自分にはない、多彩な才能に溢れるチームメイト
サッカーではもちろんだが、
サッカー以外でも
沢山の影響を受けた。
彼らといると
劣等感に苛まれることもあったが、
時にはその劣等感が原動力となり、
まだまだ伸びしろがあるという希望と
まだまだやってやるという活力を与えてくれた。
中でも、4年間苦楽を共にした同期には、
何回も勇気づけられた。
下のカテゴリに落とされた時、
試合のメンバーから外された時、
走りがとんでもなくきつい時、
自分がチームに必要ないと感じた時、
スタッフや先輩から怒られた時、
挙げればキリがないが、
苦境に立たされた場面は多くあった。
メンタルが強くない自分は、
何回も何十回も
「ああもう無理かも」と考えてしまっていた。
一方で、彼らを見ると、
何でもない顔でそんな試練を乗り越えていく。
チーム状況が良くない時には、
発言だけではなく行動でも
周囲を巻き込み、モチベートしていく。
自分にはない能力だった。
憧れを抱いた。
彼らのようになりたいと思い続けた4年間だった。
彼らみたいに精神的な強さを持ち合わせていたのなら、
周囲に強い影響を与えることができたのならば、
私のサッカー人生は
もう少し色付き、長く続いたかもしれない。
18年間のサッカーを終えた今、
人生で初めて目標の無い日々を過ごしている。
何か重いものから解放され気楽な一方で、
ぽっかりと穴が空いたような心情でもある。
数ヵ月後、
大学サッカーよりもずっと厳しいと思われる社会に足を踏み入れる。
そこで見つけるであろう目標。
その目標を実現させようと足掻く道中にて、
再度苦境に立たされた際には、
もう一度、大学サッカーを振り返りたいと思う。
今度こそ、彼らのように、
人一倍のバイタリティを持って生きたい。
何でもない顔をして厳しい状況も乗り越えてやりたい。
不器用ながらも外に発信し、
彼らが私にやってくれたように
誰かに強い影響を与える人間になりたい。
そんな尊敬できて最高な皆と
4年間山あり谷ありの毎日を過ごし、
かけがえのない時間を共有できたことは
自分の財産です。
自分の実力でどこまでいけるのか試したかった。
プロになりたいというよりも、不完全燃焼の高校サッカーでサッカー人生を終わらす決断はできなかった。
そんな想いで、当時関東1部だった専修大学サッカー部への入部を決断した。
この4年間は非常に長かった。
そして非常にキツかった。
だが、それ以上に得るものが多く、
この4年間が私の人生の中で1番の成功体験であると胸を張っていえる。
4年間毎朝4時過ぎに起き、往復3時間の通学をして、厳しい走りと練習をやり切ったこと。
また、高校まで全国経験もなく、当初チーム内で最も走れなかった自分が、着実に成長し、3年の関東リーグ第9節から引退まで、全ての公式戦に連続出場できたこと。
想像以上の自分になれたと感じる。
これから先も沢山の厳しい場面があるだろうが、ちょっとやそっとのことでは挫けない自信がある。
それ程、その時々のベストで苦しい時も頑張ってきた自負があるから。
そんな自分を少しは誇りに思いたい。
ただ、最も大事な結果に結びつかなかった。
3年連続プレーオフで勝てなかった。
今年こそはと意気込んで3回勝てなかった。
昇格が叶わなくなった3試合共、スタートから出場させてもらったが、チームを勝たせる選手にはなれなかった。
試合後、
チームメイトの涙を見た時、
メンバーに入れなかった同期が「お疲れ」と声をかけてくれた時、
後輩たちが「ありがとうございました」と伝えにきてくれた時、
不甲斐ない想いと申し訳ない想いで一杯になった。
今年は絶対に昇格しなければならなかった。
4年として、10番として、責任を果たせなかった。シーズンを通してチームの勝利に貢献できなかった。
いくら、これだけ頑張った、
学ぶものが多くあった、
最高の4年間だった、と言っても
結果を出せなければ、
あんなに頑張った4年間も、周囲からすれば概ね否定されることとなる。
それだけ厳しい勝負の世界だと、分かってはいたけど最後の最後でその残酷さを再び思い知らされた。
だからプレーオフの後、
18年のサッカーを終わらせることよりも
この1年間チームの力になれなかったこと、
後輩に同じ思いをさせてしまったことの方が胸に強く残った。
本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
本当にごめんなさい。
来年は良い結果で終われるように願ってます。
毎試合YouTubeで観戦します。
皆の活躍を心から応援しています。
そして、
あの雰囲気の中で試合できた自分は幸せ者です。
最高の応援をありがとうございました。
皆からのメッセージを見てめちゃくちゃ感動しました。後輩の皆、本当にありがとう。宝物です。
俺から伝えられる事は少ないけど、
後輩たちには、どんな立場であろうと4年間やり切って欲しい。
評価されずに苦しい時が続いても、そんな状況がずっと続くわけではない。
1年後の自分がどの立場で、どうなってるかなんて分かるわけがない。
隼大の言葉を借りるなら、「自分に期待して」頑張って欲しい。
何かあったらいつでも連絡してきてください。
めちゃくちゃ親身になって寄り添います。
同期の皆へ
次のステージへ進む
厳、一丸、隼大
夢を叶えたと聞いた時、自分の事のように嬉しかった。
まじで頑張ってくれ。
俺らの想いを背負ってとは言わないけど、
間違いなく言えるのは、
同期全員心の底から3人の活躍を願ってる。
突き抜けてくれ。
他にも、
4時起きを励まし合った緩汰、
熱い想いを内に秘めている港斗、
ほぼ毎週関東リーグの動画を切り取ってアドバイスくれた健也、
冷静沈着かつ客観的な視点をもつ弘和、
サッカーをめちゃくちゃ楽しそうにプレーする奏七、
セカンドボール回収率と利回りが高すぎる瑛斗、
世界基準のパスコンキャプテン西尾、
嫉妬する程サッカーが上手い豪郎、
笑顔がかわいい岡、
その岡いじりが大好きな智輝、
QOL高い匠真、
高校から7年間一緒だった弘樹、
大怪我しても最後までひたむきに努力してた崇嗣、
チーム1のハードワーカー鈴葉、
コミュ力高すぎる大聖、
良い奴で形容できないくらいの良い奴幸樹、
ずっと一緒にふざけてた泰治。
様々な理由で辞めてしまった人たちも含めて、みんな本当に最高だった。
岡も書いてたけど、
もし、4年前に戻れるなら
俺ももう一度、専修大学サッカー部に入部して、同じ仲間でサッカーをしたい。
それくらい皆のことが大好きです
本当に楽しかった。
苦しい事、辛い事の方が圧倒的に多かったけど、振り返ると全て大切な思い出になってる。
皆と出会えて良かった。
これからも定期的に会おう!
皆の近況を知りたいです。
そして、
自分を信頼し、全試合に起用してくれたアズくんとハルさん
どうしようもなかった自分を成長させてくれた源さんと増田さん
尊敬できる同期
一緒に戦ってくれた後輩
チームのサポートをしてくれたマネージャー
関東リーグという素晴らしい舞台を整えてくれた学連の方々
JUNS、ジェファ、専修大学松戸高校の方々
多方面から応援してくれた方々
私に携わってくれた全ての方に感謝いたします。
最高に幸せなサッカー人生でした!
ありがとうございました!
最後に、
家族への感謝を伝えて、この引退ブログを締めさせていただきます。
両親
21年間、何不自由なく育ててくれてありがとう。
3兄弟の末っ子として1番期待してたと思うけど、兄貴達のように活躍してる姿をあまり見せることができず、申し訳ない想いです。
進路について何も言わないでいてくれたけど、プロの練習参加から帰ってきて一言目に、
「大学でサッカーは辞める」と言った際、すごく寂しそうな顔をしていたのを覚えている。
沢山の苦労をかけ、多くのものを犠牲にしてくれたのに、「何者」にもなれなかった。
だけど、小学生くらいの時から、
「サッカーは人間性を向上させる為にやらせている」と口酸っぱく言われていた気がします。
元々どうしようもない人間だった自分は、18年間のサッカーを通して、少しは成長できたのかなと思います。
サッカーの技術以上に大切なことをサッカーから学びました。
サッカーを思う存分させてくれて、本当にありがとう。サポートしてくれて本当にありがとう。
少しずつ親孝行できるように、日々励んでいきます。
3兄弟いつまでも仲良くやっていきます。
長生きしてください。
兄貴たちもありがとう。
優しくて偉大な兄2人のおかげで、幼少期から色々な場面で恩恵を受けた気がする。
これからもよろしくお願いします。
素敵な家族のもとに産まれて俺は幸せです。
ありがとう!!!
拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
引き続き専修大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。
専修大学体育会サッカー部
山下晶大