みなさんこんにちは。
今回引退ブログを書かせていただく藤井瑛斗です。
とうとうこの日がきました。
たぶん、このブログが僕にとって人生最後のブログになると思います。
だからこそ、何を書こうか、ずっと悩みました。
頭の中で言葉が浮かんでは消えていき、なかなかまとまりませんでした。。
けれど、最後に残したいのは、やはり感謝の気持ちです。
これまでの14年間のサッカー人生、大学生活。
その中での出会い、支えてくれた全ての人へ、想いを届けたい。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
いつからだろう。
・ボールを蹴るのが「日常」になったのは。
・プロを目指すようになったのは。
・他人からの評価を気にするようになったのは。
・もしかしたら、プロにはなれないのかもしれないと想い始めたのは。
・サッカーがこんなにも厳しいスポーツだと痛感したのは。
思い返せば、いくつもの「いつ」が、僕の心を揺さぶり続けてきた。
楽しさの中に潜む苦しさ。
夢の中に横たわる現実。
それでも、サッカーと向き合い続けた。
夢を諦める理由も、立ち止まる言い訳も、いくらでも見つけられたはずなのに。
今、振り返ると、その一つひとつが僕の人生を形作ってきたと感じる。
14年間のサッカー人生、そのすべてが、今の僕を支えている。
小学校。
サッカーを始めたのは確か小学3年の頃だった。
2つ上の兄の影響で、週1回のサッカースクールに行ったのがきっかけだった。
あの頃の僕にとって、サッカーは「遊び」でしかなかった。
それがいつの間にか、僕の人生そのものになっていた。
小学4年生になると学校の部活動に入った。
人数はわずか10人ぐらいしかいなかったけど、とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。
そして初めて「県のトレセン」に呼ばれて選考会に参加したのを今でも覚えている。
周りが上手すぎて、ビビりながらサッカーをしていた。
ボールも持つのさえ怖かった笑
もちろん結果は、県の一次選考で落ちた。
小学生だった僕にとって、人生で初めての「挫折」だった。
それと同時に、「このままでは終われない」という強い想いが芽生えた瞬間でもあった。
小学5年生の途中
環境を変えることを決意し、家から一番近い町クラブに移籍した。
新しい環境は想像以上に厳しく、求められるレベルも高かった。
最初はついていくのに必死で、練習が終わるといつも自主練をしていた。
誰よりも遅くまでグラウンドに残ってボールを蹴り続けていたのを、今でも覚えている。
その努力が少しずつ実を結び始めたのは、小学6年生の頃。
チームメイトにも恵まれ、初の県大会で優勝・準優勝を果たし、念願の九州大会にも出場した。
とても嬉しかった。
そして何より、途中から加入した僕を温かく受け入れてくれたチームメイトや指導者には、感謝しかありません。
中学校。
中学時代は、小学校で所属していたクラブチームが新たにJr.ユースを設立し、その1期生として新しい挑戦が始まった。
ただ、公式戦は4部リーグからのスタート。
「この舞台で誰かに見てもらえるのだろうか」と不安に思う日もあったが、それ以上に仲間と共に戦う喜びがあった。
お互いを信じ合いながら力をつけていき、1年目から九州大会に進出。
結果以上に、この挑戦が僕たちにとってかけがえのない経験になった。
今振り返ると、「1期生にしては強かったな」と思う。笑
そして、個人的には、中学時代を通してトレセン活動にも力を入れた。
九州選抜や西日本トレセンに参加でき、さまざまな経験を積むことができたが、トップレベルの選手たちと対峙するたびに自分の未熟さを痛感した。
まじでみんな天才と思うくらい上手かった。。
だけど、その悔しさがモチベーションとなり、「もっと上手くなりたい」という想いを一層強くしてくれた。
振り返ると、中学時代は僕のサッカー人生の中で最も成長した3年間だったと思う。
どんな天候でも、時間帯でも、ボールを蹴ることをやめなかった。
それを支えてくれたのが、自宅の環境。
庭にはフットサルコートの4分の3ほどの芝があり、ネットやゴール、夜間用のライトまで揃っていた。
今でも感じる。
とても恵まれた環境だった。
本当に感謝しています。
ありがとうございました。
そして、中学校での学生生活もとても楽しかった。
サッカーだけじゃなく、学校生活の中でも多くの友人に恵まれたおかけで、充実できた。
ありがとう!
そしてこれからもよろしく!
高校。
高校を決めるとき、結構迷っていた。
Jユースに進むか、それとも高校サッカーを選ぶか。
悩み抜いた末に選んだのは、大津高校。
その理由は「自分をもっと成長させたい」という想い。
そして、その環境が大津にはあると感じたからだ。
だが、大津での生活は、想像以上に厳しいものだった。
毎朝始発で通学し、朝練、授業、夕練の毎日。
不条理なルールや理不尽な出来事も少なくなかった。
けれど、そんな日々の中でも、充実感に満ちていた。
1年次からトップチームでプレーするチャンスをもらい、「勝って当たり前」という独特の緊張感の中で、練習にも試合にも取り組んだ。
そのプレッシャーや負けられない雰囲気が、逆に自分自身を成長させてくれたと思う。
結果として、九州大会優勝、プレミアリーグ4位、国体出場、インターハイ、そして選手権のベンチ入りなど、さまざまな経験を積むことができた。
だが、順風満帆なことだけではなかった。
日本一を目標に掲げ、迎えた
2年次の選手権予選。
決勝で自分のミスがきっかけで失点し、試合に敗れた。
失点した後から、消極的なプレーしかできなかった自分がいた。
先輩たちには本当に申し訳なかった。
そして迎えた、3年目。
目標は明確だった。「日本一」
新チームが始まり、好調なスタートを切った。
九州大会優勝を果たし、サニックス杯への切符も手にした。
けれど、誰も予想していなかった新型コロナウイルスが、日常を大きく変えた。
サニックス杯、インターハイ。。
楽しみにしていた大会が次々と中止になり、目の前が真っ暗になった。
当たり前にできているサッカーは当たり前じゃないことを改めて感じた。
だけど、大会が無くなっても、正直その時の自分は、選手権で日本一獲ればいいんでしょ。
みたいなマインドで常に練習をしていた。
コロナが少し落ち着き、
練習試合やフェスティバル、リーグ戦ができるようになった。
全勝だった。
そして、迎えた選手権予選。
県予選準決勝でPK戦の末に敗れた。
試合が終わった瞬間、何も考えられなかった。
悔しさがこみ上げ、どうしても自分を許せなかった。
「全国に出ていれば、優勝できたかもしれない」。
それほど、自信はあった。
それでも、この経験が改めて「絶対プロになる」という決意になった。
振り返ると、高校3年間は、僕自身を大きく成長させてくれた時間だった。 技術だけでなく、とくに人間としても成長できたと思う。
素晴らしい指導者、先輩、同期、後輩との出会い。
そのすべてが、人生の財産だ。
大津を選んで本当に良かった。
ありがとうございました!
それから大学へと進学。
大学では最初からトップチームに帯同し、調子もそこまで悪くなかった。
だが関東リーグのベンチ入りは1度だけという悔しい1年目。
それでもIリーグでは試合に出られる喜びを感じながら、サッカーの楽しさを改めて実感できた。
だからこそ、もっと上のカテゴリーで試合をしたい気持ちがあった。
そして、1.2年の新人戦が始まり、とても覚悟をもって戦ったのを覚えている。
グループリーグ初戦、中央大学に2-3で負けた。
ベンチで出場することできなかった。
だが、悔しい気持ちもあったが、正直、嬉しい気持ちもあった。
次の試合でチャンスをもらえるかもと。
そしたら、法政大学戦でスタメンのチャンスをもらうことができ、ここで自分の価値を証明することだけを考えて戦った。
結果4-1で勝利。
やっとチームに貢献できたと思った。
次の試合からもほとんどの試合でスタメンで出場することができ、関東大会準優勝、全国大会でも優勝することができた。
初めての日本一、正直これで「プロ」にも少し近づいたと想った年でもあった。。
2年目
プロとの練習試合なども増え、やれないことはない。と想えるシーズンだった。
だが、プレシーズンや最初の方はスタメンで出ることが多かったが大事な入れ替え戦や、アミノバイタルカップではスタメンで一度も出場することができたかった。
そして何も結果を出すことなく、シーズンは終わっていった。
とても早かった。。
3年目
「プロになるための勝負の年」と位置づけ、練習と試合に全力を尽くした。
プレシーズンが始まり、練習試合では、1部や2部のチームにもほとんど負けることなく、チームは開幕戦に進むことができた。
開幕戦はベンチで0-2負け、試合が終わった後の練習試合に出場することになった。
だが、練習試合のパフォーマンスを評価され、次の試合からはスタメンで出場することができ勝利を収めることができた。
その後は2連勝することができたが、チームは低迷していた。
そんな中で、アミノバイタルカップが始まった。
3回戦で、筑波大学とやれると決まった時、素直に嬉しかった。
本気で勝ちたいと思ったし、勝てると思っていた。
結果は1-3、強すぎるし、うますぎた。
差しかなかった。
だけど、この負けがあったからこそ夏の6連勝があったと思う。
そして、多分このシーズンの公式戦はチームで一番試合に出れた年だった。
だが、個人的にも結果はあまり出せず、チームも自動昇格を逃し、入れ替え戦プレーオフに回った。
そして入れ替え戦vs順天堂大学、2回勝ち越すも追いつかれ2-2の引き分けで昇格することができなく、3年目が終了した。
あと一歩のとこで勝ちきれない。
この年は、公式戦での出場機会も増え、チームの主力としてプレーすることができたが、昇格を逃した悔しさは果てしなかった。
来年こそは昇格して笑って終わると誓った。
そして一旦、帰省の季節がやってきた。
1月2日、この日は毎年ゴルフを通してたくさんの人と出会える特別な日。
集まるのは、普段なかなか話せない立場の人たちばかり。
それでも、皆でご飯に行く時間は和やかで、とても楽しい。
けれど、その日の会話は自分にとって忘れられないものとなった。
サッカーの話になり、次々と投げかけられる言葉たち。
・人生は移動距離
・プライドなんかいらない
・言霊を信じろ
・今しかできないこと
・働くことはいつでもできる
・就活場所は準備する
・サッカーを続けてほしい
・辞めるのはもったいない
・「20代だから、まだわからないと思うけど……」
そんな前置きとともに語られた言葉は、どれも重く、胸に突き刺さったと同時に、こんなに応援されているんだと改めて気づいた。
あの日の会話は、とっても大きな岐路を突きつけた。
サッカーだけ続けるべきなのか。
サッカーを辞めたら、自分には何が残るのか。
サッカーしかやってこなかった自分にサッカーを取ったら、何もなくなるのではないか。
勉強、遊び、友達、サッカーに全てを捧げるために、犠牲にしてきたものがたくさんある。
父は「就活はしなくていい」と言ってくれていた。
だけど、それだけでは答えは出なかった。
小さい頃からプロサッカー選手になれる。
そう言われてきた。
自分自身もなれる、なると言ってきた。
だけど、学年が上がるにつれてプロという言葉は減っていた。
この現実に気づいた時、自信が消え始めていた。
覚悟もなかったし、自分を信じることもできなかった。
結局、就活しながらサッカーをした。
自分のメンタルの弱さを痛感した。それだけではないと思うけど。
それでも、支えてくれる人たちはたくさんいた。
先輩や父、母、兄の知り合いの方々まで、皆が就活を手伝ってくれた。
だからこそ、感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございました。
そして4年目。
副キャプテンを任され、チームを引っ張る立場となった。
それは大きな誇りであると同時に、自分の未熟さを思い知らされる1年でもあった。
まずは、アミノバイタルカップ。
先輩もアミノで活躍して、プロから声をかけてもらっている人がたくさんいた。
気合いもめっちゃ入っていた。
1回戦勝って、2回戦は1部の駒澤大学、2-0で勝って、チーム状況も良かった。
次は因縁の相手、神奈川大学。
神奈川大学に勝てば全国というところで1-3で負けた。
また神奈川大学。
だけど、切り替えて早稲田大学戦に挑んだ。
先制したもののなかなか追加点が取れず、追いつかれ、延長戦で決められ、1-2負け。
総理大臣杯にこのチームで本当にいきたかった。
そして、プロになるのが厳しいかもなって本格的に思い始めた時でもあった。
そしてリーグ戦。
前期は1位で折り返し、終わってみれば3位で今年も入れ替え戦だった。
入れ替え戦の相手は、山梨学院大学。
ベンチで途中出場。
結果も1−1で昇格できなかった。
涙が止まらなかった。
また引き分け。
また昇格できない。
後輩には申し訳ない気持ちしかなかった。
本当にごめんなさい。
こんなにも自分は情けないのかと思った。
そして、14年間燃やし続けてきた心の炎が、自分の中から静かに消えていくのを感じた。
不思議な感覚だった。
だからこそ、涙は悲しみだけのものではなく、充実感や達成感も混じったものだったのかもしれない。
それでも、この経験はこれからの人生において大きな糧になると信じている。
そして、この4年間を振り返ってみて、
プロサッカー選手になるかならないかという結果以上に、大切なことに気づいた。
それは、1人の人間として、自分の周りの人にどれだけ優しく接することができるか。
そして、どれだけ相手を想い、寄り添うことができるか。
この4年間で、サッカーだけでなく、私生活でも多くの困難に直面した。
どんなに辛い状況でも、沢山の人の、言葉や行動が心の支えとなり、前に進む力を与えてくれた。
そんな、助けや励ましがあったからこそ、ここまでやってこれたのだと心から思った。
サッカーを通じて出会った仲間、応援してくれた家族、支えてくれた先輩や後輩、そして同期、たくさんの人たちの存在が、自分にとってどれほど大きなものだったかを改めて感じた。
プロを目指して努力する中で、確かに結果を求める厳しさや孤独に向き合うこともあった。
でも、その過程で、自分のプレーを応援してくれる声に背中を押され、仲間との支え合いに心が救われる瞬間があった。
だからこそ思う。
結果よりも大切なことは、目の前にいる人をどれだけ大切にできるか。
どれだけ感謝の気持ちを伝えられるか。
それが、この4年間を通して得た、何にも代えがたい学びだった。
これから先、サッカーを離れることがあったとしても、この気づきはずっと自分の中に残り続けると思う。
先輩へ
本当にたくさんお世話になりました。
特に寮生活では、不安だらけの初日から、優しく温かく接していただき、本当に助かりました。
授業一緒受けたり、買い物行ったり、映画観たり、サッカーの試合を語り合ったり、夜な夜なSwitchで盛り上がったり、どれも楽しい思い出ばかりです。
そして、先輩たちと行ったご飯。
何を食べても美味しく感じたのは、きっと先輩たちと一緒だったからだと思います笑
寮で過ごした時間、そして先輩たちとの思い出は、大学生活を豊かにしてくれた大切な時間でした。
たくさんのことを教えていただき、背中で示していただき、ありがとうございました!
これからも、お会いできることを楽しみにしています!
後輩へ
一緒に過ごす時間とても楽しかったです!
僕からは特別なアドバイスはありません。
皆んな、本当に上手いし、努力を続けているのを知っています。
だからこそ、今この瞬間を大切にしてほしい。
どんなに小さな努力でも、それを続けていく
ことが未来の自分を形作ると思う。
専修をもう一度、強いチームにしてほしい。
応援してます!
同期へ
「自分はまともだ」なんて言う人も結構いたけど、クセ強い人がほとんどだった。。
でも、そんな同期と一緒にサッカーができて、本当に幸せでした。
プライベートでも、いろんなとこに行けたし、たくさん誘ってくれたおかげで楽しい日々を過ごせたと思う!
そして、みんなのブログを読んでいると、「こんな想いを抱えてたんだ」と驚かされることばかりで、改めてみんなの深さや文章力に感心しました。
一緒にサッカーができなくなるのは正直寂しいけど、この学年で過ごせたことを誇りに思っています!
あと鈴葉
同学年でマネージャー1人でとても大変だったと思うけど4年間ありがとう。
本当に感謝してます。
そして、プロになるハヤタ、ゲン、イチマル。
君たちのメンタルがほしい。
心から応援してる!
この学年に生まれ、このメンバーと出会えたことに感謝しかない!
最高の同期でした!
これからもよろしく!
兄弟へ
小さい頃から一緒に庭でサッカーをしたり、喧嘩したり、怒られたり、そんな日々の記憶は、今でも鮮明に残っている。
あの頃、兄弟にだけは負けたくないと思って必死にボールを追いかけていた。
その「負けたくない」という気持ちが、今の原動力になっているのかもしれない。
振り返れば、あの幼い頃の時間が、自分にとって大切な基盤になっていたんだと思う。
だから、心から感謝しています。
これからは、みんなで親孝行していこう。
両親へ
14年間、何ひとつ不自由なくサッカーに打ち込めたのは、二人が支えてくれたおかげです。
小学校からクラブチームに通わせてくれて、トレセンや遠征にも送り出してくれた。
特に大学では、兄弟の中でも一番費用をかけさせたと思う。
それでも、何一つ嫌な顔をせず応援してくれて、本当にありがとう。
また、大津高校時代、始発で学校に通う僕のために、兄と合わせて6年間も早起きしてくれて、お弁当まで毎日作ってくれたこと、今でも鮮明に覚えています。
そして、負けたときは僕と一緒ぐらい悔しい思いをしていたはずなのに、「あのプレー良かったよ」と優しい言葉をかけてくれた。
その言葉にどれだけ救われたか分かりません。
小学生や中学生の頃も家の庭で一緒にボールを蹴った時間も、本当に楽しかった。
あの庭は僕にとって、人生で一番の練習場でした。
二人の子どもとして生まれてきたこと、本当に幸せです。
だからこそ、もっと活躍する姿を見せたかったし、
選手権で輝く姿を見せたかった。
プロになって恩返ししたかった。
叶えられなくて、本当にごめんなさい。
大学までサッカーを続けさせてくれたこと、どれだけ感謝してもしきれません。
そして、ここまで何も恩返しができていない自分を情けなく思います。
でも、これからは違います。
次の夢を、必ず叶えます。
そして、これからは親孝行の人生を歩んでいきます。
これからも、どうか見守っていてください。
心から感謝しています。 本当にありがとう。
最後に、自分のサッカー人生に関わってくださった方々へ
プロサッカー選手になることはできませんでした。
ですが、自分がここまで来ることができたのは、間違いなく皆さんのおかげです。
小学生の頃から大学まで、どのカテゴリーでも素晴らしい指導者やスタッフ、仲間に恵まれ、出会うことができました。
それぞれの場所で、ただサッカーの技術を教わっただけではなく、人として成長するための大切なことも学ばせてもらいました。
厳しいアドバイスの中にも、優しさがあり、 結果が出せなかったときも、励ましの言葉で支えてくれた。
サッカーを通じて、多くの人に出会えたこと、それが自分の財産です。
これまでの感謝を、これからの行動や生き方で返していけるように頑張りたいと思います。
ありがとうございました!
拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
専修大学体育会サッカー部
藤井瑛斗