今回引退ブログを担当します。
4年の米山導です。
本当に何を書こうか迷いました。
でも皆んなみたいに上手く良い文章は書けるわけではないですが、俺らしく自分のサッカー人生を振り返ってこうかなと思います。
サッカーを始めたきっかけは、あんまり覚えてないけど、とりあえずプロサッカー選手が、かっこよく見えて将来の夢は、プロサッカー選手だ!ってなった。気がついたら地元のチームのアミーゴFCに入っていた。
小学校3年生くらいからかな。
俺は凡人以下くらいの能力しかなかったから、最初は本当にめちゃくちゃ下手くそだったのを覚えてる。あまりに下手だっからか分からないけど、親父がサッカーやってたこともあって、よく教えてくれた。よく公園で日が暮れるまで練習して、死ぬほどリフティングしたのを覚えてる。何回できるまで帰れないだったり、ラスト公園走ってから終わりな。みたいな感じで追い込んだ練習をよくしてた。笑
めちゃくちゃ下手くそだったけど、練習の成果は出てどんどん上手くなっていった。
気づけばチームで2番目くらいには上手くなってた。でも1番上手かったのは、プロで現役のFC東京の野澤零温でした。一個下だったけど、あいつにはマジで敵わなかったな笑。
中学時代
俺は親父の勧めで東京の街クラブのSTFCに入った。そん時の俺は、今思えば頭おかしいくらい尖ってたと思う。笑
チームの始動の最初の1週間をハワイ旅行で休んで、遅れて合流したくせに、めちゃくちゃ馴れ馴れしく合流してきて、チームメイトに要求しまくってた。笑
そんな感じで始まった中学時代は、俺の中で1番伸びた実感があった3年間だった。ここで出会った廣瀬太郎監督は、自分の中で凄く影響された人間だった。男っていう感じの人で、人として1番大事な感謝とか人情とか。学校なんかで教わる勉強なんかよりも、凄く大事なものを叩き込んでくれた。
高校時代
中学時代の活躍が認められ、スカウトの目に留まって、俺はマリノスユースに進むことができた。まず最初の練習参加の時は、自分の調子が良すぎて手応え良かった感覚だったから甘くみてた。でも、すぐにボロは出た。全く通用しなくなってきたし、俺やってけるのかなってなったのを覚えてる。
まず当時のメンバーを今考えれば、プロばっかだし、その当時の世代別の代表だったりjリーグ選抜だったりと有名な奴ばっかりだった。特に衝撃だったのは、津久井匠海だ。ガキの頃からエリートで有名だった。当時は、こいつサッカー上手いのは分かったけど、尖りすぎだろ。仲良くなれねーわ。みたいな感じだった。だけど、なんかで打ち解けて結局高校の3年間ずっと一緒に居て、卒業してからも月1くらいで会ってるやつだ。今では仲良くさせてもらって、いい影響受けるし、本当にいい友達持ったなって思う。笑
本当にレベルが高すぎて何度も折れた。
ユースからトップ昇格はできなくて悔しかった。だけど、なんとか最後の年はコロナもあったけどプレミアと全国のクラブユースにも全部出れたし上手くなってるんだなっていう実感はあった。
大学の4年間
この4年間で成り上がってプロになると決めて入学した。
1年目。
最初のうちは、環境に慣れなくて大分苦労したのを覚えてる。今までと違いすぎて、だいぶ面食らった。
朝の6:30からなんかサッカーなんかしたことなかったし、まだ走るの?っていうくらい走らせてくるし、俺からしたらよくわかんないことばっかで順応できなかった。
環境に慣れずに居た俺は、周りに矢印ばっかになっていった。
だいぶやばくなってた。
当時のコーチだった安永コーチにどつかれてキレられたり、総監督の源平監督から反省文みたいなの書かされたりと、この1年間は揉まれた1年間だった。
でもなんとか新人戦では、スタートからだったり途中からだったりで全試合に出れて日本一を取れた。
このままトントン拍子で上手く行くと思ってた。
2年目。
全くというほど出れなかった。
出れたとしても、当時は県リーグだったから毎試合10点以上入っちゃうような相手だったから緊張感のない試合ばっかりだった。
でも自分を信じて目の前の練習にもがいた。
出れなかったけど、なんとか最後のプレーオフの作新大学戦に出ることができてなんとかゴールという形で結果を残すことができた。
3年目。
リーグ戦前期の方は怪我なくサッカーが出来て凄く自分の思い通りに動けて手応えしかなかった。でも夏すぎくらいに怪我をしてそこから俺のサッカー人生が狂って、怪我の繰り返しで安定してプレーすることが出来ずシーズンが終わった。
4年目。
その怪我の繰り返しが、歯止めが効かないくらい続いてしまって、結局6月にやっと戻って来れた。
でも自分が思い描いてるようなプレーが全くできなかった。
動けるようになってきたかもと思って強度を上げると、また違うとこが痛くなってくる。痛いとこを治すために、庇いながらプレーして抑えたプレーになる。
そうしているうちに、どんどん時間が過ぎて、プロなんて無理だなって思うようになった。
プロになるから、スタートでまずは出る。メンバーには入る。Aチームには残る。引退までサッカーをやる。どんどん目標がブレブレになって、ライバルと競うのを辞めて、競ってないから負けてないみたいな感じにして、そうやって強がって、日常がすぎていった。
リーグ戦で出番が回ってきても途中からの残りの10分から20分。
俺がサッカー人生のラストシーズンということもあってほとんど、母親は観に来てくれていた。
大したプレーもしない。
プレーを見せることも僅かな時間。
申し訳なかった。
他にも、自分はスポーツ推薦で入ってきてるから、ある程度のパフォーマンスをしてチームに大きく貢献しなきゃいけないとか。仲良い仲間から、「お前なんで最近出れてないの?お前の試合見に行きたいんだけど?」とか、
今まで、ガキの頃から毎試合のように観にきてた父親も観に来なくなったりとか、
本当に色んな人に対して申し訳なさしかなかった。
俺はプロになる。とか散々言ってきたのに、こんなんかんよ。なにやってんだよ俺。
みたいなネガティブな方にばっか考えるようになってしまった。
俺は限界になってグラウンドに行けなくなった。
結果的に、俺は引退の3週間前にボイコットのような形でサッカー部を辞めてしまった。
こんな辞め方でよかったのかなとか。
どうせやってても、また同じネガティブな感情になって苦しくなる。
とか色んな考えばっか出てくるようになった。
辞めて1週間くらいは、なんでもぼんやりして見える感じだった。
今でも、俺の辞め方は、男してどうだったのかなって思う。
でも、なんだかんだでサッカーを始めなきゃ良かったっていう気持ちは全くないなっていうのに気づいた。
むしろサッカーに出会えて本当に良かったと心から思ってる。
あんなに、ビビリで緊張しいで弱々しくて人前になると何にも出来なかったやつが、ここまで成長できた。
サッカーでしか味わえない喜びだって味わえた。
ドリブルで相手を抜き去ったときの感覚。
ゴールを決めて仲間と一緒に喜ぶ気持ちよさ。
公式戦でしか味わえないヒリヒリした緊張感。フィジカルトレーニングやりきった気持ちよさ。
これはサッカーでしか味わえないなって思った。
サッカーを、始めた時のプロになるっていう夢は叶わなかったけど、いろんな仲間と苦しいこと乗り越えてったり、仲間と勝って喜んだりと色んなこと経験できた。
こんな俺のサッカー人生に後悔はないです!
なにがダメでなにが正しいかなんか、俺にはわかんないしこれからも自分の物差し信じて、大切なもの大切にしてこれからもやってきます!
ありがとう!サッカー!
最後に自分のサッカー人生に関わってくれた人には本当に感謝しかないです。
まず両親には、大学までサッカーをやらせてくれた。本当に1番感謝しています。費用のところは、大学までやってる訳だから、かなりかかったと思うけど何不自由なくやらせてもらって、飯だったり洗濯だったりと、ここまでサポートしてくれるのは、人間として尊敬してます。本当に感謝しています。
同期の寮生に関しては、本当に仲良くしてくれてありがとう。
特に、一丸は2年間同部屋で腹立つこともあったけど一緒に居て1番楽だし、楽しませてもらったよ。連絡するから仲良くしてくれよな。
他にも今まで出会った指導者だったり、いつも仲良くしてくれる友達、shibuya接骨院のノブオさんだったり、試合前いつも髪切ってくれてるイマタツだったり、出会った人に恵まれたなと感じます。
今まで、これだけ良くしてもらったから、今後は俺からも返していけるようにします。
まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
米山導