みなさんこんにちは。
今回引退ブログを書かせていただく山本隼大です。
これまでの人生を振り返りたいと思います。
サッカーを始めたきっかけは、父に一個上の兄と一緒に公園でサッカーを教えてもらったからです。
小学一年生の頃に、兄が入っていた地元の少年団に入って本格的にサッカーを始めました。
低学年の頃は、父と兄と朝練して、兄と一対一ばっかやって、どんどん上手くなっていくことがとても楽しかったです。
小学四年生から、愛知FCというクラブに入って、サッカーをしました。みんなとても上手くて、そんな上手いみんなに囲まれて、自分もさらに上手くなっていくことを実感していました。
中学生は、刈谷JYというチームに行きました。セレクションに行った時に、みんなの足元の上手さに魅了されて、このチームに入りました。
しかし、中学1年生に上がるタイミングで膝を怪我してしまい3ヶ月間走ることすら出来ませんでした。それもあり、中学はBチームからのスタートでした。正直、最初は理解出来ませんでした。小学生の頃は、ずっとスタメンで出続けて、市の選抜とかでも当たり前のようにスタメンだったからです。その自分が、Bチームからスタートになった時の心情は、今でも忘れません。死ぬほど悔しかったし、すぐにAチームに上がってやろうと思っていました。
しかし、それほど上手くいかず、本格的にAチームに上がったのは、中学二年生に上がった時でした。そこから、もちろんスタメンを狙い続けて練習していたし、練習がない日は公園でひたすらボールを蹴ったり、学校の周りを走っていました。でも、中学二年生でスタメンで出た試合は記憶にありません。
中学三年生になり、チームは東海リーグを戦っていましたが、ベンチスタートでした。それから、何節か忘れましたが、チャンスが来ました。相手は常葉大橘中学校でした。試合前のメンバー発表でスタメンに自分の名前がありました。とても嬉しかったし、監督が自分を評価してくれていることに喜びを感じました。
しかし、結果は0-0。自分は前半で交代しました。自分たちがずっとボールを持って、押し込んでいたのに点を取ることができませんでした。不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。それからの東海リーグは、ほぼベンチスタートだったと思います。チャンスをモノにできなかった悔しさがありました。
それからクラブユース選手権、勝てば全国という試合で1-2の逆転負け。相手は名古屋グランパスでした(一丸くんに決められました)。自分はベンチでその試合を終えました。
帰りお母さんに、自分の不甲斐なさあまりに「試合に出れなくてごめん」と謝りました。お母さんは、「謝らなくていい、ハヤタが頑張ってるの知ってるから」と言ってくれたのを鮮明に覚えています。
それから、高円宮杯。これも勝てば全国というところまできました。相手は、JFAアカデミーでした。自分は、途中から試合に出ました。しかし、そこからの途中交代。まさかの、in outしてしまいました。チームは負けました。その場から、逃げたくなりました。みんな泣いている中、自分は何もできなくて、涙すら出ませんでした。
最後引退する時、当時のコーチであった矢野コーチにメッセージを書きました。みんな、プロになりますと書いていて、もちろん自分もプロになりたいという気持ちはありました。でも、書けませんでした。中学でベンチだった自分が、プロになるなんて言える自信がありませんでした。
中学は、とても悔しい時間が多く、練習に行きたくない時期もありました。
でも今思うと、この中学時代の時間がとても自分を強くしてくれたと思います。試合に出れない時に、我慢強く辛抱して、直向きにやり続けることの大事さ、出れなくても仲間をサポートしたり、声を出したりすることの大切さを知れたからです。
また、刈谷は実家から遠く、学校終わって走って家に帰って、電車とバスで片道1時間半もかかっていました。こんな遠いチームに通わせてくれた両親にはとても感謝しています。
高校は、県外の強い高校に練習参加行きましたが、推薦をもらえることはなく、県内で全国が狙えて、学業も充実している名古屋高校を選びました(当時はまあまあ勉強できました)。
高校一年生の頃は、セカンドチームの試合に出ていました。しかし、最後のプリンス参入戦でトップチームの試合に出ることができました。その試合は負けてしまいましたが自分の持ち味を存分に出せて、個人的にはとても自信が付いた試合でした。
高校二年生から、トップチームの試合に出れるようになりました。国体にも選ばれて、初めて全国大会に出ました。しかし、インターハイと選手権は共に県ベスト8で終わりました。
高校三年生は、コロナになってしまって大変な時期でした。学校にも行けないし、まともにサッカーも出来ない状況でした。しかし、多くの人の努力があって、県内でインターハイ代わりの大会を開催していただくことが出来ました。そこで、サッカーに区切りをつけて、大学受験へ切り替える仲間もいました。
その中で、高校の集大成である大会、高校サッカー選手権は、まさかの県ベスト16で終わりました。とても悔しくて、悔しくて眠れませんでした。ほんとに自分の力の無さを痛感しました。
高校時代の仲間にはとても感謝しています。
朝練ない日でも、朝練してくれる仲間がいたし、朝練の走りで、俺がアホみたいにタイム無視して早く走ってると負けじとついてくる仲間もいました。それがめちゃくちゃ嬉しかったです。
ただ、一人だけ朝練の走りで勝てないやつがいました。俺はそいつと走る時だけいつも二番でした。そいつに勝ちたくて、朝練ない日に走ったりもしました。でも結局そいつには勝てなくて終わりました。マラソン大会もそいつに負けました。そいつとは、昼休みに弁当食べる前に一緒に筋トレしたりして、三年間一緒のクラスでした(高校時代の仲間は誰のこと言ってるかわかる)。
みんなすごく頭いいし、しっかりしてるし、尊敬するところばかりです。
今でも関東にたくさんいるので、定期的に集まります(大体メンバーは決まってるけど)。
高校時代のメンバーで編成されているLINEグループ「今日も最高の一日にします」は俺にとっての宝物です。
このグループは、毎朝動画で、今日は何をするのか予定を言って、最後に今日も最高の一日にしますと言って悔いの残らないように日々を過ごすことを約束するグループです。
このグループのみんなには、すごくモチベーションを上げられたし、助けられました。
俺のサッカーの話を真面目に聞いてくれる、ゴリや翔、きょうたには本当に感謝しているし、これからもずっと仲良くして欲しいです。
みんなのこともとても尊敬しています。
高校三年生は、進路のことでも頭がいっぱいでした。自分は、サッカーで行きたいと思っていました。
山田監督のおかげで夏くらいから、計10チームくらい練習参加させてもらって、結局サッカー推薦では行けませんでしたが、一般で専修大学に行くことができました。
山田監督は俺のことを、とても大事にしてくれたと思います。勝てない試合も多くて、自分が思うようなパフォーマンスを出せない時でも、信頼して使ってくれていました。
山田監督には、高校三年間で自律する大切さを学びました。とても感謝しています。
専修大学に入学することが決まって、プロになりたいという気持ちと推薦組には絶対に負けたくない、舐められたくないという思いで、なるべく早く練習参加したいと思い、確か三月六日に練習に行きました。もうすでに、何人か新一年生はいました。
当時、無名の高校から来た自分を知っている人はもちろんいないし、名古屋高校を知っている人もほぼいませんでした。でも自分は、全然やれるという自信と新一年生で俺が一番早く試合に出てやるとういう気持ちでいました。
三月は、A2でプレーしていましたが、四月になる前くらいにAチームに上がることが出来ました。
そして、五月の第六節神奈川大戦で、関東リーグデビューすることが出来ました。
しかし、そこに嬉しいという気持ちはなく、早く結果を残して中心選手になってやると考えていました。
六月の中央大戦で初得点を決めることが出来ました。この時は、とても嬉しかったです。
少しチーム内の序列も上がったのかなと思いました。
しかし、次の週のアミノバイタルカップ東京学芸大戦は、ベンチスタートでした。先週、点取った自分がベンチスタート。なんでという気持ちが強く、とても悔しかったです。その試合は、途中から出ましたが、あまり良いプレーが出来ず、結局チームは負けてしまいました。
そこから、自分はコンディションを落としていき、ベンチスタートが多くなりました。練習でも監督に怒られる日が続いて、練習に行きたくないと思う日もありました。
でも、必死で喰らいつきました。プロになるためにこの大学に来たんだと常に自分に言い聞かせました。
走りも一番に走りました。
ただ走れるようになりたい、みんなと差をつけたいという気持ちで走っていました。
そうやって走ってると、なんか俺の後ろにピタリと付いてくるやつがいました。
そう一丸くんです。
正直、気持ち悪かったです。
最後の一周まで俺の後ろに付いて最後の一周だけダッシュしてくる彼は、とても気持ち悪かったです。
結局、この年取った得点は、中大戦の一得点だけでした。チームも県リーグに降格して、悔しい思いをしました。
しかし、新人戦では全国優勝することが出来ました。少しだけ救われたのと俺たちならやれるという可能性を感じました。
大学二年生は、県リーグでの戦いでした。
県リーグ、、
二年前まで関東一部を戦ってたチームが、県リーグ、、
とてもキツかったです。
練習は、走りが増えてほぼ走った記憶しかありません。
それでも一番に走りました。
相変わらず一丸くんは付いてきました。
そしたら、また一人付いてくるやつがいました。
そう松村くんです。
彼もなんか、俺の後ろに付いてくるようになりました。
気持ち悪かったです。
そうやって競争してたのも、いい思い出です。
自分的に、この大学二年は自信がついた年でもありました。
なぜなら、夏のアミノバイタルカップで関東ベスト8まで行くことが出来たからです。
一部の東洋、早稲田を倒しました。
法政もあと少しのところでした。
自分の調子も良く、ハイパフォーマンスを出せて、一部相手でもやれるという自信がつきました。
そんな中で、挑んだ二部参入プレーオフ。
初戦の神大戦。
まさかの県リーグでやり合った神大との初戦。
前半0-2で帰ってきました。自分はハーフタイムで交代でした。
結局チームは、プレーオフ初戦を落としました。
そこから、なんとか立て直して2連勝して迎えた山梨学院大戦。
先制しました。
勝てると思いました。
先制した試合で負けたことが、ほぼなかったからです。
しかし、前半終了間際に自分のサイドからクロスを上げられて同点にされました。
でもまだ同点、いける。そう思っていました。
中々、自分たちはチャンスが作れず、ボールは持っていましたが、攻めあぐねていました。
そんな時、相手に隙をつかれて失点。
前がかりになったところを、ショートカウンターでやられて失点。
結局終わってみれば、1-4。
二部に上がれない現実から逃げたくなりました。
とても後悔しました。
責任を感じました。
自分の無力さを感じました。
大学三年生は、この年から出来た関東三部で戦うことになりました。
正直、絶対に上がれると思っていました。
でもそんな簡単じゃありませんでした。
三部リーグ初戦は、またしても神大。
ここまでくると、神大にはライバル心すらありました。
結果0-2。負けました。
そこから、自分は怪我をしていまい、一ヶ月半サッカーが出来ませんでした。
チームも中々調子が上がらず、勝ちきれない試合が続きました。
自分が復帰してからも、流れを変えることが出来ず、まさかの前半戦9位。
そこで迎えたアミノバイタルカップ。
初戦と二戦目も勝って、迎えた相手関東一部一位の筑波大学。
本来、公式戦で自分たちがやるべきだと思っていた相手とようやくやれる機会がきました。
とても気合い入っていたし、楽しみでした。
結果は、1-3。
ボール持たれまくって、守備ばっかして何も出来ないまま終わりました。
とても悔しかった。
この相手に何も出来ない自分は、プロに行けるのか、プロに行って活躍できるのかと思ってしまいました。
しかし、そこからチームは立て直し、夏は六連勝することが出来ました。
そんな中で迎えた慶應大戦、共に七連勝をかけた試合でした。
結果は、2-3。前半で交代。
大事な試合で、結果を残せない自分がとても不甲斐なかった。
そこからのリーグ戦では、中々コンディションが上がらず、ベンチスタートが続き、自分の思うようなプレーが出来た試合は、あまりありませんでした。
しかし、そんな中でもチームはギリギリ二部参入プレーオフにいけた。
自分も、終盤にかけて徐々にコンディションが上がってきていました。
迎えた12/2の二部参入プレーオフ。
相手は、順天堂大学。
先制しました。勝てると思いました。
自分も久しぶりに身体が動いて、調子良かった。
しかし、後半立ち上がり失点。負傷。交代。
コーナー際での、背後へのボールが来て体を入れようとした時に足首を捻ってしまって、相手が粘ってきてスライディングで上げたクロスが繋がってしまい失点。
自分はそのプレーで負傷交代しました。
情けなかった。
その後、一時は勝ち越したが、終了間際に追いつかれて引き分け。
二部昇格はなりませんでした。
先が真っ暗でした。
二部に上がれず、怪我もしてしまい、俺はプロサッカー選手になれるのかと不安が募りました。
本当にキツかった。
この三年生の頃は、本当にキツかった。
一番大事な時期だと思ってたのに、全く結果が残せませんでした。
でも、成長を実感できた部分もありました。
特に後期のリーグ戦で、ベンチスタートが続いた時でも、腐らず、常にいい準備をして、練習も100%でやって、仲間にも声をかけることが出来ていたと思います。
それは、中学時代の経験があったからだと思います。
あの時の経験が、この時に生かされたと実感しました。
そこから二月に復帰して、最初は中々コンディションが上がらなかったけど、天皇杯予選には、いい状態を持っていくことができました。
天皇杯予選の横浜桐蔭大との試合は、とても記憶に残っています。
先制されて、自分たちは退場者が出てしまい、とてもキツイ状況でした。
でも、相手の隙をつき、自分が抜け出してゴールを決めることが出来ました。
終盤で決められて負けてしまいましたが、成長を実感できた試合でした。
今までだったら、このような大事な試合で何も出来なかった自分が、一人少ない厳しい状況の中でもゴールを決めて可能性を感じさせることのできたことは、自分にとって大きかったです。
そこから、三月練習参加の話がきました。
とても嬉しいと同時に、夢を現実化できるチャンスだと思いました。
何より嬉しかったのは、スカウトやGMの方たちが、自分を評価して練習参加に呼んでくれたことでした。ちゃんと観てくれてるんだなと感じました。
その練習参加で、自分の持ち味を発揮することが出来、特別指定選手という形で内定を勝ち取ることが出来ました。
そして、五月から約半年間、水戸でプレーすることになりました。
自分を見つけてくれたスカウトの柏葉さん、GMの西村さんには本当に感謝しています。
また、自分のキャリア、将来を考えて水戸でプレーすることを選ばせてくれた東くんとはるさん、専修大学体育会サッカー部のみんなにもとても感謝しています。
専修が勝てない時期、自分も色々葛藤がありましたが、同期の仲間は、戻らないで水戸でやった方がいいって言ってくれた言葉にはとても救われました。
だからこそ昨日は勝ちたかった。
みんなに昇格という形でお礼をしたかった。
昨日の参入戦、自分は後半から出ました。
半年ぶりに帰ってきて、見られる目が変わって、みんなに期待されていたようなプレーが出来なくて本当に申し訳なかったです。勝たせれなくて本当に申し訳なかった。
最後の二週間、専修大学での練習はとても楽しかったし、久しぶりにみんなと会えて幸せでした。練習後、みんなとするくだらない話が好きで、ただサッカーするだけの仲間じゃないことを感じました。
この四年間、常に「プロサッカー選手」という夢に向かって、ただがむしゃらにサッカーしてきました。
負けたことの方が多かったです。
上手くいかないことの方が多かったです。
でも、自信を持って言えることは、一度もプロサッカー選手という夢を諦めなかったことです。
その自分の夢に対して、本気で100%以上の情熱を注ぎこんできました。
オフの日もパーソナル行ったり、ハイアルチ行ったり、仲間とボール蹴ったり、ほぼトレーニングしなかった日はなかったんじゃないかなって思います。
この夢をぶらさず、直向きにやり続けることが出来たから今があると思います。
キツイ練習ばかりだし、怒られてばかりで練習に行きたくない時もありました。でも、ずっと自分が将来どうなりたいか、どこを目指してるのかを常に考えてきました。
サッカーノートにも自分を奮い立たせることばかり書いてきました。
俺を一番信じていたのは、俺自身です。
周り何言われようと、自分を信じてやってきました。
これからもっともっと厳しい世界に行きますが、常に自分を信じて上を目指して直向きに頑張ります。
これからも応援よろしくお願いします。
同期へ
誰から書こうと思ったけど、まぁゲンやな。
一年の頃から、一緒に試合出て、たくさんサッカーの話したな。
今年はキャプテンで色々大変だったと思うけど、俺はちゃんとお前のこと信頼してたし、何一つ疑わなかった。間違ってるのか合ってるのかわからないことも、お前が言ってるならって思ってやってこれたこともあったよ。ありがとう。
お互い次の舞台でも頑張ろう。
次はエイトさんやな。一見ちゃんとしてるかと思いきや、抜けてるとこもあって可愛い人です。一緒に将棋したり、サッカーの試合みたり、出掛けたりさせてもらってありがとうございます。
プライベートの話もたくさんしてもらって、とても楽しかったです。ありがとう。
ちなみに彼は金持ちです。
次は一丸やな。ほんとにいろいろバグだけど、サッカーに対して一番真剣に考えてるし、サッカーが好きなんだなって感じるのは一丸やったな。
俺は、小学校から知ってたし一緒のチームでプレーするのが不思議な感覚だった。将来の話をしたのは、お前とゲンが一番多かったな。
一丸にもいろいろ助けられたことが多かった。
ありがとう。
次はドウやな。同じポジションで切磋琢磨したな。たくさんドリブルの話した。
俺が原付もらってから、いきなり自分も原付買いだして、おもろかった。
温泉同行会の二番隊隊長。
サッカー以外の部分でもたくさん教えてもらった。服だったり、髪型だったり笑
俺の知らない世界をたくさん教えてくてありがとう。
次はタケロウやな。全然まともじゃない。彼はとてもむっつりで変態だ。結構俺のことバカにしてくるけど、お前も結構ヤバいぞ笑
マイペースなところが良いとこだな。
いろいろ話したな。ありがとう。
次はミナトやな。何考えてるか分からない男。
俺がイジってもびくともしないし、ノーリアクションで少し怖さを感じた。
でも、自分の好きな話になると止まらないし俺に喋る隙を与えてこないとこが良いとこ。
意外と話すの好きだよな。ありがとう。
次はイブキやな。俺が水戸に行ってからお前と話す機会は減ってしまったけど、どっか出かけたり、ヒップホップについて語ったり、音楽について語ったりすることが出来て楽しかった。
結構変なことしたな笑。ありがとう。
次にバラカンやな。個人的に一番まともだと思ってる。怪我多くて、サッカーできない時期も多かったけど、ちゃんと朝練来てみんなのサポートするお前を尊敬してるよ。しかも、遠いのにほぼ一番くらいにきてるし。
意外とふざけるのと好きなとこがあるこの人。
ありがとう。
次になりとまさ。お前ら変人だよ。クソおもろいけどな。ありがとう。
次にアキやな。最初の頃は、何考えてるか分からなかったけど、結構サッカーのことも考えてる笑
練習後におれんち来て、練習について語ったり、俺は全然ネタないけど、恋バナ聞いてくれたり、してくれたりで楽しかったな。
なんだかんだキツイキツイ言ってたけど、やりきったな。
バッドホップの解散ライブは行けばよかったな笑
ありがとう。
次は、ひろかずやな。プレーと人間性が一番合ってる気がする。ミスが少なく、堅実に間違いないプレーをする。俺には出来ない。
車出してくれて、いろんなとこ連れてってくれてありがとう。
お前の女の子は一回自分のこと好きになるっていうモテてたエピソードは、きしょ過ぎておもろかった。ありがとう。
西尾や岡も一緒に出来る時間は少なかったけど、最後、一緒に出来て良かったありがとう。
他にも書きたいやつがたくさんいる。
俺のことアキラくんってイジってくる田中。
一番誠実で気を遣える男ケンヤ。
気まずいと言われるタイチ。
筋トレの話やサッカーの話をたくさんしてくれるタイセイ。
他にも、あまり話す機会なかったけどトモキやコモタクやソウシもありがとう。
滑稽の仲間たちへ
初めて練習参加した時、ソナタと喋って一緒の学部と知って最初に仲良くしてくれたのはお前やな。一緒の授業取って、大学はほぼお前と行ってたな。
最後まで、サッカー部を支えてくれてありがとう。お前がいなかったら、ここまで来れなかった。
武富は、最初Aチームいて一緒に怒られることが多かったけど、サッカーのこと好きだし、いろいろ考えてることも知ってる。よくお前とサッカー出来て嬉しかったとかアーセナル行ってくれって本気で言ってくれるのが嬉しかった。
授業もたくさん助けてくれてありがとう。
二人とも本当に感謝してる。
次はすずはやな。朝早く起きてサポートしてくれて、いろいろ裏方の仕事してくれて大変だったと思うけど最後までありがとう。試合出来てるのも、すずはのおかげやった。本当に感謝してる。ありがとう。
最後はリキやな。近くに引っ越してきてから、毎日ついてくるし、家くるしマジなんなんって感じ(今でも)。お前のせいで、自炊出来ないし、外食すること増えたし。なんかいろいろ勘違いしてるし。間違え過ぎやし。俺のギャグすぐパクってくるし。顔長いし。
お前と一緒に居すぎて、一人で飯食う時に逆に違和感感じるし、みんなにリキは?って言われるくらい一緒にいた。
お前も俺につられて、家の壁にめっちゃ夢について書いた紙貼ってたな。
またお前の実家行かせてくれ。ありがとう。
お互い頑張ろう。
後輩たちへ
可愛い後輩たち。みんな俺のこといじってくるけど、楽しかったな。プライベート聞いてくるやつもいたし、サッカーのこと聞いてくるやつもいたし、そういうのがすごい嬉しかった。ありがとう。
みんなに可能性がある。
だから、キツイ練習もあるし、やりたくないことをやらないといけない時もあるし、逃げ出したくなる時もあると思うけど、そんな時こそ自分がどうなりたいか、どこを目指してるかを思い出して踏ん張って欲しい。やり続けて欲しい。
そうすれば、必ず成長できる。
もっともっと上を目指せる選手がたくさんいるからこそ頑張って欲しい。自分を信じて欲しい。
応援しています。
家族へ
俺の世界で一番のサポーターは間違いなく家族です。
お母さんは、プロになるとかならないとかいいから、一生懸命悔いの残らないように頑張って欲しいって言ってくれて、その言葉が俺のモチベーションでした。ここまで、大切に育ててくれてありがとう。
お父さんは、俺の一番のコーチです。お父さんの言ったことを疑ったことは一度もないし、お父さんの言う通りにしとけば、確実に上手くなると思ってサッカーしてきました。(これからも)
良い時褒めてくれるし、悪い時ははっきり言ってくれるお父さんのおかげで成長出来ました。
もっともっと上手くなって、お父さんの知らない世界に行って、新しい景色を見せます。
兄は、幼い頃から一番のライバルでした。一対一が強くなったのは、間違いなく兄のおかげです。いつも負けた時、めちゃくちゃ泣いてイライラしてめっちゃ怒っても、軽く受け流す器の広さは、尊敬します笑
姉(双子)は、大学行って一人暮らしするようになってから、定期的に連絡してくれて、いろいろ気にしてくれて料理の動画送ってくれたり、一人暮らしの工夫みたいなの送ってきたり、とても気にしてくれていました。いろいろ相談することもあって、電話で一時間以上話す時もありました。
とても助かりましたありがとう。
自分のサッカー人生に関わる全ての人へ
自分がここまで来れたのは、間違いなくみなさんのおかげです。本当に感謝しています。
これから、もっともっと厳しい世界が待っていますが、決して諦めず、自分を信じて頑張ります。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
長々と書いてすみませんでした。
これからも引き続き、専修大学体育会サッカー部の応援よろしくお願いします。