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部員ブログ

2022.11.28
高月創太
俺ならできる

1126日の試合を最後に、僕は大学サッカーを引退した。

それと同時に長かった学生サッカーも終わった。

色々なことがあった。

やりきった。

だが、少しの後悔。

「悔いなく終われた」

そう自分に嘘をつこうとするが、

誤魔化すことができないほど

僕はいつもあと少しのところでチャンスを掴めなかった。

掴み取れなかった。

 

申し遅れました、4年の高月創太です。

最後のブログです。

少し長いですが最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

冒頭にもあった通り、僕のこれまでのサッカー人生、

あと一歩のところでいつもチャンスを掴みきれなかった。

 

中学では、クラブユース関東大会でベスト16に進み、あと一勝すれば全国のチャンスが3回あったが全部負けて敗退。最後の試合ではラスト5分で大逆転された。

 

高校では、一年時に新潟県選抜として国体に出場し、ベスト8まで進出したが、優勝した広島県に2-0から逆転され敗退。これも後半ラストに追いつかれて延長で逆転された。

三年時には、選手権の県予選決勝まで進み、先制したが、これも逆転され全国には出れなかった。

 

大学では、四年時のアミノ杯でベスト8に進み、こちらも勝てば全国のチャンスが3回あったが勝つことができず(最後はコロナで棄権)敗退した。ベスト8の法政戦、こちらも逆転で敗戦。

個人的にも、アミノ杯後にプロからお誘いをいただき、練習参加したが、オファーをもらえることはできなかった。

参入戦でも、最後に力及ばず関東2部に復帰することができなかった。昇格の可能性が途絶えた山梨学院戦も逆転負けだった。

 

僕のこれまでのサッカー人生、こんなにもチャンスが転がっていた。

にもかかわらず、ひとつもモノにできなかった。

逆転されすぎでしょ。

良いところまで行っても、負けたら何も残らない。

結果が全てのこの世界において、それは大きな差であったと痛感している。

あと一歩のところまでいける取り組みは出来ていたのかもしれない。

だが、そのチャンスを掴みきるまでの取り組みは出来ていなかったのだと思う。

 

それでも「少し」の後悔と記したのは、

常に自分と向き合って取り組んできた自負があるから。

結果までの、その過程が充実していたから。

正当化しているのかもしれないが、そこに嘘はない。

大学サッカーを振り返れば、それが証明できる。

 

4年前、プロになる決意で大学に入学した。

しかし、一番下のカテゴリーからのスタート。

高校まで常にチームの中心でプレーしてきた僕にとって一番大きな挫折だった。

そのカテゴリーに大人の指導者は存在しない。

必然的にそこから上を目指している人は少なかった。

周りに流されるもんか。

僕は染まらなかった。

しかし、アイリーグの試合で途中出場したのに、途中交代させられた試合だってあった。

両親がその試合遠くまで見にきてくれたが、「俺何してんだろ」と本気でそう思った。

それでも、腐らずに限られた環境の中で出来ることをした。

運良く一年の夏にA2に上がることができた。

やっとスタートラインに立てた気がした。

 

そのまま二年生ではA2の中心としてプレーすることができたが、

Aサブの試合に人数合わせで呼んでもらうことで精一杯だった。

ある時、当時コーチとしていたミガクくんが「プロ目指してるやつ手上げて」とみんなに聞いた。

上げることができなかった。

もうすでに関東リーグで活躍している同期がいる中、

ずっとA2でくすぶっている自分が手を上げる、

それが恥ずかしくてできなかった。

プロへの気持ちが薄くなった、というより、この状況からプロを目指すとか言ってられないと段々現実を見るようになった。

でも中途半端に終わりたくはなかった。

だからまずはこのチームで試合に出るために上を目指した。

 

三年になってやっとAチームに上がることができた。

だがここでも、すぐ上手くはいかなかった。

前期の関東リーグはほとんど試合に絡めなかった。

紅白戦でも、サブ組の控え。

つまりAチームで1番下の立ち位置で、

そもそも名前すら呼ばれず紅白戦に出れないこともあった。

その立ち位置がずっと続いた。

逆になぜA2に落ちないのだろうとさえ思った。

それでも腐らずやり続けた。

すると、夏の中断期間あたりから見出され、後期の関東リーグではコンスタントに試合に絡めるようになった。

しかし、チームは全く勝てず県リーグ降格という結果を突きつけられた。

思い返せば、僕がメンバー入りした試合、一回も勝つことができなかった。

関東リーグで勝利の喜びを味わうことはできなかった。

特に降格が決まった立教戦、僕は90分間ピッチでプレーしていた。

何もチームに貢献できなかった。

大きな責任を感じ、来年は必ず関東2部に復帰させる。

そう誓って、最終学年を迎えた。

 

そして、今年は思い入れのある7番をもらいチームの中心としてプレーした。

一年時の僕の立場からは想像できないだろう。

僕のことを知っている先輩方も「あいつが?」ってなっていると思う。

今年の結果については先ほども触れたから省略するが、

去年誓った関東2部復帰を果たすことはできなかった。

それでも最後の一年はとても充実したシーズンだった。

本当に楽しかった。

後輩たちに何も残せなかったこと、本当に申し訳ない

来年は成し遂げられると思うし、出来ると信じています

 

 

これが僕の大学サッカーである

4年間、苦しくて悔しいことの方が圧倒的に多かった

けどそのたびに腐らず這い上がってきた

何度も言い聞かせてきた言葉がある

「俺なら出来る」

練習前、毎日みんなで合わせている掛け声だ

うまくいかない時、調子が悪い時

この言葉を思い出し

根拠のないこの言葉を

根拠のある言葉にするために

常に自分と向き合ってきた

 

だが目標は叶わなかった

それでも、よくここまで来たと誇りに思う

特段すごいわけでも、実績があるわけでもない自分が

こんな思いをして、こんな経験をして

一番下から一歩ずつ這い上がってここまで来たのだから

今同じ境遇にいる後輩には特に頑張ってほしい

這い上がるのは自分次第だ

 

 

そしてこれまでよりも長い、これからの人生

苦しいこと、辛いこと、山ほどあると思う

でもこれまでもたくさん乗り越えてきたから大丈夫

「俺なら出来る」

まだ僕のサッカーは続く。

 

最後に

 

一番近くで支えてくれた両親

自分を試合に使ってくれたスタッフ

刺激し合ってきた同期

一緒に戦ってくれた後輩

毎日チームのサポートをしてくれたマネージャー

多方面から応援してくれた方々

私に携わってくれた全ての方々に感謝します

本当にありがとうございました

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