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部員ブログ

2024.11.22
田中幸樹
終わりなき旅

時は2010年。テレビをつけると話題はワールドカップで持ちきり。

今でも覚えている。日本vsオランダ。オランダの10番が放ったシュートは日本のGKの手を思いっきり弾いて

ゴールに吸い込まれた。それが私とサッカーとの出会い。

当時は南アフリカワールドカップに加え、イナズマイレブンもすごい人気だった。

小学2年の私はクラスのみんなと公園に行ってとにかくボールを蹴りまくった。

楽しかったなあ。色んな選手とアニメの技を真似しまくってよく叫んだ。笑

結局、その公園の隣の家にボールをぶち込みまくってサッカー禁止にされたのも今では良い思い出。

そのままクラスの仲良かった奴に乗っかって、クラブチームに入団した。

自分で言うのもなんやけどセンスはあったみたいで、入ってすぐ6年生に試合にも出させてもらった。

小学校の時も色々あったけど、とにかくサッカー楽しんでたかな。

両親にたくさんレプリカユニフォーム買ってもらって毎日それ着て学校行ってた。

1番お気に入りやったんは、ブラジル代表のネイマールのやつ。

そして中学に上がるとき。自分のサッカー人生の転機の1つでもあるかな。

ギラヴァンツ北九州u-15のセレクションを受けた。

2個上のチームの先輩が受かったのもあって、勇気を出して受けさせてもらった。

1次セレクションから3次セレクションまであって、通知の封筒を毎回ドッキドキしながら開けた。

3次セレクションの通知を家族みんなの前で開けて、合格やった時は馬鹿みたいに嬉しかった今でも覚えてる。

北九州で戦いまくった猛者どもとこれからサッカーできるってなってめっちゃワクワクした。

まあこの3年間も色々あったけど自分がどんどんサッカー上手くなっていったし、

どんどん自信もついてきてサッカーへの価値観もだいぶ変わったかな。

そして高校。これもサッカー人生の転機。

自分が中学の時、全国優勝しまくってた東福岡に進学する。

当時テレビで観てて、あまりにもカッコ良すぎて両親に中1の頃からヒガシに行きたいって言って入学することができた。

ヒガシは本当になかなか凄かった。笑

校舎はアホみたいにデカくて綺麗やし、本当に生徒全員男やし、成績の弾幕も全国優勝ばっかやった。

先輩達もみんないかつくてゴツいし、テレビで観たことあるような人達が校舎そこら中うろついとってめっちゃ変な感覚やった。

これからこんなとこでサッカーすんのかと思いながら、とにかく楽しみやった。

入寮初日、隣の部屋は中学一緒のチームの心太やったんでとりあえず一安心。

部屋の近くは北九州メンバーが多くて顔見知りやったからまあなんとかいけるかなって感じやったけど、

小倉南の奴らは尖りまくってて、最初は仲良くなれる気全くせんやった。笑

そんで最初の練習。1年生だけで練習することなって、今度は九州で戦いまくった猛者どもに加えて、

アルビレックスとかヴェルディとかレイソルとかレノファの奴らまでおって、すげえなこの高校って思った。

自分もやれる自信はあったし負けたくないなって思いでアピールした。みんなめっちゃ上手かったし、

我が強いやつばっかで、とにかくアピール合戦みたいな感じでめっちゃ楽しかった。

それでもヒガシは部員が多くてとにかく競争が激しい。1年生チームだけでも3カテゴリーくらいに分けられる。

自分もヒガシの中じゃ全然平凡やったし、目立てる存在じゃなかった。1年生の頃からとにかく毎日がむしゃらに頑張ったな。

球蹴男児リーグっていう1年生のリーグ戦があってそこに出場できるように練習してた。

1年の時だけでも思い出だらけ。アウェーの時にメンバー外なっちゃうと寮にメンバー外せれた奴らだけのスリッパが廊下に並んでて、

みんな不機嫌でどんよりしとる。あの感じは今でも思い出したくない。笑

サッカーやってる奴あるあるやろうけど、自分がメンバー外された時に負けたり同ポジの奴が怒られたりすると嬉しいよな。笑

そんで調子上がってスタメンなったと思ったら古典のばりだるい先生に放課後永遠小テストさせられて練習遅れて、

本田と一緒にスタメン外されたり、1年生大会負けたり。笑

色んなやつと出会えて、とにかく刺激的な毎日で、何よりヒガシのみんな仲良すぎて寮生活毎日楽しかった。

入学早々、ピーの誕生日祝いで部屋で大騒ぎして志波さんに怒鳴られたのも今では笑い話。笑

2年になって、下川さんにFWにコンバートされてこれで色々と変わった。

結構うまく行って、すぐセカンドチームに昇格できてそこでも試合いっぱい出ることができた。

めっちゃ楽しかった思い出しかない。自分もずっと調子良かったし、周りには天才みたいな奴がいっぱいおった。

せんたとか、鹿取君とか、しょうた君とか上手かったな。全部欲しいタイミングでパスしてくれるしおって欲しいところにおってくれる。

何より県1チームがめっちゃ強かった。Aとの紅白戦はしょっちゅう勝ってAを走らせてた。笑

荒木遼太郎さんがいる時だけは絶対勝てんやった。あの人はマジでバケモン。。

選手権の全国のエントリー入れるよう頑張ってたけど、決勝でまさかの筑陽に負けた。

スタンドから観てたけど衝撃すぎて何が起こったのかもよう分からんやった。

すぐにプリンス参入戦もあってサガン鳥栖との試合に後半スタートから出場したけど、これも負けた。

色々と大きい負けが重なってしんどかったけどすぐに新チームが始まって競争が始まるし、切り替えるしかなかった。

そして3年。立場的にはトップの試合に絡めると思ってたし、自分の調子も良かった。新年一発目の波崎遠征。

メンバー入れず。長期遠征のメンバー外はなかなかメンタルにくるし、正直なかなかしんどかった。

しかも結果見たら色んな強豪ボコボコにしとったし、これはもっと頑張るしかないって感じやった。

そして新人戦。ここで初めてトップチームのメンバーに入った。13番。嬉しかったなあ。

ずっと憧れやったヒガシでついにトップで試合出れる。すぐ両親に連絡した。

しかもデビューの北九州高校戦は小学、中学のチームメイトやった奴らがおるチームで変な感じやったな。

その試合でゴールも決めれた。気持ち良すぎたほんと。

でも新人戦準決勝。ギラのチームメイトやったよしと、わたる、そうまがおる九国にPK負け。

優勝当たり前のプレッシャーはあったけど、いざ本当に負けるとなんも言葉が出てこんやった。

(ピーがPK外しました^ ^)サニックスにも出れんしだいぶ絶望やった。

でもここでどえらい問題が起こる。コロナウイルスが襲ってきた。

インターハイは中止、練習も中止、学校も休校、自宅待機。当たり前の生活が当たり前じゃなくなった。

この先、どうなるか分からん状態で毎日過ごしてた。自分の憧れやった選手権にも出れずにこんな感じで

高校サッカー終わるんかなとか思ってたけど、とにかく信じて自宅待機でもトレーニングした。

なんとか厳重対策の中、学校も練習も始まって寮に戻った。

久々に練習するとばかきつかったけど、みんなとまたサッカーできるのが幸せやった。

そして選手権。勝ち進んで優勝。ようやく全国の舞台に出れる。マジで嬉しかった。

決勝ちょっと出てなんもできんやったのに、めっちゃ連絡くるし、めっちゃ褒められるし、

選手権ってすげえ、ヒガシってすげえなって思った。

そして選手権全国。1年通して試合に結構出場できて、ほんとのほんとの集大成。

選手権前くらいから調子が落ちてきて、結局出場がないままチームは負けた。

いやあ泣いたなあ。人生1泣いた。あの時の涙はもう終わりっていう悔しさ・悲しさと同じくらいに

何もできんやった自分が悔しすぎて泣いた。両親もはるばる見に来てくれたのにピッチに立つ姿を

見せることができんやった。ホテル戻って両親にLINE送る時、一人でめっっちゃ泣いた。悔しすぎたな。

とはいえ次の日の朝、もう3年のみんなはこれからの引退ライフに切り替えてめっちゃ明るかった。笑

確かにもうきつい練習せんでいいとなると楽しかった。笑

帰りは貸切の新幹線で普通にワーワー騒いだ。

今思い返すと、プロになった人がうじゃうじゃおる環境やった。

しんどかったし、苦しい思いいっぱいしたけど、それ以上に人として、サッカー選手として

成長できた。何より楽しかった、仲間に恵まれすぎました。

今でもみんなと遊ぶし、青木くんとはカップル並みに遊んでました。九州帰ってもお世話になります^ ^

そして、専修大学。

また新しい環境でのサッカーが始まる。

高校の時とは環境が変わりすぎて最初はとにかく困惑しまくった。

晴也と武富を最初先輩やと思って話しかけたら、1年だよって言われてびっくりした。

こいつらめっちゃ慣れてるやんって思いながら馴染むのに必死やったかな。

正直、サッカーではやれる自信しかなかったし俺の高校が1番強いやろって思ってた。瑛人を除いて。

朝練で限られた時間の中で、徐々に環境にも慣れてきて徐々に評価も上がってきて

アイリーグで試合に絡めるようになった。アイリーグ楽しかったな。

たけろうとは初めて一緒にプレーした時からフィーリング合って、二人で狭いところを1タッチでポンポンやってた。

シーズンの終盤には新人戦が始まってFWメンバーの怪我とか諸々重なり、急に自分にチャンスが来た。

初戦の中央戦スタメンになってゴールも決めることができた。その後もずっとスタメンで使ってもらえた。

拓殖戦は半分説教やったけど。笑

チームも勝ち進んでいって結果的には関東2位で終了した。

全国でも勝ち進んで、最終的には全国優勝することができた。

9番もらっておきながらも、全国では全然試合絡めんやったし、自分もインスタにはばん!って載せたけど

嬉しさと同じくらい悔しさもあった。

2年もずっとアイリーグを戦って、トップには絡めずに1年終了した。

3年では社会人リーグを戦うことになった。ずっと主力として試合に出れてたし、自分がチームを勝たせるつもりで

サッカーをしてた。選手としてすごい成長できた1年かな。

そしてラスト4年。色々とチームとして変化があった。その中で、関東リーグに出るっていう目標のために

必死に頑張った。自分ではやれる手応えあったりあいつより上やろって思ってても、思うように評価されんかったり、

自分の思い通りに上手くいかんようなことばっかやった。朝練行く前には、モチベーション上げるための

プレイリスト聴いて何回も自分を奮い立たせた。あの頃はよくやってたと思う。笑

なんとか頑張って関東リーグにも出れたし、ゴールも決めることができた。

調子もどんどん上がってったし、アミノもスタメンいけるなって思ったけどそこはまあまた思うようには

いかんやった。結果ブロックかかっちゃってアイリーグにも出れないというなかなかしんどい立場には

なっちゃったけど、これがサッカーてもんだなって思ったかな。後悔はない。

最後みんなの熱い試合見て、俺も出てえとは何回も思った。

まあでも濃い1年間やった。本当にあっという間。

この4年間を通して、専修のみんなに出会えて本当に良かったと思う。

練習後にグラウンドでぐだぐだ語る時間、ひろの車で行くドライブ、生環の足枷角刈りリキ、

飲むとゲラになるあきとたいち、就活ガチるたいせい、ベンチマスターけんや、

そなたとは4年間ずっと一緒にやってた、酒鬼強厳、ジムでの合トレメンのおかと晴也、あとたけろうのも♡

かんたとゆうきはでかいし。。同期のみんなにひとこと書きたいけどばーり長くなるんで割愛。笑

後輩も可愛いやつばっかやし、先輩も良い人ばっかやった。

みんなとはこれからも長い付き合いになると思うんで、どうぞよろしくお願いします。

九州に来るときはぜひ連絡ください!

両親へ

 俺のこれまでのサッカー人生を支えてくれてありがとう。

 俺がこれまでサッカーをやって来れたのは、楽しい、プロになりたい、その思いと同じくらいに

 二人が喜んでくれることが嬉しかった。

 父ちゃんはいっつも試合を見に来てくれて大学では流石に遠くてあんまり試合見せることはできんやったけど、

 試合にビデオ送ったら喜んでくれていっつも褒めてくれた。

 母ちゃんは中学の時からカメラマンなってくれて、撮りまくってくれた写真は

 お気に入りばっかやしSNSにあげまくってます。大学でもたくさん撮って欲しかったけど、

 さすがに遠すぎました。笑

 家族みんな、俺のサッカーを応援してくれて本当にありがとう。

 次は俺が恩返しをする番なんで楽しみしといてください。

サッカーに出会えて本当に良かったと心から思う。

サッカーが自分の人生を豊かにしてくれた。

自分は本当に幸せ者だって胸を張って言えます!

これからまだまだ人生は長いし、まだまだ色んなことが起こると思う。

それでもこのサッカー人生で培ったものがあれば、なんでも余裕で乗り越えれる気がする。

プロになるやつ、働くやつ、サッカー続けるやつ、

自分もまた色んなことに挑戦して、みんなに負けんくらいのイケた男になります。

『 次の扉をノックしよう もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅 』 

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