2022年11月26日
いま僕は最後の公式戦の帰りのバスでこのブログを1人で黙々と書き綴っている。
栃木の自然豊かな景色を横目に僕のこれまでの「軌跡」について思い返していこうと思う。
今日は世間一般的にいう学生でのサッカーを引退した日だ。
試合終了のホイッスルがなった瞬間、今までのサッカー人生が走馬灯のように蘇った。
僕の青春の全てを捧げたサッカーは悔いのないものになったのだろうか。
そんなことを考えていると自然と涙が止まらなかった。
最高の仲間とともに過ごした時間は本当に一瞬だったなぁ。
それとは裏腹に僕は人より多くの挫折を経験しているという自負がある。
中学生では、思うように身長が伸びなかったため、身体能力の差で1.2年生の頃は試合にあまり出られなかった。
俺1人選抜に選ばれてるのに自チームで試合に出られず、なんで出さないんだよとか思ってた。
これがはじめての挫折で、これは序章に過ぎなかった。
東京の上手い選手たち(光とか)を追い越すために僕は九州に行くことを決めた。
当時の私は単純だったから、日本の端っこに行き、サッカーしかやれないような環境に身を置いて、全員追い越してやるとか思ってた。
ここで一つの目標として、選手権で全国大会に出て東京に戻るという決意をした。
しかし、入学して待っていたのは挫折の第二章である。
周りの選手がうますぎて、自分の代の試合にも1試合も出られない。カテゴリーも1番下。周りはほとんどが熊本出身の人たちで、東京から出てきた自分は、なんだコイツって思われてたと思う。
何度やめようと思ったことか。。
そして、両親には無理かもしれないと泣きながら電話をしたのを今でも覚えている。
どんな時でも僕のことを支えてくれた両親には本当に感謝しかないし、恩返ししたいと思った。
ありがとう。
そこで僕は決意を固めた。
どんな形であれ、最後まで足掻こうと。
毎日1番最後まで自主練をした。
すると、自分が成長しているのを実感し、トントン拍子でスタメンまで上り詰めた。
ここで、努力って人を裏切らないんだなってはじめて実感した。
目標だった選手権にも出場して、最高の3年間を過ごせたと思う。
熊本は僕にとっての第二の故郷だ。
熊本でお世話になった皆様ありがとうございました。今後の僕がどうなっているかまだわかりませんが、何卒よろしくお願いします!
プロのチームからも声がかかるようになったりと、今までの自分とは違って、ある程度の自信を持って入学を決めた大学。
しかし、ここでまた、、第三章が。
大学では周りの味方との連携を取れる選手より、個人で打開できる選手が求められるようだった。
試合には出たりしていたが、俺って1人じゃ何もできないんだなって改めて実感した。
さらに、多くの怪我にも悩まされた、、
怪我でサッカーができない期間の方が圧倒的に多かった。やりたくてもやれない状況が続いたけど、同期が活躍している姿を見て、いつも刺激をもらっていた。
差をつけられないようにと必死にやれることをやってた。
詩音や健太、圭佑とともにジムに毎日のように通って競い合ったりしたおかげで、成長できた。ありがとう。
チームの結果は、関東1部で試合をしていた僕らは県リーグまで降格していた。関東1部から試合をしていた僕たち4年生には大きな責任があるし、最後の年は必ず昇格させたいという思いがあった。
しかし、結果は3部に昇格しただけだ。後輩には、本当に申し訳ないし、来年僕らの成し遂げられなかったものを全て成し遂げてほしい。
これが僕の22年間の人生ってものだ。
ここまで多くの壮絶な体験をしてきた俺なら、この先どんなことがあっても乗り越えられるさ。
よし。これからの自分に期待するとするか。