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部員ブログ

2020.11.22
仲谷怜朗
なわけねぇ

最近、最寄りの向ヶ丘遊園を見ると少し寂しい気持ちになります。

もう終わりかと。

それと同時に始めて向ヶ丘遊園におりて一人暮らしをする家に向かった時を思い出します。初めて食べた食事は高橋健さんが持って来てくれたスタミナ丼でした。今でも覚えています。

なのでそのスタミナ丼を食べながら最後のブログを書こうと思います。

まずは僕のサッカーキャリアから紹介します。

1999年 誕生

2007年 ボールを蹴り始める

2008年 サッカーのクラブチームに入る

2013年 九州大会をかけたpk戦で外す なわけねぇ

2014年 九州大会をかけたpk戦でまたもや外す なわけねぇ

2016年 選手権福岡県準決勝延長戦途中出場途中交代 なわけねぇ

2017年 選手権福岡県準決勝決定期を外す なわけねぇ

 

僕はとことんサッカーでいい結果が残せずサッカーをして来ました。監督やコーチや仲間たちの期待に答えられず、自信もなくしサッカーが本当に嫌いになった時期がありました。

なので僕は大学でサッカーは絶対しないと心に決めていました。

そのことを母に伝えると母は悲しそうな顔をしたことを今でも覚えています。

それに対して僕は怒りで返すことしかできず

自分の進路は自分で決めさせろと言ってました。

いやぁあ尖ってますね笑

けど僕は大学でサッカーをするという決断をしました。多分心残りがあったんだと思います。

今思うとこの決断をして本当に良かったと心から思います。

そう思えたのは4年生になってからです。4年生になると最上級生としての自覚がこの自分でさえ出て来ました。去年僕が三年生の頃、一つ上の先輩がどれだけ僕たちのことを支えてくれていたか気づいたからです。僕たちのカテゴリーはコーチや監督がいないので全部先輩たちがバランスをとってくれていたんだと。

気づいた頃には遅かったのです。なわけねぇから情けねぇに変わりました。

あの先輩たちには頭が上がらないです。今更ですが本当にありがとうございました。

この恩を返すには同じように後輩にしてあげればいいと純粋に思いました。

ちょっとでも刺激のある選手になりたいと思ったし、チームにいい影響を与えられるような人にもなりたいと思いました。

 

出来たかどうかは別として、そうなりたいと思えたことが僕の中ですごい成長したなと思えました。

昔までは自分が試合に出れればいいとも思っていたし、周りの事よりも絶対自分のことしか考えられませんでした。(このハングリーさも大事)

つまり視野が広がりました。

この心の変化は専修大学サッカー部の素敵な先輩、素敵な後輩、素敵な友達のおかげでしかないです。

尊敬できる仲間たちと過ごせた4年間は僕の誇りです。

そしてここまで育ててくれた母には感謝しています。この恩は言葉より行動で示します。

 

 

しかし僕はサッカーでは正直何も成し遂げられませんでした。満足もしていません。

一見ネガティブに感じるかもしれませんが、そのネガティヴさえ美しいものに変えられるものが人生だと僕は思っています。

なので僕はハングリーハングリーなんです。

残りの人生僕のエネルギッシュさとサッカーで得た教訓を生かし真っ当してやりたいと思います。

 

専修大学サッカー部は最高です。残り少ない時間ですが全カテゴリー4年生筆頭にチームを勝利に導きましょう!

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