こんにちは。
本日の引退ブログを担当させていただきます、4年、藤井翔太です。
毎年卒業していく先輩方の引退ブログを読むと、まるで文豪のような引き込まれる文章であったり、思いや経験を素直に綴る人などなど、形は人それぞれですし、置かれた立場も違っていたりしますから、読んでいて本当に心を動かされます。
それで言うと、僕はもちろん後者にあたり、難しいこと、魅力的な文章を書くことはできません。
自身のこれまでのサッカー人生を振り返り、思うことを自分の言葉で綴らせていただいたので、長くなってしまいましたが、是非とも最後まで読んでいただけたら幸いです。
では本題へ。
思い返すと、小学4年生の秋に僕はサッカーを始めました。周りと比べると、ちょっと遅いのかもしれません。サッカーを始めるきっかけといったら、兄弟や親の影響というのが大半のような気もしますが、私の場合は違います。
「空手が嫌だったからです。」
少しびっくりされるかもしれませんが、実は年中から小学校4年生の秋まで週1で空手をやっていて、私にとって毎週木曜日は地獄の1日だったのです。
黒い帯の年上と組手を組まされ、ボコボコにされて泣く。仮病を使って休む。毎週休む理由を考えるのに必死でした。
そんな弱い自分に悔しいという感情は一切なく、さっさと辞めてやりたいぜ、なんて考えていたのを覚えています。
そんな日々を過ごしていた小学生3年生の頃、南アフリカW杯が開催されました。日本の躍進に魅了された私は「そうだ、サッカーをしよう」と決意します。
そこで親に申し出ますが、結果は反対され、認めてもらおうと、サッカーの練習を始めました。
家の駐車場に砂を詰めたペットボトルを置き、ドリブル練習開始。
5、6回しか続かないリフティングを放課後に日が暮れるまで。
上手くいかない自分に苛立ちを覚え、悔しくてたまりませんでした。
この時点で、空手の時とは全く異なる感情を抱いていました。
ようやくの思いで色々な人の支えもあり、1年経った小学4年生の秋に空手を辞めて、知り合いのいたスポーツ少年団に入ることになりました。
泉FC宇都宮。今はなくなってしまったと聞いていいますが、ここで吉岡さん、山川さん、翼コーチにサッカーの楽しさや本質を学び、サッカーを大好きになりました。ボールコンタクト、懐かしいですね。本当に感謝しています。
中学からは地元の栃木SCというクラブに入団します。一気に周りのレベルが上がり、県内はおろか地域でも無名であった私は、試合に出るどころか練習に追いて行くのも必死でした。
県大会も出たことないのに、初めての練習試合の相手が柏レイソル(太一と倉田もいたはず)で、びっくりしたのを覚えています。
ここでは、ただ楽しくサッカーをするのではなく、仲間との競走の部分や勝ち負けにおいてサッカーの厳しさを学び、
「プロは生活もかかってる。もっと必死だぞ。」
プロサッカー選手という夢を意識し始めたのはこの頃だったかもしれません。
私は、2年生の途中からスタートで試合に出れるようになり、3年時の関東リーグ2部最終節、前橋FC戦(矢端いました)では、1部昇格を決め、初めて試合に勝って涙を流しました。
非常に内容の濃い3年間だったのを覚えています。
私は周りが何人も高校サッカーに流れていく中、高校でも栃木SCにお世話になりました。
ここで、淳郎さんや只木さんなど多くの人と出会い、自分のサッカー観はまるで覆されます。
サッカーを深く学び、初めての全国大会出場など多くの良い経験ができましたし、トップチームとの距離も近く、より自然とプロサッカー選手を意識するようになっていました。サッカー面はもちろん、人間性の部分でも多くを学び、大きく成長できた3年間だったと感じています。
また、現在のユースは今週末の試合に勝てばプリンスリーグ関東2部の優勝と1部昇格が決まるという大一番を迎えているようです。
私自身も毎週、X(旧Twitter)で試合の情報を確認し、微力ながらも応援させていただいていました。
県内のサポーターも是非会場に足を運んでいただけたら彼らも頑張れちゃうと思います!
頑張れ、ユース!!
大学に入ってからは自分の理想とは全くといっていいほどかけ離れていました。まず、一人暮らしをして、親のいるありがたさを痛感しました。皿洗いが1番めんどくさいのもそこで初めて知りましたし、ポケットにティッシュを入れたまま選択すると1番だるいのも知りました(実家ではよく怒られていましたね)。
サッカー面ではトップチームに絡めず、悔しい日々を4年間送りました。
プロになれなくては意味がない。
試合に出なくては意味がない。
入学当初そんな風に思っていた私ですが、どんな状況であっても4年間前向きに頑張れたのは間違えなく仲間のおかげです。
みんながいなかったら毎朝、5時過ぎに起きれなかっただろうし、中学高校と同等、それ以上の熱量を持って大学サッカーに取り組めなかったかもしれないです。
結果としては、最終学年もIリーグで過ごすことになり、ギリ残留。開幕7連敗したって、毎試合失点したって全員諦めなかったことで奇跡的な残留に繋がりました。これだからサッカーっておもしろいですよね。
改めて本当に楽しかった。
この仲間と4年間サッカーできて本当に良かった。
みんなに感謝したいと思います。
ありがとう。
メッセージ。
太一
1番チームを思ってくれてたのは間違えなくお前よ。指導者のいないチームをまとめてくれてありがとう。たまに見せるサイコパス、最高だったぜ。
涼斗
もうね、1番ガキんちょだった。専松ノリ大好きだったよ。そして、君はとにかく足が速かった。ありがとう。
秀斗
2番目にガキんちょだった。君が1番サッカー上手いよね。遊び人と思いきや、サッカーにめちゃくちゃ熱いところ、かっけぇーよ秀斗。ありがとう。
明海
君はよく松戸から朝練通ったよ(いない時も多くあったが、、、)。引退してからはオタ活で忙しそうだけど、なんかラーメンでも食べに生田来てよ。ありがとう。
豪
めちゃくちゃ真面目そうにみえて、結局ノリは専松なの面白かったよ。最後、一緒にプレーできて嬉しかった。ありがとう。
やば
矢端は普段は無口だけど、お酒飲むとめちゃくちゃテンション高くておもろいんよね。またみんなありがとう。
雄心
中学からの付き合い。君には本当にありがとう。
千田
お前はいつも大事な時に点を決めてくれるんだよな。特に産能戦の得点、忘れられないよ。ありがとう。
りく
引退試合の前の週に、飛び出してきた子供を庇って自転車で転倒し、鎖骨を折っちゃう良い奴。君とは4年間一緒にプレーしたかな。ありがとね。
倉田
1年間ゴールマウスを守ってくれてありがとう。本当にこのチームに来てくれてありがとう。とにかくありがとう。
敦
君はほんとに熱い男よ。もはや、暑いかもしれないよね。敦の後ろからのコーチングには毎度助けられました。ありがとう。
亮佑
君は試合中どこにでもいてさ、15人対11人で試合してるくらい安心感があったよ。なんてね。何回か旅行も行ったし、また行こうね。ありがとう。
乾太
ふてることも少なくなかったけど、サッカーに貪欲でまーじで熱い奴だった。そしてこれからも、もも裏だけは気をつけてね。ありがとう。
樹生
みきとも4年間同じチームでプレーしたよね。みきも肉離れ持ちだから今後も気をつけてね。ありがとう。
彪
彪はいつも大事なところで仕事してくれる漢なんよね。男じゃないよ、漢の方ね。ありがとう。
かがれん
いない期間が多かったけど、一緒にプレーできた期間楽しかった。ありがとね。
翼
君は本当に努力家で誰よりもサッカー好きだと思う。そして、声がデカい。これはね、羨ましい。ありがとう。
マネージャー
チームのサポートしてくれてありがとう。暑い夏、乗り切れたのは間違えなくマネさんの入れてくれるキンキンなお水のおかげです。ありがとう。
Aのみんな
プレーオフ絶対勝とう!勝って2部に昇格しよう!みんなならできる!最後に笑おう!
後輩たち
先日、引退した身から言わせていただくと、ほんとに思っているよりあっという間ですし、引退が近づく度に寂しくなります。毎日、全員が顔を合わすのはグラウンドくらいしかありません。サッカー部として活動できる期間、そして仲間を大切にしてあげてください。
兄
引退試合の前日、深夜1時30分くらいに電話かけてきて、明日いくからなと。なんでこんな時間に起きてるんだ?みたいな感じだったけど、色々考えてたら眠れなくて。一段と気合いが入りました。最後に点決める姿を見せることができて嬉しかったよ。お互い帰省したら我らのホームグラウンド、錦中央公園でボール蹴ろう。
妹
まだ小さい頃、自分がサッカーを始めたせいで色んなところに振り回してごめん。バレーボールを初めてからは、負けない活躍をと奮闘しながらも応援していました。今は別に夢があるみたいだから、その夢に向かって頑張ってください。
母
今まで応援してくれてありがとう。そして、サッカーを始めさせてくれてありがとう。以前、帰省した際にもっと早く始めさせてあげれば良かったと嘆いていましたが、そんなこと全くありません。あなたのおかげで、サッカーを通して多くのかけがえない仲間と出会うことができたし、選手として一人間として、成長することが出来ました。また、送り迎えであったり、食事面も考えてくれたり、本当に感謝しています。最後、点を決める姿を見せれて本当に嬉しかった。ほんとにありがとうございました。
父
今まで応援してくれてありがとう。中学の頃くらいかな、試合を見に来てくれるようになって、最初は緊張するな、なんて思ってました。全体的に良いプレーも少なかったはずなのに、帰り道に良いところだけ褒めてくれて凄く嬉しかったのを覚えています。ここまでサッカーを続けてこれたのはあなたの支え合ってのことです。本当に感謝しています。ありがとうございました。
最後に
私のこれまでの人生の中心にはいつもサッカーがあり、良いことも悪いことも経験してきました。
ただ、サッカーというスポーツを通して、かけがえない仲間と目標に対して取り組むこと、ほんとに素晴らしいことだと感じています。
チームスポーツの本質とはこういった部分にあるのではないでしょうか。
ほんとうにサッカーをやっていて良かったと思います。
サッカーを通して培った藤井翔太という人間をこれからの人生に活かしていこうと思います。
ありがとうサッカー。
長く拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも専修大学体育会サッカーの応援よろしくお願いします。そして、ありがとうございました。