こんにちは、4年の岡泉憧です。
ついに、この日が来てしまいました…。
11月23日の関東リーグプレーオフ、山梨学院戦を最後に、大学サッカーを引退しました。
ここまで来ると、正直「まだ終わりたくない!」という気持ちもあります。
でも、振り返ってみると、4年間、本当に色んなことがあったなぁ…って思います。
入部当初、毎朝5時半に起きるのが死ぬほど辛かった。でも、今では勝手に目が覚めます。
「今日も7×7か、きついなぁ」って毎日愚痴をこぼしてたあの頃が懐かしい。引退してみると、「あれ?なんか走りたいな」って思う自分がいる。
そして、よく「ゴリラ、顔テカテカ」とか、色んなことでいじられて、最初は正直憂鬱だったけど、今思えば、それもすごく恋しい。こんなにいじられるのも、サッカー部だからこそだなって、ちょっとだけ感謝してます。
当たり前に感じてた日常が、もう二度と戻ってこないと思うと、寂しいです。
本当に、もっとみんなとサッカーしたかったなぁ。
こんなこと言うと顔に似合わないかもしれないけど、今の素直な気持ちです。
高校サッカーの選手権で、競り合いの最中に右足首を捻ってしまったあの日。
結局、たった15分しか立てず、すぐにベンチに戻ることになった。あの時、何もできなかった自分が本当に悔しくて、チームメイトに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
試合が終わった後も、その悔しさがずっと残り、不完全燃焼のままで終わってしまった。
それがきっかけで、大学でもサッカーを続けようと決意し、進学先を考え始めた。
しかし、なかなか一般生で、体育会サッカー部に入れる学校は少なかった。
ネットで色々調べている中で、専修大学の体育会サッカー部が一般受験でも入部できることを知り、ここでならもっと高いレベルでサッカーを続けられると思い、専修大学に進学することを決めた。
専修大学サッカー部は、過去に日本一を4連覇し、当時は関東一部に在籍していた。
「必ず関東一部リーグに出てやる、ここから這い上がってやる」と強い志を持って入部した。しかし、やっぱり現実は甘くなかった。
100人近くいる部員の中には、先輩や同期に日本代表歴のある選手、高校時代に先発に選ばれた選手など、すごい選手がたくさんいた。
1年目はアイリーグでプレーしたが、何もできなかった。公式戦には出場ゼロ。
毎回紅白戦でビルドアップのことで先輩に怒られ、ビクビクしていた。それを克服するために、健也、ハルト、たくまと朝練後にフロンターレを毎回やった。本当にみんな、ありがとう。
本当に不甲斐ない結果だった一年目の最後に、新人戦で専修大学サッカー部が全国優勝した。
同期が多く活躍しており、それを見て「このままだと一度もトップチームに上がれないんじゃないか?」と本気で思った。
同期の活躍を素直に喜べるどころか、悔しさと羨ましさ方が大きかった。
二年目は社会人でプレーした。
神奈川県2部を優勝し、一部昇格を目標に練習に励んだ。
この頃から、短期間だったが、西ケ谷さんに指導してもらい、大学に入って初めてちゃんと指導を受けることができた。
紅白戦だけではなく、考える練習が増え、技術はもちろん、判断の速さも鍛えられた気がする。本当に、西ケ谷さん、ありがとうございました。
そして昇格をかけた大事なエブリサ藤沢ユナイテッド戦を迎えた。残り10分、パワープレー要員としてFWとして出場した。
慣れないポジションだったこともあり、前に来たボールを間違えて自陣にヘディングで返してしまった。
そんなこともあり、チームは負けた。本当に自分の無力感を痛感した。
三年目は、3、4年主体のBチームでアイリーグでプレーした。
目標は全国大会出場と掲げたが、開幕から7連敗した。
自分のミスで負けた試合もあり、本当に最後の年の先輩たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
朝練後の帰り道で、たくま、ハルト、西尾とどうやったら勝てるのかを毎回話し合っていた。
そして8戦目の関東学院戦を3-2で勝った時は嬉しかった。
ハルトの号泣を見て、俺も目頭が熱くなった。
その後、9位でシーズンを終え、プレーオフでなんとか残留することができた。
最後は怪我でピッチに立てなかったが、四年生をしっかり送り出すことができ、ホッとした。
四年目は波乱万丈な一年だったと思う。
3年の11月終わり頃から長期インターンや就活を始め、部活との両立を試みたが、どうしても上手くいかず、思うように力を注げなかった。
そんな中、年明けの初めての練習試合、桐蔭横浜大学との試合で、試合に来てた4年生の中で一人だけA2に落とされてしまった。
年明け早々、気合いを入れて新しいスタートを切ろうと心に決めていた矢先の出来事だったので、自分の中で何かがプツンと切れた。
ここから、長期インターンや就活を優先するようになり、部活を休むことが多くなった。
就活を休む理由にして、自分の中で勝手に正当化していた。
だけど、3月の終わり頃、健也から「部活を続けるのは難しいんじゃない?」と真顔で言われた時、正直とても情けなかったし、何のために部活に入ったのかと自問自答した。
「このままでは終われない」と強く思い、もう一度本気でサッカーと向き合いたいという気持ちになった。
その後、A2でアイリーグの試合にフル出場し、そのプレーが評価されて、9月には4年目でやっとAチームに昇格することができた。
正直、あまり感情を表に出さなかったが、本当に嬉しかった。
やっと一年から目標にしていた関東リーグに出場できる現実が近づいた。
そして、関東リーグ21節目の青山学院戦で、残り10分から初めて関東リーグの試合に途中出場した。
「今日も出ないだろう」とベンチでアップしていた時、急に呼ばれて、胸が一気に熱くなった。
本当に嬉しくて、笑顔が止まらなかった。
試合では、出場して20秒でファールしてしまったが、コーナーのチャンスもあり、あっという間の10分だった。
その後、関東リーグ最終節の亜細亜大学戦にも後半から出場した。
しかし、その試合中の競り合いで相手選手と接触し、足首を捻挫してしまった。
最後のプレーオフの一週間前だったので、本当に辛かった。
みんなと勝ちたい一心で気合いと根性で練習したが、コンディションがなかなか戻らず、結局ベンチ外となった。
22日に実質的に引退となり、試合前に食べるはずだったバナナを食べながら、部屋で号泣した。
試合のために刈り上げた頭が、なんだか寂しく感じた。
結局、最後のプレーオフではピッチに立つことができず、そのまま引退となった。
決して、最初に思い描いていたような4年間ではなかった。予想以上の厳しさや悔しさに直面し、何度も心が折れそうになった。
でも、それがあったからこそ、自分を深く見つめ直し、成長することができたと思う。
みんなでゴールを決めた瞬間の喜びも、連敗が続いてうまくいかない時の悔しさも、すべてが今の自分を形成してきたかけがえのない経験になった。
そして、何よりも素晴らしい先輩、同期、後輩たちと過ごした時間は、何にも代えがたい宝物だ。辛い時も、笑い合った時も、泣いた時もあったからこそ、今の自分があると心から感じている。
もし、もう一度4年前に戻れるとしたら、間違いなく専修大学サッカー部に入って、再び同じ仲間たちとともにサッカーがしたいと思う。この4年間は、自分の人生において、かけがえのない時間だった。関わってくれたすべての人に、心から感謝しています。本当にありがとうございました。
最後に、同期へ
みんな、いじってくれてありがとう。
そして、迷惑をかけてしまい、ごめん。
春先はかなりクセの強い人が多く、馴染むのが本当に大変だったけど、
ひたすら「なんで、なんで?」と問い詰めてくる人だったり、
夏の暑い日に目的もなく減量していたり、
みんながいる時はめっちゃいじってくるけど、二人になるとめちゃくちゃいいやつだったり。
挙げればキリがないくらい、変わってる人たちだったけど、
みんなのおかげで楽しかった。
本当にありがとう。
また、会いましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
引き続き専修大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願いします。