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部員ブログ

2023.12.03
斉藤樹生
サッカー人生に関わってくれたすべての人たちへ

こんにちは。

4年の斉藤樹生です。

これまでのサッカー人生は人に助けられ、人から様々なことを学び、

仲間と喜び、悔しい思いをたくさんしてきました。

まずは、これまでの自分のサッカー人生に関わってくれたすべての人たちへ感謝します。

本当にありがとう。

ここからは、自分のサッカー人生を少し振り返ろうかなと思います。

サッカーを始めたきっかけは、幼稚園生の頃に、

「つまらなかったら帰っていいから」と両親に言われ、

サッカースクールに連れて行かれた。

黄色と青のストライプ柄のユニフォーム。

チーム名は忘れました。

相手全員をドリブルで抜いてゴール。

かと思いきや何故かそれが自分のチームのゴールに決めてしまっていたという訳がわからないこともありました。

これが幼稚園で覚えている記憶です。

次に、小学校。

誘われて入った妙典キッカーズ。

低学年の頃はよく練習休んでいたし、

試合に負けても悔しいなんていう気持ちもあまり持てなかった。

小5の時から始まったトレセンは化け物しかいなかった、特に中川創(現:藤枝MYFC)。

彼はやばかった。こんなやつに勝てる訳ないじゃんと心が折れた。

だから、サッカーよりも友達とデュエマとかDSをしている方が楽しかった。

こんな自分のサッカー人生を大きく変えてくれたのが中学校。

謎に中学受験をし、獨協埼玉中学校へ入学、千葉に住んでいたのに。

電車で1時間半。めっちゃ遠かった。

しかもサッカー部はあまり強くなく、同期は13人いてその内初心者が7人。

まともにサッカーできたのも水野と小早川くらい。

これでは無理だと、強いクラブチームに入りたいと両親に伝えた。

その時、両親から、

「自分が獨協を強くすればいいじゃん。」と、

当たり前で単純なことなのにその当時は信じられない程自分の中に響いた。

そこからは、部活がない日は学校から帰ると公園でひたすら自主練をした。

ただひたすら自分が獨協を強くしたいという想いから、

仲間に強く当たってしまうこともありました。ごめん。

それでも最後の大会では優勝。

あの初心者しかいなかったチームが市内で1番強くなるなんて正直思わなかった。

めっちゃ練習したし、負ければめちゃくちゃ泣いたし、何よりもこんなにも素晴らしい仲間に出会えて本当に良かった。

充実した3年間を過ごすことができた。

高校もそのまま獨協埼玉。

ありがたいことに1年の時からインターハイ、選手権に出させてもらった。

県大に出場しても、1回勝てばすごいと言われるようなチームだったが、

本気で選手権に出たいと思いながら、練習も走りも本気で取り組んだ。

しかし、最後の選手権は1回戦で敗退。

あそこで自分が決めていればと今でも悔しい。

そして大学。

今まで自分が1番上手かったはずなのに、1番下手な奴として見られた。

練習着はどこかのクラブとか選手権常連校のエンブレムを付けていた。

でも、その環境に入れたことが嬉しかった。

次はこの仲間と毎日サッカーができるのだと。

1年の時にやっさん(安永聡太郎さん)に評価され、試合にも出させてもらった。

2年目もこの調子でいくぞと意気込んだ矢先に肉離れをし、それが癖になってしまい、1試合も出場することができなかった。

3年目はBチームで社会人リーグに出場した。

ガヤさん(西ケ谷隆之さん)に少しの期間指導してもらい、サッカーの幅が広がった。

4年目はIリーグに出場した。

また肉離れをして最後の試合は5分しか出られなかったけど、みんな本気で全国目指して練習して、幹太と太一は練習中に泣くほどの喧嘩して、
雄心の審判はてきとうすぎて、涼斗はジュノンボーイになれて、他にも意味わからんことがいっぱいあり、毎日が充実していて楽しかった。

4年間で1番楽しい時間だった。

この最高の景色を見続けることができたのは仲間、指導者、両親などこれまでのサッカー人生に関わってくれたすべての人たちの支えがあったからです。

最後に感謝の言葉を伝えたい人にこの場を借りて書かせてください。

【4年生の同期】

自分の知らない世界を見させてくれてありがとう。全員化け物みたいに上手いです。何をしたらそんなに上手くなったのかい?と聞きたいくらい上手かったです。

でも、君たちのサッカーの上手さよりもサッカーに対する向き合い方に尊敬しています。

どんなに苦しい状況でも練習をし、チームのために声を出し、時にはありえないくらい言い合う姿を見て、この仲間に出会えて良かったと思いました。楽しかったです。

【獨協埼玉サッカー部の仲間】

みんなに出会えたからサッカーが大好きになりました。みんなともっと上に行きたかったです。

でも、最高に楽しい6年間をありがとう。これからもよろしくね。

【水野歩】

水野にはもう少し。君がいなかったらあんなに頑張れていなかったと思う。俺たちがんばったよね。

サッカーもプライベートのことも何でも語り尽くしたような気がします。

最高の親友です、本当にありがとう。

【森脇先生・成瀬先生】

先生たちからは、人間性を学びました。挨拶、人を想いやる、振る舞いなどたくさん学びました。

先生たちから歴代最強と言われたのが嬉しかったです。ありがとうございました。

【曽我部先生】

トレセンが遅くまであったのに毎週迎えにきてくれてありがとうございました。帰りの車でその日のプレーのフィードバックをしてくれたことが自分の力になりました。

県トレの選考会の時に、

「この景色を見せてくれてありがとう。」と自分に言ってくれたことがものすごく嬉しくて、この人のためにもっともっと頑張ろうと思うようになりました。

【高橋先生】

3年間自分を使い続けてくれて、信頼してくれてありがとうございました。

於保先輩、榎本先輩との2トップは中々厳しかったです。(笑)

高橋先生が浪人することを後押ししてくれたから大学でもサッカーができました。本当にありがとうございました。

【熊谷先生】

「『何が良かったのか』そんなもの未来が決めます。今に全力を。」

卒業の時に書き残してくれた言葉です。今までの人生で1番響いた言葉でした。

この言葉を今でも大切にしながら生きています。浪人の時にも支えてくれてありがとうございました。

【母】

中学と高校の時に、朝が早いのに毎日弁当を作ってくれてありがとう。

充実したサッカー人生を送ることができたのは間違いなくあなたのご飯のおかげです。

中学受験の時にたくさん喧嘩して、家から締め出されたこともあったけど、獨協に行けて本当に良かったよ。ありがとう。

【父】

自分にサッカーを教えてくれてありがとう。

江戸川とか妙典小で一緒にサッカーするのが本当に楽しかった。試合のプレーを褒めてもらうのが本当に嬉しかった。

まだサッカーは続けます。これからも頑張ります。

【サッカーで関わってくれたすべての人たち】

サッカーを通じて出会ってくれて、友達になってくれて、喜びを分かち合ってくれて、一緒に泣いてくれて本当にありがとう。

最高の試合をしてくれて本当にありがとう。楽しかったです。

またどこかで一緒にサッカーをしましょう。

長々とお付き合いしてくださりありがとうございました。

これからも専修大学サッカー部をよろしくお願いします。

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