
2年目も1番下のカテゴリーからのスタートだった。去年のように先の見えない時間を過ごすのかと思っていた。
しかし、滅多に行われないカテゴリー間での紅白戦で、自分のプレーを評価され、A2に昇格した。
そこから1ヶ月もしないうちに、人数合わせでトップチームの練習試合に助っ人で参加した。そこでも自分のプレーを評価してもらい、トップチームへと昇格した。
夢のようだった。だって1ヶ月前まで1番下のカテゴリーでプレーしていた自分が、専修大学のトップチームにいるのだから。
そして、月日が経ち
2021/9/26 関東リーグデビュー
ようやくスタートラインに立った。
そこから1週間後の神奈川大学戦で、リーグ戦初スタメン初ゴール。大学に入って初めて家族が試合を観戦しに来た日。そして、マッチアップした相手は高校3年間を共にし、寮生活でも同部屋の晃輔(神大:小林晃輔)だった。今でも忘れない特別な1試合となった。
そしてなんといっても1番の目玉は、シーズンの最後に行われた新人戦で『日本一』を達成したことである。関東予選から通じて1試合を除いた全試合に出場し、ほとんどの試合でスタメンとしてプレーした。
この1年間でプロサッカー選手に大きく近づいた気がした。
3年目
プロサッカー選手になる為の1番大事な1年間。
そうなるはずだった。
しかし、
『グロインペイン症候群』『恥骨疲労骨折』
約9ヶ月の離脱。
9ヶ月間を経て復帰し、チームに合流したが、身体が思うように動かない。目が追いつかない。ボールが足元につかない。
色んな逃げ道を探して、自分からトップチームを離れた。自分の弱さだった。情けなかった。
そして、プロサッカー選手の夢を諦めた。
4年目
プロサッカー選手を諦めた自分は、この1年間がサッカー人生の区切りになると思っていた。
自分が怪我から復帰して苦しんでいる時に、温かく迎え入れてくれたBチームのみんなには本当に感謝している。
みんなのおかげで、大好きなサッカーを最高の仲間と最高に楽しむことができた。
側から見たら仲良しこよしやっている集団だと思われていたかもしれないが、本気で『Iリーグ日本一』を目指したあの日々は、俺たちにしか分からないけど、一生忘れないものだった。
2023/11/11 専修大学体育会サッカー部 引退
最後に、
『父』
「まだまだやれるでしょ、プロになれるでしょ」って絶対に思ってるでしょ?そんなの俺だって思ってるよ。でもやっぱり上には上がいたよ。
サッカーを教えてくれてありがとう。あなたがいなかったら今の自分はいないよ。
本当にありがとう。
『母』
駿(しゅん)からたくさん聞いてたよ。「サッカー続けないのかな?続けてほしい。」って
安心して。サッカー辞めないから。
これからもまだまだ試合観にきてね。
『妹』
俺のサッカーのために色んなものを犠牲にしていたのを知っています。プロサッカー選手になれなくてごめんね。かっこいい兄にはなれなかったな。感謝してる。ありがとう。
『おばあちゃん』
俺の誕生日の2週間前だったね。その日から試合前のルーティンで必ず両手を合わせてます。
もっとサッカーしてる姿見せたかったし、プロサッカー選手としての自分を見せたかったな。でも最後までやり切ったよ。また会いたいな。
『地元のみんな』
プロサッカー選手になるってみんなが期待してくれていたと思う。俺だってなりたかったよ。悔しいよ。みんなの自慢の友達になれなくてごめんよ。またみんなとボール蹴りたいな。
『晃輔、泰輔(神奈川大学サッカー部)』
晃輔とは俺が初スタメンの関東リーグでマッチアップできて、めっちゃ嬉しかった。でも、晃輔のミスから俺が初ゴール決めたのはまじ気まずかったぞ笑。泰輔と3人で関東リーグの舞台で一緒に試合出たかったけど、4年でトップチームでプレーできなくてごめんな。関東リーグ最終節、2人のプレーしてる姿見て、まだまだ辞められないなって思っちゃったよ。だから、社会人チームでサッカー続けることにしたよ。ありがとうな!
『駿佳』
中学から大学まで一緒で10年目の仲だね。プロになることを期待してくれてたよね。俺だってまじでなれると思ってたよ。あとは晃輔に期待しようぜ。
俺は勝手にみんなの期待の星だと思っていた。
みんなが自分のことを自慢できるようなすごい人になりたくて必死に頑張った。
辛い時苦しい時も、みんなの顔を思い浮かべると自然と勇気づけられ、頑張れた。
それなのに結果が出なくて本当にごめん。
プロサッカー選手にはなれなかったけど、この18年間は無駄じゃなかったよ。
みんながいなかったら、こんなにもサッカーを続けてこれなかったと思う。
これからは精一杯恩返ししていきます。
ありがとうみんな。
そして、これからもよろしく。
本田彪