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部員ブログ

2020.11.21
河野真吾
幸せもん

こんにちは。

4年の河野です。
最後のブログを書きます。
文を作るのが苦手でまとまりのない文ですが読んでいただけると幸いです。

最後はこの4年間の思いだけでなく僕のこれまでのサッカー人生、始めたきっかけを書きます。
みんなのサッカー人生や始めたきっかけなどを思い出して照らし合わせて読んでもらえればと思います。

 

 

僕は小学1年生あたりからサッカーボールを蹴り始めました。
当時はただひたすらボールを蹴るのが楽しくて毎日のように家の中で両親に買ってもらったビニールサッカーボールを使って遊んでいました。トーナメント表を作り自分の中で大会を開いて一人で遊んだり、破れた押し入れの襖を頻繁に変えている母の姿は今でも覚えています。
2006年ドイツW杯に出ていたブラジル代表のカカ選手のプレーとカッコ良さを見てプロサッカー選手ってかっこいいなと、なってみたいなと思いました。これがプロサッカー選手になりたいと思ったきっかけです。
本格的にチームに入ってサッカーをやり始めたのは小学3年生の時です。学校で友達を誘って地元チームに入りました。ここで初めてちゃんとしたサッカーボールを蹴り、ここから僕のサッカー人生が始まりました。
中、高、大ではサッカーを通して沢山のものを得ることができ、沢山の大人、仲間と出逢うことができました。
大学1年目は経験した多くが初めてのことばかりでなんか新鮮な気持ちでした。
そんな中送った大学1年目。アイリーグに出させてもらい何度かAチームに上げてくださり1年目でいい経験をすることができました。
大学2年目では多くの時間をAチームでプレーしました。その中で結果を出すことができず期待に応えることができない自分がとても情けなかったです。また、サッカー人生の中で怪我が一番多い年となり自分の体の弱さを知った1年でした。
大学3.4年目では9割以上をA2というカテゴリーでプレーする年になりました。
今年は新型コロナウイルスの影響で例年とは全く違う形でスタートしました。緊急事態宣言により1ヶ月以上の自粛生活が始まり、この自粛期間中は近くの河川敷で少人数でサッカーをした後に川で遊んで帰るという日がよくありました。田舎住みの僕は幼い頃よくこのような生活をしていたのでどこか懐かしく感じました。大学4年間でこのサッカーの後の川にいる時間が1番好きです。しかし仲間みんなとサッカーをすることができない日々が続けば続くほど辛かったです。
今では練習やリーグ戦を行うことができ、たくさんの方々への感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
僕個人としては夢を実現させるため関東リーグに出てチームを勝利に導くことを目標にやってきたこの4年間。一度も出ることができませんでした。周りは足りないというだろうけど自分の中では必死に積み重ねてきたつもりです。最高学年に近づくにつれ今までやってきたことが無駄な事だったと思うようになり、プロなんて、ましてやJ1なんて夢のまた夢だと気づきました。引退まであと1ヶ月。残りの公式戦できる限り最後まで楽しくやりきりたいです。

最後のブログはこれまでみたいに強がりや嘘は書かず今感じていることをありのままに正直に書きました。
僕の好きなサッカーを反対せずやらせてくれた、約14年間プロを目指す僕を支え信じ続けてくれた父さん、母さん、本当にありがとうございました。そしてごめんなさい。

また僕のサッカー人生に関わってくださった指導者の方々、応援し続けてくれた方や友人、そして4年生、本当にたくさんのことを学び、得ることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、

父さん、母さん、俺は幸せもんです。

 

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